岡谷市女児連れ去り未遂 井上被告「逮捕は不当」
今年7月、朝の登校時間に女子小学生を連れ去ろうとした容疑で逮捕された、井上佳則被告(56)の初公判が長野地裁諏訪支部であり、井上被告は「逮捕の手続きが不当だ」と申し立て、起訴容疑の認否を保留しています。何が不満なのか、報道では明らかにされていません。記事を引用した後に、自分の憶測を書きます
井上被告は岡谷市の通学路で登校途中の女子小学生のランドセルを掴み、連れ去ろうとしたのですが、女児が悲鳴を挙げたためランドセルを奪って逃走していました(ランドセルは道端に放り捨てられているのを発見)
その後、警察は諏訪市内に1人でいた井上被告を発見。通常の手続きであれば最寄りの警察署に同行し事情聴取の後、逮捕という流れになります。なお、井上被告は当初、「タカハシナオキ」と偽名を称していました
ことし7月、岡谷市の路上で登校中の小学生を連れ去ろうとしたとして、未成年者略取未遂の罪に問われている56歳の被告の裁判が始まり、被告は起訴内容を認めるかどうかについての質問に回答を避けました。
起訴状などによりますと、東京・西東京市の無職、井上佳則被告(56)はことし7月2日の午前8時前、岡谷市湊の路上で1人で登校していた小学生の女の子を連れ去ろうとしたとして、未成年者略取未遂の罪に問われています。
7日、長野地方裁判所諏訪支部で開かれた初公判で、裁判官が起訴内容を認めるかどうかについて問われると、被告は「証拠や逮捕状もない中で逮捕され、不当な扱いを受けた」と述べ、認否についての回答を避けました。
このあとの冒頭陳述で、検察側は「被告は犯行以前から年少の女児に性的好奇心を含む関心を抱いていて、岡谷市で被害者を連れ去ろうとした」などと犯行の経緯について指摘しました。
そのうえで、被告が現場付近の路上を歩く姿を住民が目撃していたことや、被告が犯行に及ぶ状況を別の住民が自宅内から目撃していたと主張しました。
次回の裁判の期日は未定ですが、引き続き審理が行われます。
(NHKの記事から引用)
井上被告の偽名がバレたのは、過去に建造物損壊の罪で懲役1年6月(執行猶予4年)の有罪判決を受けており、指紋のデータが警察に残されていたからなのでしょう。逮捕された時点で、また執行猶予期間中でした
この井上被告が有罪判決を受けた件は2023年9月28日の東京高裁刑事部622号法廷で控訴審が行われた、事件番号令和5年(う)第361号の建造物損壊事件だとは特定できたのですが、事件内容については不明です。裁判所の判例検索システムで探し当てられませんでした
奪ったランドセルには井上被告の指紋が付着しており(7月の犯行ですから手袋をしていたとも思えません)、当然、長野県警は指紋で前科のある者を調べたのでしょう。また、警察に任意同行をした際にも本人の指紋を採取したはずです
ただ、任意同行では指紋採取に応じる義務はなく、この段階で指紋採取に応じるか応じないかは任意です。任意であることを本人に説明しないまま指紋採取を強要した場合、後で問題となります。逮捕という身柄を拘束する手続きは、あくまで法律の定めるところに乗っ取り適正に行わなければならないというのが、刑事司法の大原則だからです
さて、井上被告がどこで「逮捕手続きに瑕疵があれば、逮捕そのものが無効」という情報を仕入れたのか、気になるところです。警察の留置場や拘置所内で、勾留仲間から仕入れたのかもしれません。刑事ドラマでは逮捕・勾留された者が独居房にいる姿を映しますがあれは演出で、ほとんどの場合は4~5人収容の雑居房に収容されています。取り調べがない限り彼らは暇ですから、ああでもない、こうでもないと互いに聞き齧った噂話や与太話をして過ごします
そこで、「警察に逮捕されたものの、逮捕手続きが不適切のため逮捕は違との判決を受け、無罪になった男の話」でも聞かされたのではないか、と推測します
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