高島鈴の「呪術廻戦」論を読む(2)

高島鈴による「呪術廻戦」論の2回目です
テレビアニメ、劇場版アニメ、コミックで展開されている「呪術廻戦」の中でも出色の出来といえる「懐玉・玉折」編を取り上げた高島鈴の見解を見ていきましょう
いつものように論文からの引用は赤字で、自分のコメントは黒字で表示します


第2回 罠の外を知っているか?――『呪術廻戦』論(2)
●夏油傑と社会の敗北
『呪術廻戦』では社会正義に沿って行動した結果呪術師という労働に耐えきれなくなってしまった人物・夏油傑(げとう・すぐる)と、その同級生にして親友であった五条悟のエピソードが、ごく印象的に挿入されている。
かつての夏油は「“弱者生存” それがあるべき社会の姿さ」「呪術は非術師を守るためにある」と語り、「強者(じゅつし)としての責任」を果たすことを使命と考える、社会正義に忠実な呪術師であった。しかし非術師による醜悪な事件を担当して心身に大きな傷を負ったことや、自身を慕っていた後輩・灰原雄(はいばら・ゆう)の殉職、力を振るう喜びに目覚めた五条との精神的な決別などの要因によって次第に追い詰められ、非術師のために呪術師を続ける意味を見出せなくなってしまう。そして夏油は全ての非術師を殲滅するという目標を掲げ、呪詛師(人の呪殺を請け負う呪術師)として造反するに至るのである。
『呪術廻戦』の世界では、公の理念に身を委ねていればいるほど、目の前のむごい現実によって内心が蹂躙されてゆく。これは社会正義が、もはや現実と擦り合わせようもないファンタジックな理想として扱われているがゆえの落差だ。ここで生じた理念と現実の乖離は、社会正義を「建前」、ぼろぼろになった内心を「本音」へと転化させてしまう。夏油は社会正義と傷ついた内心の間で板挟みになった結果、理念を棄てて後者に従った。『呪術廻戦』は夏油が「悪人」になる過程を、夏油なりの合理性のもとで下された選択として描き出す。

あらためて、呪術高専の中でも優等生だった夏油傑がなぜ自らの使命を捨て去り、一般人を敵視するようになったのかを考える論稿です
夏油と五条悟を対比させ、各々を際立たてせるために対象的なキャラ付けをしていると言えばそれまでですが、果たしてそれだけなのか?
もう一つ、自分が気になるのは呪術高専の生徒である夏油と五条が、しばしば「オレたちは最強だ」と口にしているところです。若気の至りとも考えられますが、生徒でありながら特級術師のランクに位置づけられる実力の持ち主ともなれば、「最強」だと自負するのも当然な気がします
が、しかし、己の強さのみを誇るある種の傲慢さが、手痛い体験を経て揺らぎ、プライドを傷つけられ自信喪失や呪術師という生き方そのものへの懐疑につながり、やがて夏油の造反という結果になって現れます

夏油が造反してのち、五条は教職に就く。五条はそれまで「弱い奴等に気を遣うのは疲れるよホント」「呪術(ちから)に理由とか責任を乗っけんのはさ それこそ弱者がやることだろ」と話し、善悪の判断まで夏油に委ねていた。だが夏油を救えなかった経験を経て、五条は呪術師業界変革の必要性を痛感するとともに「自分だけが強い」状況を深く憂慮し、「弱者」に気遣う「疲れ」を超えて後進の育成を選ぶのだ。古い価値観を打ち破る呪術師の育成による社会変革を目指した五条と、虐殺で社会変革を目指した夏油は、のちに衝突し、最終的に夏油が五条の手で殺害される。

原作漫画であれアニメであれ、夏油が造反し、非呪術師を排除し呪術師だけの社会を作ろうと決意する場面を克明に描いてはいません。非術師の偏狭で思慮の足りない行動に呆れ、失望し、憎むようになるプロセスは描かれてはいますが
同時に自分と同等と見なしていた五条が伏黒甚爾との戦いを経て新たな能力を開花させ、文字通り最強へと成長する姿を冷ややかに、眺める姿は描かれているものの、嫉妬したり羨んだりする様は描かれていません。もちろん、これらの場面が描かれないことで含みをもたせ、想像を掻き立てるのであり、描かない選択をした作者の演出方法は秀逸でしょう
ただ、描かれないからこそ、もやっとした思いが残るのも否定はできません

「弱い奴等」を毛嫌いしていた五条の方針転換は全く的外れではない。教育は社会変革の極めて妥当な手段だ。だが五条は全く教育者に向いていないこと、そして教育による社会変革にはおそろしく時間がかかり、人が育つのを待つ間にもたくさんの人が潰れていくことが、『呪術廻戦』では絶望的なまでに強調される。夏油と五条の物語は、それぞれにおいて社会的なものの敗北を示唆すると言えるだろう。
ただしこれらの描写を指して単純に「自己責任論の推進である」と言えるほど、『呪術廻戦』が描くものは明るくない、、、、、。個人的な「理由」の希求は、自己責任論の肯定ですらなく、自己責任論が大前提になった世の中を生き延びるための最後の足掻きであるように見受けられる。

五条が呪術高専の教師となり、若い世代を育てようと思った経緯は作品中で語られています。が、夏油の造反とどう結びつくのか、五条の内心は語られていません。これもまた作者が「描かない」選択をしたのでしょう
なので五条の内心は想像するしかありません
おそらく夏油に何もかも押し付け、彼を歪ませてしまった呪術界上層部に五条は怒りを感じており、術師を使い捨てにする仕組みに反発しているのだと思います。そうではない呪術師の仕組みを作り上げるため、聡い仲間を多くつくり、呪術師界を変革しようというのが五条の計画であり、夏油への手向けと考えたのでは?

前節で示した通り、同作は社会がもはや「人を救う」行為において何かを期待できる仕組みではないとみなしている。それは呪術師が社会構成員を救っても社会は呪術師を助けてはくれないねじれた非対称性の問題でもあり、呪術師が身を削ってまで維持するだけの価値が社会にあるのか、という疑念をも指す。
「一般社会」は呪術師の存在を知らないまま、呪術師が流した血によってその安寧を維持している。夏油が経験したように、社会の「あるべき姿」を目指して呪術師になっても、むごい現実――過酷な任務、非術師の愚劣さ、仲間の死、それらが終わりなく続く先の見えなさ――が、「明るい未来」の可能性を信じる想像力まで潰していく。社会正義に従って内心がずたずたになるのなら、最初から内心だけに従って動くほかない。すなわち呪術師でいる理由を社会から切断し、自己満足の領域で説明しなければ、「人を救う」という苦しい営為にはそもそも身を投じられない、それが『呪術廻戦』の展望する社会像なのだ。

報われない呪術師という生き方を描き、それでも本作が多数の支持を得たのは、「それでも人を救いたい」という虎杖悠仁の思いや、「不平等に人を助ける」とする伏黒恵、自分が自分である事に誇りを持ち「自分らしくあるために命を懸けられる」と言い切る釘崎野薔薇の生き様のかっこよさ、乙骨裕太が怨霊となった幼馴染の里香を駆使しながらも「純愛だよ」と言ってのける無垢さ(天然?)など、魅力あるキャラクターが描かれているのが人気の理由でしょう
今回はここで区切りとします

説明しろ、傑」闇落ちしていくたった一人の親友にぶちキレる五条悟


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