日本アニメの発展を解説する中国メディア

当ブログではこれまでにも中国メディアによる漫画作品やアニメーション作品についての論評を紹介してきました
が、中国メディアの感心はもっぱら売上、利益に向いており、作品を深堀りして論じようとする姿勢が希薄です。また、中国の研究者による日本の漫画作品やアニメーション作品についての研究も、偏った内容であったり目の付け所がズレていたりと、決して水準の高いものではないと感じます
漫画作品やアニメーション作品の進化・発展には論評の役割が重要であり、中国には質の高い論評が欠けている=作品の進化や発展が滞っているのではないか、と言いたくなります。ただし、そうと断言するほど中国の漫画作品に通じているわけではありませんので、素人の単なる思いつきレベルで書いています
珍しくレコードチャイナが中国の漫画・アニメ研究者による、日本アニメの発展の背景を説明した記事を掲載していますので取り上げます
以下、元記事の部分は赤字で、自分のコメントは黒字で表示します


戦後日本のアニメの発展とその役割―中国専門家
2024年7月13日、中国メディアの文化縦横は、戦後日本のアニメの発展とその役割について紹介する記事を掲載した。
記事は、「日本のアニメやその派生文化であるACGがますます注目を集めている。しかし数十年前には、アニメは日本国内で疑問視されることの多いマイナーな文化だった。それが今日では年齢や地域を超えて世界中で愛され、日本の国家イメージを支える戦略としてまで認知されるようになったのはなぜだろうか」とし、華東師範大学副教授の潘妮妮(パン・ニーニー)氏の見解を紹介した。
「芸術作品には時に、創作者が現実社会を意識的または無意識に映し出している場合があるが、国家が意図的に利用することもある。では、芸術家とその国との関係はどのようなものか?」という質問に対し、潘氏は「芸術家と政府の関係は、単純な二者関係ではなく、重なり合った関係で、その間には大衆が存在する。したがって、これは三者関係といえるだろう。例えば、手塚治虫氏の多くの作品は批判的な要素が含まれている。特に『火の鳥』や『奇子』『メトロポリス』などは何かを風刺しようという意図が明確だ。しかし、ここで重要なのは、影響力の大きい芸術家の作品は、まず人々に見られなければならないということ。つまり、誰かがそれを広めたいと思うことが重要なため、大衆の受け入れやすさやテレビ局のような大衆メディアの受け入れやすさ、アニメの投資家の受け入れやすさを考慮する必要がある。したがって、芸術家は必ず何らかの調整を行い、完全に自分勝手に創作することはできない」と説明した。

出だしからツッコミたくなるのですが、日本の漫画家やアニメーターで国家というものを真正面から、あるいは側面から意識して創作している者がどれだけいるのだろうか、と思ってしまいます
手塚治虫は日本を代表する漫画家であり、多くのアニメーションを手掛けたクリエイターです。しかし、2020年代の今となっては古典に属する人物であり、手塚治虫が日本のアニメーション(現在)を代表しているとは言い難い気がします
もちろん、この論評は「日本アニメの発展」を説明するものですから、手塚治虫を起点にするのは正しいのでしょう。しかし、公開作品を中国共産党が検閲している中国とは異なり、国家が作品に干渉する例は稀ですから、上記の説明は随分とトンチンカンな内容に聞こえます
先日、当ブログで取り上げた「ルックバック」にしても、国家の命令で描かれた作品ではありませんし、国家から何らかの干渉を受けたりはしておらず、藤本タツキが描きたいから描いた作品でしょう。つまり日本には創作の自由があるわけで、それが中国の研究者には理解できないのでは?

次に、「漫画という芸術形式は主に少年少女を対象としているが、なぜ日本の漫画にはしばしば大人向けの哲学的思考が見られるのか?」との質問に対しては、「漫画は視覚的で理解しやすい表現方法であるため、基本的には子どもや未成年を対象としている。また手塚氏ら漫画家は、戦後の日本が精神的に打ちのめされていると感じ、その状況を改善するために、未来を担う子どもたちに対して良い影響を与えるべく、漫画に深い哲学的な内容や希望を込めようとした」と紹介した。

別段、哲学的な内容を込めようとして創作しているわけではなく、宮崎駿や押井守は自分が描きたいから描いている…と考えられます。ひねりを加え、さらにひねって、他の作品とは異なる独自の世界観を打ち出す(創作する)快感が、その背景にあるものと推測します。もちろん、それは宮崎駿ら大御所に許された特権で、他のアニメーターは制作会社や制作委員会の決定に従い、漫画家は編集者の意向に従っているのでしょう
逆にかつて中国アニメ(熊とか犬、猫が主人公でこどもたちに教訓を垂れ、道徳規範を教える内容)などは、その垂訓という発想とは逆に「こども相手のアニメだからこの程度で十分だろ」と手抜きが顕著で、内容も薄く浅いものばかりだったように思えます

「アニメはどの国にもあるが、日本は特に高い地位を持ち、非常に成熟した産業となっている。どのような社会的地盤が日本のアニメ産業の繁栄を促進したのか?」との質問には、「日本のアニメ産業が本当に強いかどうかは議論の余地がある。アニメは多くの収益を上げているが、制作に携わる人々の報酬は非常に低い。これは、日本のアニメ産業が強力である一方で、独立した産業としては米国ほど整っていないことを示している。しかし、アニメ文化としては、手塚氏の功績は非常に大きい。アニメはもともと子どもや比較的教育水準が低い人々を対象としていたが、手塚氏をはじめとする制作者たちは、アニメを真剣な文学と同等のものとして発展させ、米国にはない社会に影響を与えようという強い意識を持っていた。その結果、日本のアニメは非常に豊かな精神世界を持ち、日本を代表する文化となった」と回答した。

ピクサーやディズニーにはそれぞれの路線があり、その路線に則った作品を生み出し続けています。ファミリー層ウケし、親が安心してこどもに見せられる作品群です
他方で、日本にひしめいているアニメ制作会社は路線などないに等しく、テレビ局や広告代理店、あるいはアニメ制作会社独自の企画に沿って作品を生み出しており、多種多様です
アニメーターの給料が安いのはアニメ産業が脆弱だからではなく、テレビ局や広告代理店によって組織されり製作委員会が利益を大半を得る構造になっているからで、アニメ制作会社の取り分が相対的に少ないのが原因です。テレビアニメである限り、この利益配分の構造は変わらないのでしょう。ネットフリックスなど、配信プラットフォームが台頭しつつある今、多少なりとも変化するのかもしれません(ただ、自分は業界関係者ではないので、実際のところは判りません)

「かつて、いくつかの傑作日本アニメと当時の社会雰囲気との関係を分析したことがあるが、中国アニメには同様の分析ができる傑作はあるか?」との質問については、「私は、中国アニメと日本アニメは異なると考える。日本アニメは戦後日本社会の時代の鼓動と緊密に関連しているが、これは他の国では見られないものだ。中国アニメの文化の発展は、経済消費の繁栄に伴っており、日本とは完全に異なっている。したがって、中国アニメの創作は緊張感がなく、個人的なものが多いと思う」と論じた。

どのような視点に立って日本のアニメ作品と社会雰囲気・社会情勢の関連を考察したのか不明なので、何とも言い難い意見です
例えば「ルックバック」と令和の今の社会との間に何か相関関係があるのか、と問えば首を傾げるしかありません。劇場版「THE FIRST SLAM DUNK」が大ヒットしましたが、漫画の完結が1996年であり、テレビアニメシリーズの放送終了も1996年です。劇場版「THE FIRST SLAM DUNK」までおよそ25年ものブランクがあるため、社会雰囲気との関連性などどこに求めればよいのか、と言いたくなります
逆に、「妹萌え」とか「メイド萌え」とか、オタク界隈の流行が反映した作品は確かに存在しますので、そこは社会雰囲気と作品が密接に連動しているとは言えるのでしょう
あるいは現代の日本社会の閉塞感ゆえ、異世界冒険譚のようなファンタジーや、「俺ツエー」系といった、空想世界での強さを誇る物語が好まれる…とこじつけるのは可能でしょう
対して中国では、西遊記をベースに孫悟空が活躍する劇場版アニメ「西遊記之大聖帰来」が大ヒットするや、たちまち西遊記物のアニメが26本も作られるという、パクリ商売が横行しており、そうした傾向も踏まえて「緊張感がない」と指摘しているのでしょう

「日本の対外イメージの構築の経験は、中国にどのような教訓を与えるか?」との質問には、「日本の経験は、われわれ中国に非常に強い示唆を与えている。それは、対外イメージを設計する際には、まず自分の立場を確定し、自分が何者であるかを明確にすること。これはかつての日本の文化輸出において非常に明確だった点だ。対外イメージが非常に柔軟であるように見えても、その立場が正しいかどうかは別として、彼らはこの点をしっかりと考え抜いていた」と述べた。

この指摘も根本的な誤解に起因しています。中国や韓国では、「日本は官民が手を組んでアニメ作品や漫画を海外に輸出し、地歩を築いた」のだから「自分たちもそうするべきだ」論が繰り返し主張されてきました
しかし、官民が手を組んでアニメ作品や漫画を海外に売り込んだ事例など皆無であり、日本で作られた世界名作劇場のシリーズ、「家なき子レミ」や「フランダースの犬」、「若草物語」、「赤毛のアン」などは、制作会社が世界各地を回って売り込みを図ったから世に知られた作品となったわけで、日本政府が積極的な役割を果たしてなどいません
漫画にしても集英社など版元が売り込んだからこそ、普及したのです。「DRAGON BALL」も「NARUTO」も、作者が描きたいから描いたものであり、「日本という国の対外イメージをかくかくしかじかの形で外国売り込んでやろう」などと考えて描いたものではありません。世界一うるさい日本の漫画ファンを唸らせ納得させようとの意図はあったはずです
むしろ日本政府が主導した「COOL JAPAN」政策の方が成果が怪しかったりします。漫画やアニメを自動車レベルの産業にし、大いに輸出しようと政府が旗を振ってはいますが…
ざっと読んだ感じとして、日本の漫画やアニメに知見を有する人物であろうとも、やはり勘違いや思い違いが多すぎ、的確な分析ができていないように思います。まずはそこら辺りからきちんと学ぶべきでしょう

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