ススキノ首なし遺体 専門家の見解(1)

逮捕・起訴された田村瑠奈とその両親のうち、母親の田村浩子被告の公判が始まっています。浩子被告は「死体遺棄ほう助罪」及び「死体損壊ほう助罪」で起訴されており、これは裁判員裁判ではなく裁判官のみの公判です
この事件の核心は田村瑠奈被告がどのような精神状態であり、犯行をどのように理解し、企図したかです。しかし、浩子被告の公判ではそれが直接、量刑を左右する問題ではありません。あくまで瑠奈被告に命令される従属的な立場であったのか、対等な立場で犯行を計画し共謀し、実行する役割を担ったのか、が問題になります
ですから浩子被告の公判で瑠奈被告の精神鑑定結果を俎上に載せ、その精神状態や責任能力を審議するところまでは至らないのかもしれません
今回は事件についての専門家の見解を報道の中から引っ張り出し、検討してみようと思います


【ススキノ首切断】「私は娘の奴隷」異様過ぎる親子関係が構築された背景を専門家が分析 母親・浩子被告の偽らざる今の心境は
(前略)
娘が暴君として君臨し、父母が無条件に従うという「瑠奈ファースト」の親子関係。言葉を失うほどの衝撃だが、多くの家族問題の相談に乗ってきた「東京家族ラボ」の池内ひろ美さんは「確かに報道には驚きましたが、実のところ似たケースは以前から起きており、その数も少なくないというのが実情です」と指摘する。
「親が子供の言いなりになる原因は、大半が子供の家庭内暴力です。暴君と化す子供に多く見られるパターンとして、成人しても働いたり、学校に通ったりしません。基本は家にいますが、引きこもりかというとそうでもなく、遊びには行きます。つまり“社会生活”から切り離された状態だと言えます。家では常識外れの暴君でも、外出先では普通の人間というケースも珍しくありません」
子供の家庭内暴力に耐えかね、父親が子供を殺害するという事件を思いだした方も多いだろう。1977年の「開成高校生殺人事件」、1996年の「東京湯島・金属バット殺人事件」、2019年の「元農水事務次官長男殺害事件」といった事件は大きく報道され、当時の世相を象徴したものと受けとめられた。
息子だけが暴力を振るった理由
ちなみにススキノの事件と東京湯島の事件は、父親が子供のあらゆる“命令”に従っていたという共通点がある。
湯島の事件で息子を殺害した父親は家庭内暴力の被害者だっただけでなく、衣服の買い物やビデオ録画など、様々な“雑用”を強制されていた。息子に服従することの是非を精神科医に問うと、「一つの技術と考えればいい」とアドバイスされ、息子の暴力や要求に耐え続けたという。
「暴君と化した子供が両親に君臨するという家族のあり方が社会的問題として認識されるようになったのは1980年代ぐらいからだと思います。人間は昔から親類縁者だけでなく、近隣住民の援助を得て子供を育てていました。ところが80年代ごろから日本各地で都市化が一気に進み、父母は血縁や地域社会と隔絶するようになったのです。つまり、子育てのトラブルは両親だけで解決する必要に迫られました」(同・池内さん)
池内さんによると、暴君と化して父母に君臨する子供の性別は、男性だけだった時代が長く続いたという。
「性別の偏りも時代を反映しています。戦前の家制度は戸主に絶対的な権力を与え、その大半は父親でした。出産して男児が生まれると両親や親類だけでなく、社会全体が『跡取りが生まれた』と認識し、大切にしました。そうした“男児優位の常識”が80年代まで残っていたのです。両親や親類だけでなく、ある意味で社会からも甘やかされて育った息子が、家庭内暴力で両親を支配するというケースだけが繰り返されてきたのです」(同・池内さん)
暴君を生む子育て方法
ところが近年、家庭内暴力を起こす子供の性差に変化が生じてきたという。ススキノの事件で明らかになったように、娘も暴君と化し、父母に君臨するケースが増加しているのだ。
「戦前の家制度などの記憶が日本人から完全に忘れ去られ、代わりにジェンダーレス社会が浸透したのが原因でしょう。80年代や90年代までは、『女の子は女の子らしくしなさい。暴力なんてもってのほかです』という社会的圧力が良くも悪くも機能していました。不当な性差別をなくすことで得られた社会的メリットはたくさんありますが、残念なことに暴力を振るって両親を支配する娘も増えてしまったのです」(同・池内さん)
(以下、略)


うーん、というのが第一感です。池内ひろ美氏は家族問題や離婚問題の専門家としてテレビにもたびたび出演し、コメンテーターを務めている人物です。上記の記事のように、過去の家庭内暴力事件にも通じているのですが、「あの事件とこの事件は共通している点があるから同じもの」といった括り方は自分が最も嫌う論旨の組み立て方です。数少ない共通点ばかりに着目するのではなく、個々のケースの相違点にこそ注目し、家族間の力動・愛憎をもっと掘り下げて考えた方がよいのでは?
大家族から核家族へと移るに従い子育て環境も変化したというのはその通りですが、80年代や90年代の家族のあり方を云々することが首なし事件を読み解くことに繋がるとは思えません。過去の家庭内暴力事件と1つや2つ共通点があるとして、同じ範疇の事件と決めつけるのは筋違いなのでは?
過去の家庭内暴力事件のほとんどは父親や母親が誰かに相談することもできず、孤立状態のまま手遅れになり、殺人や傷害に至る…ケースが多かったわけです。しかし、本件の場合は田村父は精神科医であり、診療経験も学識も備えた人物です。なすすべもなくこどもの暴力に手をこまねいていた親たちとは同一視するのは無理があります
これまでの報道では、瑠奈被告の小学生から中学生時にかけての問題行動が断片的に取り上げられるだけで、精神的な病理と絡めた総合的な説明というのはありません。何があったか掴めないまま、過去の家庭内暴力事件と同じものと扱うのは乱暴すぎます
ましてや、ジェンダーレス化の風潮が瑠奈被告の粗暴さを増幅させた、などという可能性もありません
よくも週刊新潮の記者は池内氏の語るところを記事として掲載したな、と思うばかりです
いわばあれもこれも社会の風潮の変化、子育て環境の変化だと決めつけ、だからこうした事件が起こると結論付けるのは本末転倒の解釈ですし、あまりに通俗的すぎると感じます。精神医学や心理学の知見に依拠するでもなく、社会学の知見を用いるのでもなく、ただ社会の病理のせいにするだけの乱暴な見解です

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