書籍「説教したがる男たち」を巡って
かつて朝日新聞では「論座」というオピニオン雑誌を発行しており、中道から左派系、ジェンダー系の人物が論陣を張っていました
オピニオン雑誌が売れなくなって「論座」は廃刊となり、いまでは朝日新聞本紙や系列の雑誌「AERA」に引き継がれています
その朝日新聞が取り上げている本が「説教したがる男たち」(左右社刊)です
女性を無知だと決めつける男性が、一方的に上から目線で説教を始める行動を取り上げ、考察を加えたものです
当ブログではこの本そのものには踏み込まず、自分の体験した「説教したがる男」の行動について言及します
ちなみに朝日新聞の記事は以下のようになっています
出るべくして出た本だった 「説教したがる男たち」が広げた言葉の力
米国の女性作家、レベッカ・ソルニットが、求めていないのに男性から「説教」された経験を元に性差別の構造を指摘した1本のオンラインのエッセーから生まれた言葉が、広がりつつあります。
「マンスプレイニング」
エッセーをまとめた本の邦題は「説教したがる男たち」。邦訳を手がけた英語圏文学者、ハーン小路恭子さんのもとにも、賛否さまざまな声が届いたそうです。この言葉が可視化したものとはなんだったのか、聞きました。
――ソルニットが書いたエッセーは、米国でどのように受け止められたのでしょうか。
パーティーで出会った男性から「重要な本だ」と話題にあがった本は自分が書いていたのに、男性から本の内容について自信たっぷりに説明され、何も言えなかった。隣にいた友人が指摘して気づいたものの、男性は無言になってしまった。これがエッセーでつづったソルニット自身の経験です。
自身の経験や社会の事象から、説教したがる男性と沈黙させられる女性のジェンダーに基づく差別について2008年に書かれたエッセー「Men Explain Things to Me」は、発表したウェブサイトを通じてすぐにネット上で拡散し、多数のコメントがつきました。
(中略)
この本は、説教したがる会話の先にあるジェンダーに基づく暴力の問題など、あえて挑発的に書かれているところがあります。男性にとっては責められているようだとか、女性の中にも、フェミニズムはすごくラディカルな闘争をしている人たちで、自分の日常には関係ないと線を引く人もいると思います。
ただ、男性に偉ぶる性質が内在しているわけではなく、問題は社会の構造に男性と女性の非対称な関係があることです。「説教する」個人を悪く言っているわけではありません。
哲学者の三木那由他さんがマンスプレイニングに関する寄稿でも書かれていましたが、男性と女性の関係に限らず、性的マイノリティーや障害者などの少数者と多数といった別の関係性から生まれる差別もあります。本について講演する機会がある時は、個人に内在する問題ではなく、社会構造を問うていることをしつこいぐらいに言うようにしています。
(以下、略)
非行少年を扱う職場にいた時、職員が非行少年や非行少女に説教を始める場面にしばしば遭遇しました
ただ、非行少年や非行少女というのはこれまでにも親や教師からさんざん説教されてきた側ですから、少年院の教官が説教したり叱責したくらいでは何も響きません。「受け流し、聞き流し、心の内には響かないまま」である場合が多いのですが、説教する側は「いいことをした」との思いで充たされてしまい、彼ら彼女らの心情を考えようとしないケースがあります
若い法務教官と話をする際、こうした「ムダな説教」をしばしば例に挙げました。しかし、熱心な教官ほど「自分は非行少年たちの心に響くよう話しかけている」と自認し、説教の効果について客観的に考えようとはしません
また、ベテランの教官の中にも説教が転じて自分の経験譚を語り始める人がいました。非行少年は先輩暴走族の話には共感し耳を傾けますが、心情的にも年齢的にも異質な教官の経験譚をどこまで受け入れられるのかは疑問です
上記のように説教をしたがる人が多いように、自分の経験譚を語りたがる大人が多いのは確かです。少年院には慈善事業や社会貢献の一環として「少年たちに話をさせてくれ」とやってくる人たちがいます。事業家として成功した人物や、社会的な地位を得ている人物、テレビで人気のタレントなどなど
こうした方々の善意は疑いようもないのですが、彼らの経験譚や成功譚がどこまで少年の心に響き、共感を呼び起こすかは不透明なところがあります。話をする側には、「自分の苦労した経験、成功を得た経験から何かを汲み取ってほしい」との思いがあるものの、きちんとしたテーマに沿って話をまとめられる人もいれば、散漫なエピソードの羅列で終わってしまう人もいます
教育というのは何を学ばせるか、習得させるか、理解させるか、納得させるか明確な目的があり、その習得に向けた働きかけが教育です。「何かを汲み取ってほしい」という、あいまいな語りは教育とは呼べません
己の手柄話、自慢話に終止するようでは時間のムダですし、単なる知識の羅列では頭に入らず心にも響きません
「男だから、女だから」との立場について論じるのも「あり」でしょうが、やはり相手に何を伝え何を理解させたいのか、相手の心に響かせるにはどのような語りかけが必要なのか、繰り返し考え方法を模索し続けなければなりません
これは説教だけに限らず、他の場面でも言えます。学校で体罰やいじめが発覚した場合、保護者を集めて説明会が開かれたりします。しかし、教師たちは普段、上から目線で生徒に話す習慣に浸っているため、保護者相手に何をどう伝えればよいのか判断できず、しどろもどろの説明に終始するのがしばしばです。あるいは情報提供を頭ごなしに拒絶し、反感を招いたりもします
政治家が説明責任を指摘されても、有権者やメディアが納得するような説明ができないケースも同様です
当ブログも、ともすれば一方的な語りに終始しているのですから、自分もまだまだです
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