白浜町保険金殺人 控訴審判決を考える

既に当ブログで取り上げたように、2017年に和歌山県白浜町でシュノーケリング中の妻が水死した事故が、夫による保険金殺人であると疑われた事件で、野田孝史被告に対し1審の和歌山地裁は懲役19年の判決を下し、2審の大阪高裁も懲役19年としています
以下、控訴審判決の内容についてのテクニカルな考察が中心となります。一般の方にはあまり興味の湧かない話でしょうが、自分の関心事なので思うところを含めて書きます
おそらく野田被告は計画を練りに練って完全犯罪を目論んだのでしょう。妻に掛けていた多額の死亡保険金を受け取り、不倫関係にあった女性と再婚するところまで織り込んでいたものと思います
ただ、この事件の控訴審は異例なものでした。控訴審は控訴理由に十分な根拠があるかどうか、1審での判断の上に立って行われます。控訴した被告側が無罪を立証する新証拠を出すとか、新たな証人を立てるとかしない限り、公判は1回で終わり結審するのが通常です
しかし、控訴審を担当した裁判官は1審の判断に納得できない点があったのか、まるで1審判決を添削指導するかのごとく判決文は72ページにも及んだと報じられています。おそらく1審の判断の甘さに我慢ならなかったのでしょう

控訴審判断の要点
控訴審判決が特に問題視したのは、シュノーケリング中に溺れて亡くなったとされた野田志帆さん(当時28歳)の胃に大量の砂が見つかった点です。1審はこれを志帆さんが無理やり海底に押し付けられたため、海水とともに大量の砂を飲み込んだ結果、と判断しました
が、志帆さんの遺体から回収された砂は廃棄されており(当初は事故死扱いだったため)、砂を有罪の決め手とするのは無理があると控訴審は判断しています。1審判断を根底から覆す控訴審の判断なのですが、それでも控訴審は野田被告による計画的犯行だと認定し、懲役19年の有罪判決を下しています
以下、関西テレビの記事から一部を引用します

(前略)
高裁では、1審の「多量の砂」を根拠とする殺害認定について、「砂が廃棄されて存在しない中、目撃した砂の量を認定するのには無理がある」と、量について否定した。
さらに、水難事故の専門家が主張した多量の砂を含む海水を飲み込むメカニズムについても「医学的知見に反し採用し得ない」と退けた。そして、「事故や自殺の可能性も否定できず、胃内にのみ相当量の砂が入ったのは不自然というだけで、殺人事件と判断した1審判決は不合理」と判断したのだった。1審で有罪の決め手となった証拠を否定したのだった。
これでは、結論は覆りそうだ。しかしそれでも、高裁が「有罪」と判断したのはなぜなのか。72ページにも及ぶ判決文には、その判断理由となった間接事実が積み上げられていた。
■積み上げられた間接理由 「殺害計画と符合する溺死」
野田被告は事件の約5カ月前に交際相手に婚約指輪を渡してプロポーズ。その後、相手の妊娠がわかると、被告の両親に交際相手と結婚したいと告げ、7月末までに離婚届を提出すると約束した。
一方で、妻の志帆さんに離婚を切り出すことはなく、事件の1カ月前に不倫と相手の妊娠を知られると野田被告は「一生をかけて償わせてほしい」と謝罪し、関係の修復を求めた。志帆さんは「相手の女性が中絶しなければ即離婚する」などと母親に話していたという。
【ウェブ検索と保険契約】
野田被告は、不倫相手と交際以降、被告人や志帆さんを被保険者とする生命保険を締結し、海水浴中の死亡事故や溺死事故に見せかけた殺人などに関するウェブの検索や閲覧を繰り返すようになる。そして事件前日にも「溺死に見せかける」と検索したり、「完全犯罪ってできるんですか?」というサイトを閲覧していた。
【殺害計画と符合する溺死】
大阪高裁は、こうした背景を根拠に被告人が近い将来、交際相手と結婚することを望んでいて、新生活を始めるためにまとまった資金を準備する必要があったとし、「溺死に見せかけて殺害し保険金を得るという計画を思い立った」と指摘。
そして、「溺死による死亡は、その計画に完全に符合するもので、2人きりとなった約20分間に計画とは無関係に自殺や事故が偶然実現される可能性はおおよそ考え難い」と、自殺や事故の可能性を排斥し、1審同様に「殺意をもって、海中で何らかの方法により被害者の体を押させつけて溺水させた」として野田被告による殺害を認定したのだった。
(以下、略)


具体的な殺害方法を特定しないまま「殺害したもの」と断定するのはかなり乱暴なやり方です。ただ、犯行現場は海辺であり、野田被告以外の第三者がたまたま偶然志帆さんを殺害するとは考えられませんし、シュノーケリングのインストラクター資格を持つ志帆さんが簡単に溺れる可能性もまず考えられません。控訴審では死亡原因=殺害方法より、野田被告による計画性に着目し、志帆さんを必ず殺害しようとする強い動機がある点を重視した判断です
控訴審を担当した判事が、1審の和歌山地裁の判事に対し、「刑事裁判はこうやるもんだよ」とマウントを取りに行った感も否めませんが
ただし、上記の関西テレビの記事には続きがあり、そこでは弁護士から控訴審の強引な判断への苦言が取り上げられています


■冤罪・誤審の研究をする弁護士「検索履歴等を有罪の証拠に用いることは慎重であるべき」
元刑事裁判官で冤罪・誤判の研究も行っている西愛礼弁護士は、「1審は「胃の中の砂」など医学的証拠だけから有罪を認めたが、各種医学的証拠から分かることが限られているため、そこまでの推認を認めなかった控訴審の判断は妥当」と総合的に判断した点を評価する。そのうえで、控訴審は「検索履歴」等の被告人の言動も総合的に考慮して有罪を認定しているが、「検索履歴」等を有罪の証拠に用いることには慎重でなければならないと警鐘を鳴らす。
【西愛礼弁護士】「検索履歴を有罪の証拠に用いるかどうかについては、検索の意図について多様な解釈があり得ることや、偶然発生した事故や自然死が他殺と間違えられてしまう危険から、基本的に慎重でなければならないものと考えられている。例えば、世の中には日々様々な理由で『殺人』などと検索している人がいるかもしれないが、ある日偶然にその人の周りで亡くなった人がいる場合、それらの人全てが容疑者になってしまう危険がある。また、『殺害計画』というストーリーの認定自体が有罪という結論の先取り(予断)になってしまっていないかという問題もある」
(関西テレビの記事から引用)


自分が学生の頃は、「立証の中に1点でも疑わしい内容があるなら、それは被告人の利益とすべきである=無罪判決とすべき」との法理を刑法の授業で教えていました。ただ、大学ではそう教えていても、実際の裁判で疑わしい点や不明な部分があったからといって、無罪判決が言い渡される例はさほど多くはありません
野田被告は控訴審判決を不服として最高裁に上告しています。最高裁がもしも、「控訴審判決では審議が尽くされたとはいえない」として差し戻しを決めたなら、またややこしい話になりそうです

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