少年死刑囚の話 小松川事件(昭和33年)
甲府放火殺人での遠藤裕喜被告は犯行時19歳です。「犯行時19歳だった被告に死刑を求刑するのは大間違いだ」とする声も一部にはあります
ただ、戦前であれ戦後であれ、少年による凶悪な殺人事件はいくつもあり、犯行時18歳、19歳でも死刑判決を言い渡され執行された例があります
今回はその中から昭和33年の小松川事件を取り上げます
事件の経緯
事件は昭和33年8月17日、東京都立小松川高校の定時制生徒だった17歳の少女が行方不明になったところから始まります
その3日後、読売新聞社に「特ダネをやる。少女を殺した。死体は小松川高校の穴の中にある」と匿名の電話がかかってきます。電話口で少女の名前が告げられ、それが行方不明になっていた少女の名と一致したことから、新聞社は所轄警察署に連絡したのですが、高校の敷地内を捜索しても穴は発見されないままでした
そして再び犯人とおぼしき男から警察に電話があり、遺体が校舎屋上の配管を通すための穴の中にあると告げられ、捜索の結果行方不明だった少女の腐敗死体が発見されます
事件の捜査
犯人と推測される男はその後も新聞社に電話をし、「完全犯罪だから捕まらない」と自信をほのめかしたり、遺品(被害者が所持していた櫛や手鏡)を送りつけてきたりしています。また、犯人を真似て警察や新聞社にいたずら電話をかけてくる輩もいて、捜査が翻弄されたりもしました
新聞社への電話の中で、記者から「探偵小説に興味があるのか」と質問された犯人は「ないよ。世界文学は好きだ。プーシュキン、ゲーテ、特にゲーテの『ファウスト』の一部がいい。ドストエフスキーの『罪と罰』は言葉のアヤといい全く迫力があるね。しかし断っておくけどこれから暗示は得ていない。無意識で頭の隅にあるかどうかは判らないけどね。じゃ切るよ。もうかけないよ」と答えています。この時の通話は30分ほどにも及び、新聞社は録音していました。警察がこの音声を公開し、ラジオのニュースで流されるや「似ている声の男がいる」との情報提供があって、在日朝鮮人の工員で小松川高校定時制の生徒であった李珍宇(イ・チヌ)=当時18歳が逮捕されます
犯行を自供
逮捕時、李はニンンマリと笑い「とうとうやって来ましたね。やはり完全犯罪は敗れましたよ」と述べた後で「後に残る両親や兄弟が本国へ送還されることのないよう考えてくれ」と述べたそうです
さらにその年の4月、工場の賄い婦をしていた24歳の女性を殺害したことも自供しています
こうした一連の李の自供から、2人の女性を絞殺後屍姦していたと判明しています(公判では24歳女性への屍姦を否認。殺害は認める。検事の誘導により調書が作成されたと主張)
裁判とその社会的反響
李珍宇は亀有の朝鮮人集落で生まれ、その暮らしは悲惨極まりないものだったとされます。父親は窃盗で何度も逮捕歴があり、同居していた叔父もスリで何度も逮捕されている環境で、いわば生きるためなら何でもやるという家庭でした。現代の若い方には想像もできないのでしょうが、自分のこどもの頃にはまだ各地に朝鮮人集落があり、トタン板の屋根の上に風で飛ばされないよう石を乗せ、ありあわせの板をツギハギした壁の粗末なバラックが並んでいたものです
教科書も買えない李は友だちから借りた教科書を書き写して勉強していたそうで、国語の成績は良く読書家でもあったとされます。ただ、読書好きが高じて公立図書館の本を160冊あまり盗み(ほとんどが外国文学)、家庭裁判所で保護観察処分を受けてもいます
また、自ら小説も書き、読売新聞主催の新人文学賞にも応募していたと判明しています
こうした文学青年の在日朝鮮人という面にほだされたのか、当時の作家たち(吉川英治、大岡昇平、木下順二ら)が李の助命嘆願を求める声明を発出したりしています
死刑執行と冤罪説
事件から4年後、李の死刑は執行されています。判決確定から執行まで異例の速さです
ただ、この事件については李本人の自供はあったものの、冤罪説が根強く残っています。
李は再審請求の準備をしていたようですが、再審請求を待たずに死刑が執行されたというのも冤罪を隠すためだったのではないか、と言われます。また、恩赦の請願がなされていたのですが、恩赦の審議をしている中央更生保護審査会に法務大臣の秘書官が駆け込んできて、「死刑執行することになったので恩赦の請願は棄却するように」と伝えられた、というエピソードも残されています
ただ、戦後の恩赦や特赦は国家の慶事に機に実施されているのがほとんどであり、個別に李に対して恩赦(死刑から無期懲役への減刑)が与えられる可能性があったのかは大いに疑問です
李珍宇を殺人犯に仕立てる国家的な陰謀があり、その露見を恐れて急いで死刑を執行した…というのでは陰謀論でしょう
この小松川事件を取り上げた本が数冊、出版されており古書店で入手可能です。また、冤罪説を開陳しているウェブサイトもあります
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