ビリー・ミリガンと多重人格の話(2)

ダニエル・キース著「24人のビリー・ミリガン」について2度目の言及になります。前回もお断りしたように、自分はこの本を読んでいません。なので、内容そのものを取り上げるのではなく、この本の影響・反響について、あるいは自分の過去の記憶について述べます
読書家にして教養人である松岡正剛は彼のウェブサイト「千夜千冊」でこの本を取り上げ、以下のように述べています


松岡正剛の千夜千冊 『24人のビリー・ミリガン』
(前略)
それにしても、なんという錯乱だ。なんという統制だ。これらがすべて事実であるらしいということ、これらが一人の意識に生じたメンタルだが、同時にフィジカルな並列処理であったということを、どう説明すればいいのだろうか。まさに想像力の極点に生じた混入と統制の出来事なのだ。
これはビリー・ミリガンにのみおこった精神医学史上でもまことに稀有な奇蹟というものなのだろうか。それとも、何人の上にもおこりうることなのか。
このような壮絶な現象に対して、精神医学界は呆然としたままにある。鑑定医師の公式見解では、ビリーにこのような異様と異常がおこったのは、母親に対する分離不安と養父による児童期の虐待によるというのだが、これだけでビリー・ミリガンの異常の説明になるのか、わからない。
幼児期に受けた「心の傷」がトラウマとして主因になっているという説もあるが、それもはっきりしない。精神医学はややお手上げなのだ。著者のダニエル・キイスも原因説明にはまったくふれないようにして、この大著を綴っている。
説明ができないというなら、それはそれでいい。事実をつぶさに観察するだけが「心の科学」だというのなら、それはそれでいい。説明などかえってないほうがいいこともある。しかしながら、これまで多くの精神障害についてさんざん“説明”と“結論”を繰り出してきたわけでもある。それで犯罪と精神疾患の関係をあいまいにしたりもしてきたわけだ。そうなると、どの精神医学が説明を引きとり、どの精神医学がただの傍観者であるのかということを、精神医学が自分のために説明をすべきなのである。本書を読んでいると、精神医学が無力なのか過剰なのか、そこすらわからなくなってくる。
(以下、略)

多重人格研究の歴史
前回も指摘したように、この本はダニエル・キースによる読み物であり、いわば小説です。なので、精神医学がこの本を無視している、との松岡正剛の指摘は的を射たものとは思えません。この本は症例報告や研究論文ではないのであり、精神医学界がなすすべもなく呆然としている、との表現は間違いです
「ビリー・ミリガン」日本語版の出版は1992年ですが、それ以前から日本でも多重人格(解離性同一性障害)の研究は存在します。松岡正剛はもちろん精神科医でも心理学者でもありませんから、日本及びアメリカの研究例など把握しないまま書いているわけです
以前も引用したのですが、家族心理学年報16巻「パーソナリティの障害」(日本家族心理学会、1998年)には一丸藤太郎による「多重人格性障害と家族」と題した論文が収録されています
それによれば、多重人格は19世紀末から20世紀始めにかけて関心が高く、特に精神分析分の誕生と発展に大きな影響を与えたが、1920年代以降は症例研究が下火になったと説明されています。一過性の流行にすぎず、もやは多重人格障害なるものは存在しないとまで言われたのだとか
しかし、1970年代後半から家庭内の虐待や育児放棄によって人格に障害をもつ例の報告が北米で激増した、とあります
なので、ビリー・ミリガンの物語もその時代にあたるわけで、こどもへの虐待⇒人格障害というものが再び社会問題として認識され始めたとの背景を理解しなければなりません。1996年にアメリカ精神医学の診断マニュアルは「多重人格性障害」ではなく、「解離性同一性障害」の呼称を使うようになっています
なお、一丸論文の中では日本で報告された多重人格症例が13件が列挙されています。それら過去の症例については、機会があれば取り上げるつもりです
電気ショック療法
ビリー・ミリガンは連続強盗強姦事件を起こして逮捕された犯人であり、犯罪者として世間は彼に厳しい目を向けたのが実際です。そのためビリーは劣悪な待遇の精神病院を転々とさせられ、治療とは名ばかりの拷問のような医療措置が実施されます。その1つが電気ショック療法です
患者の頭部の左右に電極を当て、通電させるというアレです
以前、昭和30年代に少年刑務所の勤務医をしていた方と話をした際、「今はもう(受刑者に)電気をかけたりはしてませんよね」と言われた経験があります。刑務官に反抗したり、騒いだりする受刑者を医務室に引っ張ってきて「電気をかける」という行為が一種の懲罰のように実施されていた、という話です。刑務所に電気ショックを与えるための設備があったのにも驚かされました。当時、刑務官は受刑者に対し、「電気をかけるぞ」と口にするのがある種の脅し文句だったようです
日本の刑務所にいつ頃から電気ショックを与える設備が導入され、いつ頃撤去されたのか、調べていないので不明です
ビリー・ミリガンの時代にもアメリカの精神病院では電気ショック療法が用いられていたのですが、治療というよりも反抗的な患者への罰として使われていたのでしょう。当時はまだ精神病の治療薬の発展途上であり、電気ショックを与えると一部の患者には治療効果があると信じられていました。その後、さまざまな精神病の治療薬が開発されるのですが、こうした薬の臨床試験にも入院患者たちが動員されています。いわば人体実験です
なお、電気による治療は現在でも実施されており、麻酔を使用して患者を眠らせた状態にし、筋弛緩剤も投与して慎重に行われているのだそうです。抗うつ剤などによる薬物治療で効果が得られない患者に対し、患者本人や家族の同意を得て実施され、一定の効果があるのだとか
してみると、ビリー・ミリガンの時代は麻酔など使用しないで電気ショックを与えていた、のでしょう。日本の刑務所でも同じだったと推測されます
人格統合
最後に、「24人のビリー・ミリガン」では「教師」という人格が出現し、これがビリーの中にある23の人格を統合しよう試みる…ようです(未読なので、そこはよく分かりません)
ただ、現在の解離性同一性障害の治療では「人格の統合が必ずしも最適ではない」とする考え方も出ています。それぞれの人格と折り合いをつけ、共存する中で着点を探る…という方向性のようです。ただ、これといって決定的な治療モデルはなく(症状がそれぞれ異なるので)、試行錯誤が続いているのが現状です

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