いまさら「アニメは映画じゃない」論を考える
殺人事件や性犯罪ばかり取り上げていますので、ちょっと気分転換です
2018年に「映画芸術」という映画関連雑誌の編集人荒井晴彦が「アニメーションは映画ではない」と発言し、ちょっとした騒ぎになる出来事がありました。世間一般の耳目を集めることもない「コップの中の嵐」のような論争でしたが、あらためて取り上げてみます
ランキングからアニメを除外の「映画芸術」に聞いた「荒井晴彦さん、あなたはアニメが嫌いなのですか?」
今、アニメ関係者の中でひとつの雑誌が話題になっている。荒井が編集発行人を務める「映画芸術」(編集プロダクション映芸)が、それだ。映画批評誌の中では老舗に位置づけられる雑誌。その最新号に掲載された「日本映画ベストテン&ワーストテン」。年1回発表される同誌のランキングで、2017年の作品からアニメ映画を除外したことが話題になっているのだ。
その除外に至る論理、議論。アニメを外すなら選考を辞退することを決めた映画評論家の主張などは、これが掲載された最新462号に掲載されているので、興味のある人は各自で目を通してもらいたい。
ともあれ、最新462号の発売と共に、主にアニメ関係者から、さまざまな形で批判が噴き上がった。「アニメが嫌いなのではないか」「CGが当たり前になっているのに、実写とアニメに違いはあるのか」。
個々の意見はさまざまだが、主要なものは荒井が「アニメが嫌い」で「考え方が古い」というもの。そうした意見の背景には、アニメ映画は大勢の観客を動員し、世界的にも評価されている。それに対して、実写はどうなのか。ネットではさまざまな言葉を費やして、単なる対立軸ではない問題だとを書き連ねるものも目にした。
(中略)
冒頭の通り、少し考えてから荒井は話し始めた。
「『君の名は。』を映画館で観た時に思った。この映画館にいっぱいいる観客の人たちは、普通の映画を観ないのだろうか。よい映画というのは、映画の100年以上の歴史の中で、いっぱいある。けれど、ここにいるのは、そういうものがあることを知らない人たちなのではないかと。それで『いい映画だ』『いいアニメだ』と、言っているのか……そんなことを思ったのです」
では『この世界の片隅に』は? 私が訊ねると、しばらくして、ようやく荒井の口が開いた。
「ん……どうしてこれが評価されるのか、よくわからなかった。時代考証をよくやっているという人は、私の周りにも多かった。でも、私は『(絵で)描けばいいんじゃないか』としか思わなかった。これまで、ぼくも実写で戦争中の日常を撮ったことはあるけれども、そういった評価はなかった。具体的に揃えるのは大変なのに……」
私は、これまで50回くらい『この世界の片隅に』を観ている。そんな私にとっての「名作」に与えられる批判にも、苛立ちはなく新鮮に聞こえた。荒井は言葉を続けた。
「あの映画は評価されている。けれども、この映画は、日本の映画の中にずっとある戦争イコール被害の流れの中にある映画と同じ……被害だけを語っている……」
被害だけを語っているという見方が気になった。
(中略)
また、少し考えてから荒井は口を開いた。
「『君の名は。』を観た時も、また疑問を感じた。これは、歴史修正主義……あったことをなかったことにしてしまうのは、映画のルールとしてやってはいけないこと。劇中では、隕石落下がなかったことになる。それは、東日本大震災だったり、戦争だったり、そういうのもなかったことにしてしまう思想。それは、あれだけの大勢の人がいい映画だと思って見ていることは、なんなのだろうと思う……」
(以下、略)
上記の文はライターの昼間たかしによるものです。荒井晴彦は「戦争の描き方が気に入らないからアニメーションはダメだ」と発言している、と解釈して間違いないでしょう。実写の日本映画にも戦争を描いた作品が多くあります。が、戦後の左翼活動家視点で戦争を批判的にとらえ、描かなければダメだ、と荒井は考えているのだと伝わってきます。それはもはや芸術表現やエンターティメントの方法論の話ではなく、政治的信条の問題でしょう
サイゾーの記事では触れていないのですが、荒井晴彦がアニメーションを批判する理由として、「役者が体で演技をしていない」と指摘しています
これも随分と浅い批判であり、役者が演じてこそ映画であるとする古臭い考え方です
アニメーション監督の押井守には、「すべての映画がアニメになる」と題する著作があります。これを読めば、いまどき真面目に映画らしい映画を制作しているのが実写映画畑の人たちではなく、アニメーション畑の人たちの方だという気がしてきます
かつて黒澤明監督は、映画を撮る前に膨大な枚数のコンテを描いていました。自分が映画として表現したいイメージを水彩画で描き、カメラマンや照明、大道具、小道具、衣装のスタッフに提示します。しかし、現代の若手監督の中でこれだけ詳細な絵コンテを用意する人はほとんどいないと思われます。役者を集めて、脚本の読み合わせをし、そこで演技指導もするという形が多いのでは。その段階でどのような絵を撮るのか、イメージは監督の頭の中にあるだけで、役者たちやカメラマンにはさっぱり伝わっていません
逆にアニメーション制作の場では脚本から秒単位でコンテを起こし、そこから原画を描きます。監督や演出担当者、作画監督らがキャラクターの動きを把握し、作り込みをしていくわけです。これこそ映画的な手法でしょう
さて、上記の荒井晴彦の批判「役者が体で演技をしていない」への回答として、押井守監督作品の劇場版「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」を挙げましょう
主人公草薙素子の体(それ自体が絵なのですが)は、時に隆起し、時に破断するまで酷使されます。これこそ、生身の役者では実現不可能な演技でしょう。肉体よりもそこに宿るゴースト(魂)をテーマにした作品ですから、「役者による肉体の表現こそ至高」などという考えがばかばかしいくらい古臭いものだと教えてくれます。まあ、荒井晴彦にこの作品は理解できないのでしょうが
映画評論家の肩書を持ちながらも、自分の理解が及ばないアニメーションは「駄作だ。くだらない」と言って論じるのを避けてている(逃げている)ようでは、アニメファンから笑われてしまいます
主人公草薙素子の体(それ自体が絵なのですが)は、時に隆起し、時に破断するまで酷使されます。これこそ、生身の役者では実現不可能な演技でしょう。肉体よりもそこに宿るゴースト(魂)をテーマにした作品ですから、「役者による肉体の表現こそ至高」などという考えがばかばかしいくらい古臭いものだと教えてくれます。まあ、荒井晴彦にこの作品は理解できないのでしょうが
映画評論家の肩書を持ちながらも、自分の理解が及ばないアニメーションは「駄作だ。くだらない」と言って論じるのを避けてている(逃げている)ようでは、アニメファンから笑われてしまいます
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