京王線刺傷事件を考える 判決内容を読んで
昨日、服部恭太被告に懲役23年の判決が言い渡されました。報道では速報扱いで、判決の中身にまで言及していなかったため、本日あらためて判決の中身について取り上げます
刃物で刺して負傷させた被害者については殺人未遂を認め、ライターオイルに火をつけて乗客の生命を危険にさらした犯行では、検察が乗客12人に対する殺人未遂を主張したのに対し、判決では「12人のうち2人は生命の危険があったとは認められない」として退けています
それでも懲役25年の求刑に対し、懲役23年の判決を言い渡しのですから検察側の主張をほぼ認めた内容といえます
判決理由で竹下裁判長は、被告は元婚約者が別の男性と結婚したことや、勤務先で不本意な部署異動を命じられたことから自暴自棄となり、自殺や、死刑になることを考えたと指摘。「自分勝手な理由から、偶然電車に乗り合わせた多数の乗客の生命を狙った無差別的な犯行。多くの死傷者が出てもおかしくない状況だった。被害者の苦痛、恐怖や不安は計り知れない」と非難した。
一方で、検察側が放火による殺人未遂の被害者とした乗客12人のうち2人については、被告がライターに点火した時点で「死亡の危険性のある場所にいたとは認められない」として殺人未遂罪の成立を認めなかった。
判決言い渡し後、竹下裁判長は被告に「23年というのは長い服役期間だ。苦しくても生きて、きちんと(被害者への)対応や償いを忘れないでほしい」と語りかけた。
判決によると、21年10月31日午後8時ごろ、東京都調布市内を走行中の電車内で男性の胸をナイフで突き刺し約3カ月のけがを負わせ、ライターオイルをまいて火を付けて別の乗客10人を殺害しようとした。被告は人気映画「バットマン」の悪役ジョーカーを参考にした仮装で犯行に及んだとされ、公判では「人を殺して、死刑になりたかった」などと述べていた。
◆未遂でも重い量刑…無差別犯行に厳しい判断
服部被告に対する懲役23年の判決は、他の殺人未遂事件と比べても非常に重い量刑となった。多数の乗客の生命を狙った無差別的な犯行の危険性や、社会的影響の大きさを考慮し、厳しい判断を下したといえる。(岡本太)
刑法は、殺人未遂罪の刑罰を殺人罪と同じ死刑、無期懲役もしくは5年以上の懲役とする一方で、未遂にとどまったことによる減刑の規定も定める。司法統計年報によると2021年、第一審の殺人未遂罪の有罪判決79件のうち懲役10年以下が71件を占めた。
ただ、殺人未遂罪でも無差別的な犯行には厳しい判決が出る傾向がある。19年元日未明、東京・原宿の竹下通りで軽乗用車を暴走させ、8人に重軽傷を負わせた事件の公判では、殺人未遂罪に問われた被告に懲役18年の判決が言い渡された。先月の小田急線刺傷事件の公判では乗客3人に重軽傷を負わせたとして、被告に懲役19年の判決が言い渡された。
今回の量刑は、それらをさらに上回るものだ。判決では、車内への放火が「公共の危険が発生する可能性をはらむもので非常に悪質」と指摘され、「単独で行われた通り魔無差別的な殺人未遂事件という同種事案の中でも特に重い」と判断理由が示された。
(東京新聞の記事から引用)
これまで取り上げてきた「別れた彼女への未練」についてはさらりと流した格好で、こども時代のいじめられた体験については言及されているのかどうか不明です。おそらく「いじめられた体験が反社会的行動を生む」との考えを裁判官は採らなかったものと推察されます
さて、心理学者の原田隆之はこの事件について、以下のように述べています
家族、友達、学校、そして職場などといった、みずからを取り巻く「社会」のなかで、豊かな対人関係やコミュニケーションをもつことができなかったり、ネガティブな体験ばかりしかできなかった人がいれば、その人にとって社会はもう愛すべきものではなくなり、そこから孤立していく。あるいは、ポジティブなコミュニケーションを受けているのに、それをゆがんでネガティブにとらえてしまう認知傾向があれば、やはり同様の結果となってしまう。
このように「孤立」や社会からの「断絶」は、人を「非社会的」にする。そして、そのなかでもすでに述べたような反社会的なパーソナリティや態度を有している者は、社会に対して敵意や憎悪を募らせたり、罪を犯すことにためらいがなくなったりして、「反社会的」になっていく。
裁判で明らかになった服部被告と對馬被告の生活歴を読み解くなかで、それぞれ犯罪の動機は大きく違っても、社会からの孤立を深め、反社会的傾向を強めていくストーリーが明らかになったように思う。
原田の考えは犯罪の要因であるリスクファクターを重視し、エピデンス(根拠、裏付け)に基づいて社会問題、犯罪を理解しようとする立場であり、エピデンスに欠けた言説や似非科学を排除して科学的な視点から取り組む方法です
この場合、精神分析はエピデンスを欠いた言説として排除されるのでしょう
精神分析の側からすれば事件は服部被告個人の物語であり(被害者を無視する形になるのでごめんなさい)、個人的な体験として語られるべきものです。反社会的行動と映る犯行も、服部被告自身はさほど反社会的な思考の持ち主ではなく、社会を強く憎悪している側ではなかったと自分は解釈します
そこにあるのは絶望であり、自分の力ではどうしようもない呪縛だったのではないか、と。その呪縛(客観的に見れば自分で自分を縛っているのですが、服部被告は自分以外の何かによって身動きできないほどがんじがらめにされ、悪い方へ悪い方へと引き込まれていく感覚)のまま、無差別に人を殺し死刑になるしかない=死刑になれば自分は解放され楽になれる、との考えに行くき着いたのでは
もちろん、こうした仮説は検証不可能であり、1つの想起として自分の中に浮かんだものですから、エピデンスを欠いた言説とされるのでしょう
ただ、裁判を通じて服部被告が訴えたかったのは「どうしようもない絶望」と、「別れた彼女への未練」であり、非社会性とか反社会性といった概念ではなかったはずです
原田の考え方は刑事政策としては正解であり、ドロップアウトした若者やドロップアウトしかけた若者をどう救済するかという、政策立案の基礎となるのでしょう。対して精神分析はあくまで個人的な体験を理解の中に落とし込み、昇華させるものですから刑事政策とは全く別次元の話です
関心のある方は原田隆之の記事を一読してください京王線刺傷事件判決 孤立し絶望した男は、なぜ「ジョーカー」になり社会に刃を振るったのか
https://news.yahoo.co.jp/byline/haradatakayuki/20230731-00360039
(関連記事)
京王線刺傷事件を考える ジョーカー男に懲役23年判決
京王線刺傷事件を考える いじめ被害が原因なのか
京王線刺傷事件を考える ジョーカー男に懲役25年求刑
京王線刺傷事件を考える 公判で殺意は「わかりません」
京王線刺傷事件を考える ジョーカー男殺人未遂で起訴
京王線刺傷事件を考える 精神鑑定実施へ
京王線刺傷事件を考える 死にたがり男の凶行
京王線刺傷事件を考える ジョーカー男の心理
京王線刺傷事件を考える ジョーカーのコスプレ
「死刑になるため他者を殺害」 無差別殺人に共通点?
映画「ジョーカー」 あの山上徹也被告にも影響を与えた
相次ぐ列車内殺傷事件は承認欲求の産物?
玉川徹「社会に牙をむく若者が増えるのは当然」
「無敵の人」 ジョーカー男の無差別殺人への一考
小田急切りつけ男 懲役20年求刑
小田急切りつけ男 公判での呆れた言い分
小田急切りつけ男 初公判で起訴内容認める
小田急切りつけ男 女性憎悪犯罪なのか?
小田急切りつけ男 懲役5年から7年という説
小田急切りつけ男 勝ち組女子大生を狙った