宮崎駿作品「君たちはどう生きるか」で賛否

引退を撤回して劇場版長編アニメーション制作に復帰した宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」が公開されています
従来のジブリ作品であれば公開前にテレビで特番を流し宣伝するのが常でしたが、本作では一切宣伝していません。それを「戦略」だと指摘するメディアもあるのですが、実際は「テレビカメラの前に出て自作を宣伝するのに疲れてしまった」のではないか、という気もします(82歳です)
作品の方は高評価、低評価に分かれており、従来のようなファンタジー色の強い宮崎作品を期待したファンからは強い批判が出ています。他方で高評価を与えている人たちは、この作品から何か特別なものを感じ取ったようで「刺さる人には刺さる作品」と表現しています
自分は観ていないので作品そのものについて語れる点は何もないのですが、取り上げます


宮﨑駿『君たちはどう生きるか』の感想が絶賛派と酷評派に二極化した3つの理由【ネタバレなし】
(前略)
● 絶賛派と酷評派に共通する感想 他のジブリ作品以上にタイトルが気になる?
本作品についての数々の評価を手動でスクリーニングして見比べたところ、絶賛派(高評価)と酷評派(低評価)、その両極においても共通している「作品への感想」がいくつかあった。以下である。
●「内容が難しい。あるいは理解不能」
絶賛派は「よくわからなかったけれど、なんかとにかくすごくよかった」との声(もちろん自分なりの解釈で理解して絶賛に至る人も多数いる)。酷評派は「物語として破綻している」という着眼点である。まれに「わかりやすかった」という人もいる。
なお、初号試写会(関係者向けの試写会)後に読み上げられた監督自身のコメントでは、冗談めかして「おそらく、訳が分からなかったことでしょう。私自身、訳がわからないところがありました」と語られている。(参照)
●「過去の宮﨑駿監督作品の要素をいくつも見つけた」
多くの人がこの最新作に、過去の宮﨑駿監督作品との類似、共通点、もっと積極的にはセルフオマージュを見いだしたようであった。
●「観客をだいぶ突き放して制作されている」
作品内にて説明が十分に行われないまま物語が進んでいく箇所がいくつかあり、絶賛派はそれを「監督が自身の芸術性を気が赴くままにいかんなく発揮している」と好意的に受け止めた。一方、酷評派にはそれが「自己満足」と映ったようである。
また、これは感想ではないが、「本作に託されたメッセージは何かと探求する姿勢」も絶賛派・酷評派に共通して見られる傾向であった。絶賛派は「これがメッセージなのでは」と手応えを感じていて、酷評派は「大上段に振りかぶっておきながらメッセージはない」と切り捨てている。
何しろタイトルが『君たちはどう生きるか』と、分厚いテーマを直球でぶつける問題提起である。公開前の事前情報がタイトルとポスタービジュアルくらいしかなかったから、従来の作品に比べて本作はタイトルに意味がより強く求められたであろうことは想像に難くない。
なお、『君たちはどう生きるか』は、宮﨑駿監督が子どもの頃に読んで感銘を受けたと語る吉野源三郎氏の同名小説から名前を拝借したもので、内容はまったくの別物である。
(以下、略)


過去の宮崎作品と同じく、監督1人が構想を練り脚本を書き、絵コンテも仕上げたのでしょう。つまり、そこに他人の意見が入る余地はまったくないのです。従来の宮崎作品はこうした独断的な手法で作られているため、話の辻褄が合わない部分やおかしな展開がいくつもありました。が、ジブリのアニメーターたちが大御所である宮崎監督に、「ここはおかしい」などと言えるはずもなく、そのまま公開されるのが常だったと思われます
作品に対するインタビューや疑問、批判にも宮崎監督か鈴木プロデューサーが応対してきたのですが、さまざまな批判に対して説明したり、釈明するのもしんどい仕事です。特に「風立ちぬ」では執拗な批判を浴びたのですから
結果として、宮崎監督は「もう説明などしない」とぶん投げた形になったのかもしれません
さて、本作は吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」のタイトルを借りただけで、中身は別物という説明です
吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」は、自分が中学生のときに課題図書とか推薦図書としてやたら読むように仕向けられた本です
戦時下の日本にあって、いわゆる教養主義的な立場から無知な中学生コペル君にさまざまな教えを授け、陶冶する(教え導く)内容です。が、自分はこれが大嫌いでした。大人が上から目線で教訓を垂れる(本の内容は必ずしもそうではないのですが)ところに反発し、読書感想文であれこれ批判を書きまくった覚えがあります。なので、吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」を読んで感銘した宮崎監督とは真逆の立場になります
では、宮崎駿が吉野源三郎の本から何を読み取り、どこに感銘し、そこからどのようにアニメーション作品に仕立てたのか、というのがこの作品への興味となります。原作殺しのアニメも多い中で、異例の取り組みであり、こんな力技をやってのけるのは宮崎監督ならではでしょう
日本のアニメーションはこれまでアクションヒーロー物、スポーツ根性物、魔女っ子、学園コメディア、ヤンキーやアウトローを描いたものなど、さまざまなジャンルの作品を手掛けてきたのですが、「君たちはどう生きるか」はどのジャンルに区分されるのでしょう。いわば「教養アニメ」なのでしょうか?
いずれは観る機会があると思いますので、実際に視聴した際にあらためて言及します
なお、You Tubeにはいつものように岡田斗司夫による解説動画がアップされています。毎度のごとく饒舌に語りまくっているので、関心のある方は視聴してください。ただ、あまり鵜呑みにしない方がよいかと

【ネタバレ無し解説】絶対観ろ!/わからない理由/衝撃の推理/ズバリ●点!/シン・ハヤオ

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