「火垂るの墓」 原作小説と実体験
高畑勲監督による劇場版アニメーション「火垂るの墓」は皆さんご存知であり、複数回視た方も少なくないと思います
当ブログを始めた頃、「火垂るの墓」について書いた記事が一番アクセスが多かったというのも懐かしい思い出です
さて、この劇場版アニメーション作品は数ある日本アニメの中でも傑出した作品ですが、野坂昭如による原作小説まで読んだ方はそう多くはないのでしょう
今回は高畑勲監督による「火垂るの墓」ではなく、原作小説の方を中心に、作家野坂昭如の実体験と照らし合わせて書きます
『火垂るの墓』の物語に「ありえない」の意見? 清太たちは「死ぬはずない」
(前略)
物語の舞台は1945年兵庫県神戸市・西宮市近郊、主人公・清太は14歳で、いわゆるエリート軍国少年で海軍大佐の父を持ちます。将校の大佐の息子ということは、清太は上流階級のお坊ちゃんということです。神戸大空襲の戦禍で母を失い、4歳の妹・節子と終戦前後の混乱のなかを必死で生き抜こうと坑がいますが、無惨な最期を迎えてしまいます。
同作のターニングポイントとなったシーンを振り返っていくと、まず空襲で清太と節子は母と家を失い、西宮の親戚の叔母さんの家に居候することになりました。しかし、ご飯は少ししかもらえなかったり、ことあるごとに叱られたりと、親戚の冷たい態度がエスカレートしていきます。居づらくなった清太たちは親戚の家を出ていき、最終的には飢餓状態になり、清太も節子も報われない最期を迎えました。
しかし見方によっては、清太は「真摯な行動が取れていなかった」とも考えられます。例えば清太は親戚の家で寝食の世話になりながらも、学校に行かないばかりか働きもせず、家事も手伝わずに無為な生活を過ごしていました。
その上、清太はお礼もせずに食事をもらいながら文句も言っていたため、親戚からすれば態度が悪いと感じても不思議ではありません。おばさんから再三に渡り注意を受けるも、清太の態度や行動は変わりませんでした。
さらにおばさんの娘が「お国のために」働いているなか、世話になっている清太は親戚の善意に甘えたままです。もっと清太が親戚たちに誠意を見せていれば、バッドエンドを迎えなかったという意見が出てくるのも仕方ないかもしれません。
(以下、略)
宮崎駿は「火垂るの墓」について、清太の父が海軍大佐で巡洋艦の艦長という設定を踏まえ、「海軍では互いに助け合い支え合う仕組みがあったのだから大佐の息子が空襲で焼け出され露頭に迷うなどありえない」と指摘しています。大佐の息子が焼け出されたなら、部下たちが草の根を分けてでも探し出し保護したはず、というのが宮崎駿の言い分です。これは「板子一枚、下は地獄」という船乗りたちの境遇からくる連帯感を指し、艦を降りても上官・部下互いに支え合うのが常という話です
ただ、宮崎駿は「野坂昭如が嘘を書いているから仕方がない」とも発言しています。野坂昭如の父親は海軍大佐ではなく、新潟県副知事を務めた人物ですが、彼が生まれる前に母親と離別しています。生後、実母はなくなってしまい、神戸で貿易商を営む親類の養子に入ります
なので、「火垂るの墓」では清太を海軍大佐の息子と設定していても、野坂は海軍の上官・部下が互いに支え合う仕組みを知らなかったのでしょう
養子になった野坂の下には妹が2人いたのですが、彼女たちも養子として引き取られたこどもです。一番下の妹が「火垂るの墓」の節子のモデルとなっており、神戸の空襲を逃れて疎開した福井で食事を満足に摂れず餓死したとされます。この体験を元に後日、「火垂るの墓」が書かれました。実際のところ、少年時代の野坂は養子として引き取られた家で大事に育てられおり、アニメのように邪魔者扱いなどされてはいませんなので、実体験をベースにしながらも、さまざまな脚色を加え、ドラマチックな展開の小説に仕立てたといえます
野坂昭如自身、「火垂るの墓」について『一年四ヶ月の妹の、母となり父のかわりつとめることは、ぼくにはできず、それはたしかに、蚊帳の中に蛍をはなち、他に何も心まぎらわせるもののない妹に、せめてもの思いやりだったし、泣けば、深夜におぶって表を歩き、夜風に当て、汗疹と、虱で妹の肌はまだらに色どられ、海で水浴させたこともある。(中略)ぼくはせめて、小説「火垂るの墓」にでてくる兄ほどに、妹をかわいがってやればよかったと、今になって、その無残な骨と皮の死にざまを、くやむ気持が強く、小説中の清太に、その想いを託したのだ。ぼくはあんなにやさしくはなかった』( 野坂昭如「私の小説から 火垂るの墓」)と述べており、後悔の念をひきずっていたのがうかがわれます
ともあれ、野坂昭如が自身の体験を脚色して小説とし、その原作に高畑勲が手を加えて劇場版アニメーションに仕立てたことで名作「火垂るの墓」が生まれたわけです
人の生い立ちがさまざまな事情・しがらみを抱えているように、アニメーション作品の成立にもまたさまざまな事情・しがらみがあります
最後に、小説「火垂るの墓」は昭和42年下期の直木賞を受賞していますので、その選評を引用します。選考委員の中には作品や作者をくさすうるさ型の人物がいるのですが、候補作となった野坂の作品「火垂るの墓」と「あめりかひじき」については概ね好評という珍しい選考結果だったようです
柴田錬三郎:「さまざまの話題をマスコミにまきちらし乍ら、とにもかくにも、文壇へふみ込んで来たその雑草的な強さは、敬服にあたいする。私は、『火垂るの墓』に感動した。劇作者的文章が、悲惨な少年少女の最後を描いて、効果をあげたことは、われわれ実作者に深く考えさせるところがあった」
松本清張:「私の好みとしては『アメリカひじき』よりも『火垂るの墓』をとりたい。だが、野坂氏独特の粘こい、しかも無駄のない饒舌体の文章は現在を捉えるときに最も特徴を発揮するように思う」
水上勉:「出来がよく、野坂氏の怨念も夢もふんだんに詰めこまれて、しかも好短篇の結構を踏み、完全である。感動させられた」
なお今回はWikipediaの「野坂昭如」、「火垂るの墓」から多くの情報を引用させてもらいました。あらためてこの原作小説を一編のアニメーション作品に昇華させた、高畑勲監督の手腕に感服します
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