「街と、その不確かな壁」を巡る冒険

3月5日のブログで村上春樹の新作「街とその不確かな壁」に言及しました。その折、村上春樹自身が失敗作と呼ぶ初期の作品「街と、その不確かな壁」について書かれた論文を以前に読んだが見失ったと述べました。検索をやり直し、その論文を見つけましたので取り上げます

山根由美恵による論文「封印されたテクスト : 村上春樹『街と、その不確かな壁』にみる物語観」(広島大学近代文学研究会刊「近代文学研究試論」44号収録)
https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/ja/00017291

山根論文は村上春樹が「街と、その不確かな壁」を失敗作と読んだ理由を解き明かそうとします
村上は文芸誌でのインタビュー記事で以下のように説明しています(論文からの引用部分を赤字で、論文中の原作品からの引用は青字で表示します)

「街と、その不確かな壁」という作品については、書くべきじゃなかったものを、書いてはいけないものを書いちゃったなという思いがずっとあったんです。(略)結局書く時期が早すぎたんですね。書くべき題材が書くという行為に先行してしまったいちばん悪い例だと思います。題材にひっぱられちゃって、小説としての膨らみが欠けているんですね。
ある部分では裏がすけて見えるということはありますね。小説にとって裏がすけて見えるというのはいちばんまずいことだと僕は思います。小説の意志が題材をカバーできていないわけですから」(文學界1985年8月号「『物語』のための冒険」)

山根は村上春樹の作品を寓話性と物語(リアルなストーリー)を織り交ぜることで生じる緊張感こそが特質であると指摘します
そうした作品作りを心がけている村上にすれば、「街と、その不確かな壁」は寓話としての質に問題があったと、山根は考えます

「寓意の本義、《他の物事に仮託して、ある意味をあらわすこと》8日本国語大事典 第二版』)が足りなかったことが、〈街〉の欠点であったと考えている。以下、具体的に「寓意」(村上の言う《寓話性》)を明らかにしつつ、物語観を探っていきたい。
               
〈街〉は、主人公「僕」が18歳の時、愛しており、死んでしまった「君」が語った「本当の私が生きているのは、その壁に壁に囲まれた街の中」という言葉に導かれ、その街を訪れ、脱出する物語である。この街は、〈世界〉の基本設定と童謡の寓話的設定がなされている。一角獣が済んでいる街は「壁」に囲まれて、出口がない。街に入るためには、自らの「影」を捨てなければならない。「影」とは「弱くてくらい心」を表している。「影」のない街の住人たちは心を持たない人々であり、苦悩のない静香な生を送る。

以下、論文は「街と、その不確かな壁」と「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」との相違点を挙げていきます。が、ここは割愛します
要は「街と、その不確かな壁」は、「世界の終わり」のパートだけで構成されており、近未来社会を舞台にした「ハードボイルド・ワンダーランド」抜きの小説になっています
そして「街と、その不確かな壁」は君と僕による「セカイ系」の物語になっていると山根は指摘します

「(略)それが何ヵ月か続くうちにね、僕の思いの中で君(注 君の影)はなんだか僕にとって生きることの象徴のようなものへと変わっていったんだ。あるいは生き続けることのね。僕はそんな夢の中で暮らしていたんだ。夢を吸い、夢を食べ、夢と共に眠った。そんな気持ちってわかるかい?」(略)
「もちろん、こんなものはみんなただのことばだ。あるいは何の意味もないのかもしれない。ただね、君にはどうしてもわかってほしかったんだ。どんな夢だって、結局は暗い夢だ。もし君がそれを暗い心と呼ぶのなら、それは暗い心だ(略)」
「(略)僕は僕の暗い夢を、それがどんなに暗いものであっても、あそこに置き去りにして生きるわけには行かないんだ。それを切り離してしまった僕は、もう本当の僕じゃないんだ」
「僕」と「君」の物語は、愛していた「君」との再会を果たすが、心を捨ててまで恋人と生きることはできないと「僕」が決意し、街から脱出するという展開で決着が付けられている。

鉤括弧だらけで判りにくいのですが、朧気ながら作品の概要はつかめると思います。まあ、失恋した大学生が去っていた恋人に未練タラタラで書いた小説、という感もありますが
街からの脱出=現実世界への回帰というプロセスが「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」のような必然性や論理的な帰結にまで昇華されていないため、こじつけ感が残るのでしょうか?
そこら辺りが寓話としての完成度が低い、と村上春樹が結論付け「失敗作」と断じた理由なのかもしれません
ならば、新作であるところの「街とその不確かな壁」はどうなっているのか、気になるところです
基本は旧作である「街と、その不確かな壁」をベースにしながら、壁に囲まれた街からどのような経緯を経て脱出に至るのか、主人公の内心の変化をもっと寓話性をもって描いていている、とも思われます

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