女性の遺体を弄んだ男 執行猶予付き有罪判決

火葬に付す前の遺体を弄んだとして起訴された葬儀場の元職員に対し、東京地裁は懲役2年6月、執行猶予4年の有罪判決を言い渡しています
犯行内容はネクロフィリア(遺体愛好癖)に部類される、性的逸脱行為なのですが、ネクロフィリアそのものを罰する刑法上の規定はなく、遺体損壊罪にあたるかどうかが問題になります
遺体を性的欲望のままに弄ぶ行為を性犯罪として処罰する規定はありません。強制わいせつ行為はあくまでも生きている人間を対象とした犯罪です(女性を殺害直後、屍姦した場合はこれを強姦殺人としての一連行為とみなす、との判例があります)


葬儀場の元職員の男が、安置されていた女性の遺体の胸を触るため不法侵入した罪などに問われ、東京地裁で 3 日、判決が言い渡されました。10 代の娘を失った母親は傍聴して涙が止まらず、法廷で声を震わせて叫びました。その思いと、現行法への不満とは。
■娘の死から 1 年...衝撃的な事実が
10 代の娘を失った母親は「死んでからもそんなことがあってごめんね、って。守ってあげられなくてごめんね」と話しました。
娘の死から約 1 年後、葬儀場での衝撃的な出来事を知らされました。犯行に及んだ元職員に対し「この子にそんなことした後、どういう気持ちで私と毎日(葬儀場で)会ってたんだ、って」と怒りを募らせます。
■不法侵入と盗撮の罪に問われた元職員
当時勤務していた葬儀場に安置されていた女性の遺体の胸などを触る目的で不法に侵入した罪や、葬儀場内のトイレで盗撮した罪に問われた、元職員の篠塚貴彦被告(42)。東京地裁で 1 月にあった裁判で「亡くなった女性の体を触ってみたいと思った」と話しました。
妻によると、篠塚被告は妻や子供 2 人と暮らし、子煩悩でいい父親だったといいます。
■遺影を抱え傍聴...「言葉にできない」
1 月の裁判では、驚きの事実が明らかになりました。
篠塚被告は、遺体が安置されている部屋に侵入した際、女性の遺体の胸などを直接触るといった行為を繰り返していたといいます。さらに、その様子を自分のスマートフォンで撮影し、保存していました。
法廷で篠塚被告は「性的欲求があり、どうしてもその時は触りたいという気持ちが抑えられなかった」「最近は、写真を撮ることをスリルとして味わっていた」と明かしました。
娘の遺影を持って裁判を傍聴した母親は、涙が止まらなかったといいます。「想像すると本当...、言葉にできない気持ちがいろいろあふれてしまって」
■裁判官「常習的」「根は相当深い」
そして 2 月 3 日、判決を迎えました。裁判官は「遺体へのわいせつ行為を繰り返していて、不法侵入は常習的な犯行」「偏った性的嗜好(しこう)などを踏まえ、犯行の根は相当に深いと言わざるを得ない」と指摘。懲役 2 年 6 か月、執行猶予 4 年を言い渡しました。
判決を傍聴席で見守った母親。篠塚被告が退廷する際には「あんなことしていて、どんな気持ちで」と、声を震わせながら叫ぶ場面がありました。
母親は判決後、日本テレビの取材に「今まで向こうから一度も謝罪がなく、今日(3 日)も傍聴席に一礼もしなかったことには、とても腹が立ちました。被告のことは許さない」と憤りました。
さらに、遺体へのわいせつ行為は現在の法律では罪にはならないことへの不満も明かしました。今後、遺体へのわいせつ行為が罪に問えるような法整備を求めたいと話しました。
(日テレNEWSの記事から引用)


被害者である母親の怒りはもっともであり、亡き娘への冒涜は生きている娘への冒頭と何ら違いはありません
ただ、裁判官としては先に書いたようにネクロフィリアそのものを罰する規定がないので、執行猶予付き判決にするしかなかったのでしょう。遺体を刃物で切りつけるなど、実際に損壊させる行為があれば実刑だったと思われます。もっとも、刑務所に収監したとしても、刑務所でネクロフィリアを矯正するような指導はないので何の対処もできません
篠塚被告は他にも盗撮行為を繰り返しており、これも性的逸脱行為です。「逮捕されるかもしれないと思いつつ、やめられない」状態にあったと考えられます。こうした「覗き(窃視症)」や「盗撮」は性依存症として心療内科など、医療機関で治療の対象になります。篠塚被告に治療を受けようという動機があるなら、試みるべきでしょう
執行猶予判決が下されたとしても、家族としてはネクロフィリアの父親と同居する気になるのかどうか?
被害者である母親は、「遺体へのわいせつ行為によって遺族に精神的苦痛を与えた」として、篠塚被告を相手取り損害賠償請求の民事訴訟を提起するしかないのですが、裁判所が認める賠償額は10万円~20万円かそこらだと思われます

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