映画「ジョーカー」 あの山上徹也被告にも影響を与えた
ホアキン・フェニックス演じるところの映画「ジョーカー」だけでなく、過去の「バットマン」映画にもジョーカーは登場しており、1989年の作品ではジャック・ニコルソンがジョーカー役で怪演を披露しています
現在では勧善懲悪の正義ヒーローであるバットマンより、ジョーカーの方が人気なのかもしれません
さて、安倍晋三元首相を殺害した山上徹也被告ですが、彼も映画「ジョーカー」に触発された1人です
山上徹也被告は来日する統一教会トップの韓鶴子に火炎瓶を投げつけようと企み、中部国際空港へと足を運びますが、統一教会主催行事が開催された愛知県国際展示場に入れず、計画を断念しています。その帰り、名古屋市内で映画「ジョーカー」を観ており、何かしか触発されるものがあったのだとか
日本でも京王線を走行中の車両の中で乗客を刺したジョーカーのコスプレ男が逮捕される事件があり、犯罪へと駆り立てるだけの影響力があると思われます。もちろん映画を見た視聴者が皆、犯罪に走っているわけもなく、何か特別な鬱屈を抱えた人間を刺激するのでしょう
海外でもジョーカーに触発された犯罪は起きていますので、1例を紹介します
コロラド州オーロラにあるショッピングモールでの銃撃事件
2012年7月20日、バットマンの登場する映画「ダークナイト・ライジング」を上映していたショッピングモールの映画館で発生した銃撃事件。犯人であるジェームズ・イーガン・ホームズ(24歳)はガスマスクと防弾チョッキにヘルメットを着用し、黒の戦闘用の手袋をはめ、拳銃2丁にライフル1丁、ショットガン1丁で武装して侵入。催涙ガスを館内に噴射させた後に銃を乱射して、12人を殺害し58人を負傷させたもの
なお、映画「ダークナイト・ライジング」にはジョーカーが登場する予定となっていましたが、演じる予定の俳優が撮影前に薬物中毒で死亡したため、ジョーカーなしのストーリーで作られています
ジェームス容疑者は逮捕され、3318年の禁固刑が言い渡されています。ジェームズ容疑者はコロラド大学の大学院博士課程に在学し、神経学を学んでいました。社会の底辺で苦悩するジョーカーとは立ち位置が違うのですが、犯行時には「自分はジョーカーだ」と名乗っていたのだとか
さて、本題はここからで、映画「ジョーカー」について深く掘り下げた考察をしているウェッブの記事がありましたので、紹介しておきます。長文なので、その一部だけ引用させてもらいます。関心のある方は是非、全文を読んで下さい
『ジョーカー』はなぜ無視できない作品なのか?賛否の議論を考察
(前略)
『ジョーカー』は、なぜこんなにも人々の心をざわつかせ、娯楽作品の枠をはみ出して社会を騒がすまでの存在になり得たのか。ここでは、いままでの騒動の中身を詳しく見ていきながら、その理由について徹底的に考察し、本質部分に迫っていきたい。
娯楽大作として異例の『ヴェネチア』金獅子賞。『ジョーカー』の持つアートフィルムとしての性質
本作の公開前に『ヴェネチア国際映画祭』で金獅子賞を獲得したニュースは、多くの映画ファンを驚かせた。アメリカの娯楽大作が受賞することすら稀な世界三大映画祭において、ましてやアメコミヒーロー作品が最高賞を受賞するというのは、史上初の出来事である。
そうなった大きな理由は、本作が娯楽映画であること以上にアートフィルムとしての性質を多く備えていたからだろう。本作は積極的に、『タクシードライバー』(1976年)をはじめとする、ニューヨークを舞台にした、かつてのマーティン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ主演映画の表現を模倣し、作家性の強い過去のアメリカ犯罪映画を現代に甦らせようとする。当初、製作にスコセッシが参加するはずだったことや、デ・ニーロ本人が本作に出演しているところからも、その志向は容易に読み取れる。
このアプローチは、例えばクエンティン・タランティーノ監督の諸作や、ニコラス・ウィンディング・レフン監督の『ドライヴ』(2011年)などにも近い。犯罪映画を中心とする既存の作品の要素を解体して抽出し、新たなものを構築する「ポストモダン」的な取り組みが、そこに存在するのである。本作に対して批評家たちが無視できないというのは、このようなアート作品としての文脈を読み取っているからであろう。
「カリスマ的な悪」ではなく、「一人の人間」として描かれたジョーカー
さらに本作のジョーカーは、従来のような突き抜けたカリスマ性を持った悪のキャラクターとしてではなく、複雑な心理を持ち、善良な存在にもなり得る、一人の「人間」として描かれているのが特徴的だ。主人公の心理の揺らぎが主軸となるのは、シェイクスピアなどより始まる「近代文学」的な価値観でもある。そこでは、やはり文学的な要素が強く、残酷な描写のある名作映画『嘆きの天使』(1930年)や『 西鶴一代女』(1952年)、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000年)といった作品を思い出すような、ひとりの人間が転落していく姿と、同時に悲劇から逆説的に生まれる一種の高揚感や神聖さすらも映し出しているのだ。
くわえてそこに、大量生産のための機械的労働によって人間性を喪失し狂気に走るという内容のチャップリンの喜劇映画『モダン・タイムス』(1936年)のイメージを投影させるとともに、社会保障の打ち切りによる精神的な病の治療の中止という事情を描くことで、ジョーカーという悪が、貧富の差や、弱者に対して酷薄である環境が生んでしまった副産物であるという見方も用意されており、物語は社会派作品としての存在意義まで主張している。
(以下、略)
これまでのアクション・ヒーロー物であったバットマン作品とは異なり、悪を悪として描いた「毒」のある映画であるがゆえ、今風の言い方をすれば「より深く刺さる」のでしょう。刺さる相手(視聴者)はジョーカーに共感でき、なおかつ憧れる者だと思われます
悪に堕ちるがゆえに昇華され、ある種の英雄たる地位を手にする展開に胸がざわつくのかもしれません
ジョーカーに比べれば、正義のヒーローであるバットマンの何と単純で魅力の欠けることか(「ダークナイト」などバットマン3部作では屈折したヒーローという味付けになっていますが)
社会各層の対立が先鋭化し、格差が如実になればそこに大きな裂け目ができ、乗り越えるのも融和するのも難しくなります
働く女性と専業主婦である女性がツイッターで互いにののしりあい、どちらが大変なのか、どちらが優れているのかを主張し合うという、実に不毛な争いも現実には起きています。同性である女性同士でも、こどもを育てている同性代でも、根深い対立があるわけです。ならば男と女の間で対立が起きても、異なる人種や民族間で対立が起きても不思議ではありません
ただ、悪に堕ちるだけが解決策ではないわけで、この根深い対立をどうやって乗り越えるか模索し続ける必要があります
悪に堕ちても主人公であるアーサーは決して救われないし、満たされないのであり、孤独のままです。孤独な境遇から抜け出すため、アーサーには何が必要だったのかを考えるのも、この映画の見方の1つでしょう
ホアキン・フェニックスの主演で「ジョーカー」の続編を撮る計画が進んでいます。次はどんな狂気を演じてみせるのか、気になります
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