「浮世絵師写楽は韓国人説」を蒸し返す韓国メディア

ブログへのアクセス状況を見ると、2014年1月にアップした『「東洲斎写楽は韓国人ニダ」説の映画化』の記事にアクセスが集まっていました。何事かと思って検索すると、韓国メディアの「忠北日報」というローカル紙が再び「浮世絵絵師東洲斎写楽は韓国人だった」との記事を掲載していると判明しました
懲りもせずに起源捏造を繰り返しているわけです
日本のさまざまな文化に嫉妬しその起源を主張せずにはいられないという、韓国人特有の症状であり、見ているこっちが恥ずかしくなります(彼らは恥ずかしい、などという感情はないのでしょう)
せっかくなので「忠北日報」の記事を紹介します


キム・ホンドは秘密裏に1789年、日本の地図を描いてくるよう命を受け、師匠のキム・ウンファンと共に、日本密使として向かうことになる。ところが、師匠のキム・ウンファンは病気で亡くなって、一人でテマド(※対馬島)に行って地図を描いてきた。一種の日本に対する偵察が主要目的だったようだ。キム・ホンドが日本に行くことになったのは事実に符合するが、優れていた彼の事件を通じて新たな仮説が出ている。
(中略)
日本の代表的絵画と称する絵が「浮世絵」だ。日本料理店に行くとよく見かける侍の姿や、富士山の様子を版画で表現した絵画が浮世絵だ。このような浮世絵の最高峰に挙げられる人が「東洲斎写楽」だ。彼は突然現れると、10ヵ月間で140点ほどを描き、こつ然と姿を消した。そのため、彼は芸名を使って絵を描いて消えた、あるいは他国の人が来て絵を描いて消えた、という話で実体のある伝説になっている。彼の活動期間は1794年5月から1795年2月までだ。
キム・ホンドは足の指が6本だったという説があるが、写楽も足の指が6本だという説、日本に行った期間と完全に合致はしないが近い時期に日本にいたことから、一部の仮説には、キム・ホンドが芸名で10ヵ月間日本で活動して帰国したという説もある。キム・ホンドの晩年に記録がないということも、日本に行き活動し、そうしていたのだろうという推測と想像から、事件を事実のように重ねてくれる。
(忠北日報の記事の翻訳から引用)


以前にも当ブログで紹介したように、「もうひとりの写楽~海を渡ってきた朝鮮絵師」(河出書房新社)という本を書いたのが李寧煕(イ・ヨンヒ)という作家です。この人物は「もうひとつの万葉集」(文藝春秋社)も出版しており、万葉集は古代朝鮮語で書かれていた説をぶち上げています
そもそも古代朝鮮語というのははっきり解明されておらず、新羅語の研究はほとんど進んでいませんし、百済語は韓国より日本での研究が盛んです。李寧煕の主張は万葉集(ひらがなではなく漢字を当てて表記されているもの=いわゆる万葉仮名)を現代韓国語風に読み下す試みにすぎないのであり、古代朝鮮語を完全に使いこなせてなどいません
そして写楽=朝鮮絵師説も強引な決めつけであり、文献的な裏付けは皆無です。李寧煕は朝鮮通信使として日本に渡った人物、と考えたようですが、その根拠は不明です。そもそも写楽の正体は朝鮮絵師金弘道(キム・ホンドン)だったという結論から出発しているのですから
ちなみに金弘道は水墨画の名手であって、色彩豊かな浮世絵とは画風がまったく異なります。韓国の国内に金弘道の描いた彩色画が何点も残されているのならまだ信憑性があるわけですが、そうした事実はありません
上記の記事がいかなる経緯で書かれてたものか不明ですが、根拠のない起源説を蒸し返すのは止めてもらいたいものです

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