パリ人肉事件 佐川一政の死
パリ人肉食事件で世間を震撼させた佐川一政が肺炎のため死去したと報じられています。73歳でした
当ブログでも取り上げたように、フランスの裁判で精神障害であるとの判決を受け、精神病院に入った佐川一政はその後、日本に送還されて東京都立松沢病院に入院します。そこでさまざまな検査・診察を受けた結果、佐川の人肉食は虚偽であり、本人が意図的に人肉食の殺人鬼を装ったものであるとの結論が出ています
しかし、メディアは佐川を人肉食の異常者という扱いをし続けましたし、本人もそう演じ続けていました。その背景には佐川一政の生い立ちに関する複雑な両親への愛憎があったわけですが、下記の関連記事の方を参照願います
文春オンラインが「週刊文春」2014年3月20日号に掲載した記事を再掲していますので、一部を引用します
〈佐川一政氏死去〉「彼女がとてもおいしそうだったから」日本人留学生が女性の遺体を食べた“パリ人肉事件”とは何だったのか
「私にとって性的欲望は、食人願望と同じでした」
1981年6月、パリの大学院に留学中の佐川一政氏(当時32)が、自宅へ招いたオランダ人の女子留学生ルネさん(同25)を背後からカービン銃で撃って殺害。切断した遺体を捨てようとして見つかったことから、逮捕された。
その後にわかった衝撃的な事実は、屍姦ののち、遺体の一部を生のまま、あるいは焼いて食べていたことだった。
花の都で猟奇事件を起こした佐川氏の心の闇に、日本中の関心が集まった。
パリ在住のジャーナリスト・広岡裕児氏は、逮捕されてサンテ刑務所に拘留された佐川氏と面会し、40通を超える手紙のやり取りをした。佐川氏は広岡氏を信頼し、さまざまな依頼をするようになった。
「グレース・ケリーを特集した雑誌や少女ヌード写真集の差し入れを頼まれたり、粘土で作ったルネさんの塑像をオランダの遺族に届けてほしい、という頼みごともありました。フランスの刑務所は洗濯をしてくれないので、持ち帰って洗濯して届けたりもしましたね」
「週刊文春」1983年4月28日号の「ついに今あきらかになる――佐川一政が書いたパリ人肉事件の真実『彼女を殺したのは食べるため……とてもおいしそうだったからです』」は、佐川氏からの手紙を紹介している。
〈私にとって性的欲望は、食人願望と同じでした。若い女性をみると、たちまちそういう気持になるのでした。この欲望は私だけのものだとは決して思いません。愛の行為、より正確にいえば性行為というのは、この欲望の変形ではないでしょうか。男が性交する時どう振舞うでしょうか。男は女の体のあらゆる部分をなめつくします。このとき、男は女を食べてしまいたい、無意識のうちに、むさぼりつくそうと思うものです。私はこの胸のうちにある欲望を実行してしまった。それだけのことです。(中略)
病院を出た佐川一政は小説を書いたり、芸能メディアに顔を出したりさまざまな活動をしたのですが、どれも大して話題にならず世間から忘れられてしまいます。それでも彼は人肉食の殺人鬼という仮の姿を演じ続けたようで、滑稽でもあり悲しくもあります
いまさら他のキャラになるわけにもいかなかったのでしょう
本来はフランス文学の研究者だったのであり、そちらの方面で業績を残すのは難しかったのでしょうか?
死亡を伝える報道に幾つか目を通したのですが、どれも人肉食の殺人鬼という扱いのままでした。本人がそのイメージで語られるのを望んでいたのであれば、本望なのかもしれません
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