渋谷暴動主犯 大坂正明被告公判へ

過激派学生と呼ばれた連中が暴れていたのはもう50年近く前になりますが、現在でも中核派や革マル派などの活動は続いていますし、過去の事件で指名手配を受けながら逃げ続けている者もいます
1971年の渋谷暴動では21歳の警察官が過激派の鉄パイプで滅多打ちにされた挙げ句、火炎瓶を投げつけられ焼死しており、その主犯として指名手配されていた大坂正明被告は2017年に広島で逮捕され、起訴されました。大坂被告の初公判が10月25日に開かれます


殺人や現住建造物等放火などの罪に問われているのは、約46年間の逃亡の末に逮捕された過激派「中核派」のメンバー、大坂正明被告(73)。有力証拠がない中、未成年だった元学生4人が現場で目撃したなどと供述しており、法廷でどう証言するかが焦点になる。
今年は沖縄本土復帰から50年。71年当時は、中核派が米軍駐留を認めた沖縄返還協定の批准阻止を掲げ、「11・14東京大暴動」「全国総動員・機動隊せん滅」を呼び掛けるなど騒然とした。
無期懲役が確定し、2019年に病死した星野文昭元受刑者=当時(73)=らの判決によると、渋谷に覆面姿の学生や労働者ら約150人が集まり、火炎瓶、鉄パイプなどで武装して機動隊と相対した。星野元受刑者の指揮下、大坂被告の「殺せ、殺せ」との怒号に呼応した一部が、新潟県警から派遣された中村恒雄巡査=当時(21)、警部補昇任=を襲い、火炎瓶を投げ付け殺害したとされる。
「群馬部隊」が主に関与し、高崎経済大生だった星野元受刑者ら6人が逮捕、起訴され、公判停止中に病死した1人を除く5人の有罪が確定した。このうち2人を含む、少年だった元学生計4人が当時、襲撃現場に大坂被告もいたと供述している。
一方、大坂被告は千葉工業大に在籍。捜査関係者によると、大坂被告は北海道帯広市出身。北海道大への進学がかなわず、家族から絶縁され極貧生活の中で闘争に身を投じた。事件後はアジトを転々とする生活だったとみられ、大阪府警の捜査で17年に広島市内で発見された。
関係者によると、警視庁公安部は逮捕後、改めて関係者から事情聴取したが、検察側は目撃を証言した4人の当時の供述調書を立証の柱に据えるもようだ。
弁護側は暴動への参加は認めつつ、現場から約100メートル離れた場所で警察車両を追跡していたと反論し、無罪を主張。4人とは「面識はない」として供述の信ぴょう性を争う。逃亡生活も注目されるが、大坂被告は仲間に迷惑が掛かるとして明らかにしないという。
25日から始まる公判は裁判員裁判の対象から外され、手荷物検査など厳戒態勢の中で行われる。検察側、弁護側で計28人の証人尋問が予定され、元学生や当時の機動隊員らが法廷に立つ見通しだ。
(時事通信の記事から引用)


下記の関連記事に挙げた星野文昭受刑者病死の記事にも書いたように、当時の機動隊は暴徒鎮圧のため催涙弾を使用するようになったのですが、金属製の筒に入った催涙弾を水平撃ちしてデモ隊の女子大生に当って死亡する事件があってから、デモ隊は催涙弾の射手をことさら狙って襲撃するようになりました。上記の記事にある「機動隊せん滅」のスローガンはその現れです
ただし、機動隊と殴り合いをしたところで日本の政治体制をひっくり返せるはずもなく、街中で暴動を起こしても同じです
当時の学生たちが機動隊と殴り合いを続けるうちに目的を見失い、警察官を危害を加えるところに執着していったのが分かります。同時に世間一般の支持も離れてしまい、彼ら彼女らを孤立させる結果になりました
大坂被告は無罪を主張するとしても、過去に渋谷暴動で有罪判決を受けたデモ参加者が何人もいるわけで、裁判所としてはいまさら過去の判決を全否定するような判断は下せないものと思われます

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