「石原慎太郎さんの孤独さ」と書く評論家小川榮太郎

石原慎太郎が89歳で亡くなりました。あらためて、自分の父親と同じ世代に属する人だったのだな、と感じた次第です
ただ、訃報を受けて追悼一色とはならず、左派政党の人間が故人に対して罵詈雑言を吐き、批判を浴びました。逆に日本共産党の志位委員長はお悔やみの言葉を述べた後、「都政などで対峙した石原氏との思い出について問われると、『世代もだいぶ違っていて、ご一緒したこともほとんどない。私たちと立場の違いはもちろんあったわけだが、今日言うのは控えたい』」と語り、器の大きさを示しました
他方、海の向こうの韓国では「妄言ばかり吐く老人が死んだ。喜ばしい」と、死者に鞭打つような発言が相次ぎました。およそ、日本人には理解できないメンタリティです
さて、文芸評論家の小川榮太郎が追悼文を夕刊フジ(産経新聞宛てなのかもしれません)に発表していますので、取り上げます
タイトルの「石原慎太郎さんの孤独さ」にも、何だかなと思ってしまいます。編集部から指摘されても「これでいい」と直さなかったのでしょう。しかし、「孤独さ」とは初めてお目にかかった表現です

石原慎太郎さんの孤独さ 唯一の〝憂国の直言者〟に見えてしまう…現代の言論状況の貧しさにゾッとする
https://www.zakzak.co.jp/article/20220214-BZUVSCYVDRM3HHM5OW5LO6ZXRQ/
戦後文学史の巨峰
石原さんは海をこよなく愛する作家だった。私は近著『作家の値うち』(飛鳥新社)で現役作家100人を論じたが、石原さんについてはこう書いている。
「石原による海の生態描写は、女や性行為を描く時より遥かにエロティックで、肉感的である。(略)石原文学には海を知ることで生を知った賢者の知恵が満ちている。老人の知恵ではない。身体が頭よりも先に命を包む大きな神秘を覚えた、永遠の若者の清潔な知恵である」
付け加える言葉は特にない。ぶっきらぼうに、だが官能的に疾駆する言葉たち。息をもつかせぬ展開。孤独者の栄光を体現する男たち。屹立(きつりつ)する暴力と死。石原さんは、戦後日本のヒューマニズム、左翼・人権イデオロギーの偽善的病理に対する、しなやかな反逆者であった。
いつだったか、石原さんと文学談義に耽った事がある。デビュー当時まだ存命中だった永井荷風から、川端康成、小林秀雄、そして現役の作家まで…。とりわけ印象に残っているのは、石原さんの大江健三郎氏評である。
「大江は可哀そうなんだよ。僕は物語が書けてしまう。いくらでも出てくる。でも大江は創作力に乏しいからね。どうしても難解な技法や特殊な主題小説に行かざるを得なかったんだ」
文壇人や文学史家はこれをどう聞くか知らないが、私の見るところ、戦後文学史において、石原文学は大江文学と並ぶ巨峰である。2人は、敗戦後の虚脱の中で蠢いていた青年らの精神風景を描いて、昭和30年代、群を抜いていた。
その後、大江氏は時流に迎合して、自身の真の文学的主題を見失う一方で、石原さんはあくまで文学の純潔を守り抜いた。時の経つにつれ、永遠の命を獲得するのは、おそらく大江文学ではなく石原文学であろう。野間宏を読む人はもういないが、三島文学が今も尚生きているように。
議論を深める名手
政治家・石原慎太郎は、あくまでもこうした作家・石原慎太郎という精神史的巨峰の延長上の存在にすぎない。「憂国の政治家で、痛烈な正論を吐くほとんど唯一の人」との追悼の言葉が世にあふれたが、それだけのことなら何も彼だけの話ではなかった。
世論に抗して正論を堂々と言う人は、あの頃いくらでもいた。大手メディアもそのような論客を決して排除しなかった。
中曽根康弘、三宅久之、浜田幸一、岡崎久彦、竹村健一…。皆故人となったが、討論番組で彼らと議論していた頃の石原さんは、強面というより、会話のキャッチボールの名手という役回りだった。
その石原さんが、89歳で鬼籍に入られてみると、今の人たちに、まるで唯一人の「憂国の直言者」に見えているとすれば、現代の言論状況の貧しさに、私はむしろゾッとする。
皆が、何かに怯えて率直に発言することを恐れている。大手メディアや出版社も厳しい箝口(かんこう)令を敷き、コードの圧力に唯々諾々と従う人しか起用しない。
何という時代になったことだろう。
石原さんその人はチャーミングな人だった。会ってお話しするだけで気持ちいい風が吹きぬけるような。
でも、石原さんの死は孤独だったと思う。さよなら、石原さん。

戦後文学とのカテゴリーで考えるなら、大江健三郎と対比されるのは三島由紀夫であって、石原慎太郎ではないと思います。戦後文学の巨峰だと小川榮太郎は書いているわけですが、首をかしげるしかありません
石原慎太郎の追悼記事を読んで回ってもそこに登場するのは「太陽の季節」であり、あとは弟石原裕次郎の思い出を綴った「弟」です。その他、多くの小説を発表していはいますが、ほとんどは忘れ去られ読まれていないのが実情では?
実際、この記事を取り上げるためにWikipediaで確認したのですが、小説から随筆、政治論まで随分多くの著作を残しています。まあ、出せば売れる人だったのでしょう
小川榮太郎は上記の追悼文で、「時の経つにつれ、永遠の命を獲得するのは、おそらく大江文学ではなく石原文学であろう」と書いていますが、石原慎太郎世代の後、若い人たちがどれだけ彼の小説を読むのか、と思ってしまいます
大学で日本文学を専攻する学生が、いまさら石原慎太郎作品を卒業論文に取り上げるのかどうか?
自分が読んでいるのは「太陽の季節」と月刊文藝春秋に連載していた「わが人生の時の人々」くらいであり、小川榮太郎ほど読んではいませんから、とやかく言う資格はないのですが
「わが人生の時の人々」(このタイトルも若手作家なら「変更しろ」と編集者に怒られるでしょう)の中で、石原慎太郎は当時(デビュー後から昭和30年代)、自分の原稿料が作家の中で一番高かったと回想しています。が、その時代の作家で一番原稿料が高額だったのは三島由紀夫だと自分は記憶しています。真偽はともかく、石原の回想録はサラリーマンの居酒屋談義めいており、「自省」という部分が抜けた手柄話のてんこ盛りで、読んでいて疲れてしまいます。すべてが石原の思ったとおりに展開したわけもなく、彼の思惑とは異なる事実も山程あったはずですが、それが見えていない…と感じました
文芸評論家なら、石原の主観オンリーで語りまくるスタイルを指摘してもよさそうなものですが、小川榮太郎にはそれが問題だとは思っていないようです
ただ、石原の晩年が「孤独」であるとする小川榮太郎の指摘には考えさせられるものがあります。4人の息子がいて、2人は政治家ですが父慎太郎ほどの志しがあるようには映りませんし、引き継いでいるとも思えません。そして1人はタレントで毒味も薬にもならない男です。最後の1人は画家だそうですが、芸術家としてどの程度なのか不明です
父親と同じ道を歩むべきだとは言いませんが、石原としては寂しかったのではないでしょうか?
息子たちと文学論を交わす機会もほとんどなかったのですから

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