福沢諭吉「脱亜論」を嫌韓図書と批判する韓国
韓国メディアが「福沢諭吉の脱亜論と日本に現在溢れている嫌韓本は共通している」との見解を記事にしています
なにやら大発見でもしたかのように書いているのですが、相変わらず本質を見誤っている内容で笑ってしまいます。
「脱亜論」は福沢諭吉の書いたものとされていますが、明確な根拠はありません。1885年に時事新報に社説として無署名で掲載されたものであり、福沢諭吉の他の著作と比べても、文体や用語の使い方に違いが見られ、他の誰かによって書かれたものである可能性が残ります。福沢の著作には「脱亜」とか「入欧」という熟語が使われたものはない、というのが実際だからです
韓国メディアの記事では、「脱亜論」が朝鮮人や中国人を見下す日本人の心象の反映であるかのように書いていますが、「脱亜論」が書かれた背景を正確には理解できていないようです。当時、福沢ら日本の知識人は若い朝鮮の革命家金玉均らを支援しており、李氏朝鮮王朝の旧態依然とした支配を打破しないと西欧の植民地にされてしまうとの危機感を抱いていました。しかし、金玉均らは捕らえられ死刑になってしまいます。福沢諭吉ないしその周辺にいた人物が「脱亜論」を書いたのは、金玉均ら朝鮮の将来を担うであろう有望な若者がむざむざ死刑に処されてしまった事態への怒りが背景にあるのです
ところが以下の記事では、「歴代中国王朝に抵抗しながら今まで民族的実体とアイデンティティを維持した国は韓国とベトナム程度」との見解を示し、李氏朝鮮を大いに評価しているわけで、まったく噛み合いません。それに李氏朝鮮は現実として清王朝に隷属する立場にあったわけで、完全に独立状態を維持していたかのように主張するのは欺瞞です。当時、朝鮮の国旗は「大清国属高麗国」と書かれているのですから
さて、実際のところ、「脱亜論」が日本で広く知られるようになったのは1960年以降であり、明治期や大正期、あるいは昭和の戦前期の日本人の思想形成に大きな影響を与え、朝鮮人を侮蔑する風潮を生み出した事実はありません
民族差別に与する気はありませんが、思想形成の歴史・思想の変遷というのは自分の関心事なので取り上げます
日本で最近出版されたいわゆる'嫌韓図書'の内容と構造が19世紀後半の書籍に似ているという研究結果が出た。
13日、学界によればイ・ウォンウ東北アジア歴史財団研究委員は学術誌「日本文化研究」最新号に出した論文で2010年以降、日本で出版された嫌韓図書が明治時代初期の福沢諭吉(1835~1901)の著書の論旨と非常に似ていると明らかにした。
イ委員が分析した嫌韓図書は『日本人は中韓との「絶交の覚悟」を持ちなさい』(2014年出版、 石平(中国)、黄文雄(台湾)、呉善花(韓国)著)『韓国人に生まれなくてよかった』(2017年出版、武藤正敏著)『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』(2017年出版、ケント・ギルバート著)『「統一朝鮮」は日本の災難』(2018年出版、古田博司著)などだ。(訳注:カッコ内は訳者が該当すると見られる書誌情報を追加した)
彼は福沢が1885年発表した「脱亜論」をはじめとした「朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す」「朝鮮の滅亡はその国の大勢に於て免るべからず」が嫌韓図書と一脈通じると強調した。
イ委員は「19世紀、日本は明治維新を経て東アジアで唯一近代化に成功しながら近隣諸国に対する優越と蔑視を固着していった。日本知識人の世界像で主軸は中国から西洋に明確に転換された」と説明した。
福沢は「脱亜論」で日本が西洋文明を積極的に受け入れアジアを抜け出したが、中国と韓国は儒教主義の弊害に陥って西欧文明を受け入れられなかったと批判した。また他の文では朝鮮支配階層の苛斂誅求と腐敗が激しく国が滅びる方がより良くて、後日、朝鮮は西欧列強の分割占領を体験することになると主張した。
イ委員は最近刊行された嫌韓図書でも韓国人は嘘つきであり、韓国には依然として儒教の弊害と事大主義が残っているという主張が繰り返し登場すると述べた。
2017年出版された嫌韓図書「韓国・韓国人の品性」(古田博司著)の著者は「李朝で儒教がどのように定着して行ったのか資料を読めば読むほど初期の暴力的教化を知ることになった。韓国の儒教は民族の恥辱そのもの」といった。福沢が「脱亜論」で朝鮮に広がった儒教を非難して「一から十まで外見の虚飾だけを重視して実際においては真理原則の様な識見がないだけでなく道徳さえも見つからない」としたのと似た脈絡だ。
これに対してイ委員は「歴代中国王朝に抵抗しながら今まで民族的実体とアイデンティティを維持した国は韓国とベトナム程度」として「儒教的影響の多くが消えた現代韓国を評価しながら儒教と小国根性を云々するのは非現実的」と反論した。
合わせて朝鮮時代の朱子学理念が韓国人の日本に対する劣等意識と結合して「反日」が生じたと見る見解や韓国を中国と一緒に攻撃する形も嫌韓図書で広く確認され、福沢の著書にも一部現れると強調した。
彼はこのような分析を基に嫌韓図書の内容を「韓国人に対する非難・卑下→儒教と属国主義非難→韓国と決別」に要約した。
イ委員は「日本にあふれる嫌韓論は現代版『脱亜現象』ということができる。嫌韓図書は日本の国力が相対的に弱くなって韓国を意図通りに誘導できない苛立ちと焦燥感に由来した自己統制喪失の告白」と診断した。引き続き「嫌韓図書の内容には同意できないものが多いが、嫌日論で対応する必要はない。韓日関係改善の糸口は両国報道機関と出版界が相手方の肯定的な体面を保つところに探さなければならないと助言した。
(聯合通信の記事から引用)
朝鮮朱子学がいかにも優れた学問のように記者は信じ込んでいるのかもしれませんが、実際は違います。そもそもこの記者は戦後のハングル教育を受け、漢字の読み書きができない(ハングルしか読めない)のでしょうから、朝鮮朱子学の原典(漢字で書かれている)は読めないはずです
話を戻して福沢諭吉は儒学が大嫌いな人物です。江戸時代に生まれた武士の習いとして孔子や孟子の書籍は読んでますが、2千年以上も前の戦乱の時代の教えをそのまま理解しようとする儒学者の態度を批判しています。西欧の思想がギリシャ哲学を批判し、中世の哲学を批判し、たえず革新を目指してきたのとは段違いだ、と
そうした視点から見れば、上記の記事もあまりに決めつけだらけで、おそよ学際的な態度とは思えません
指摘したように「脱亜論」が韓国批判の嫌韓本の原点や出発点ではないのですから、見当外れの記事です。近年、巷にあふれる嫌韓本とは無関係
なものを「脱亜現象」の起点であると決めつけるのは、恥ずかしすぎる勘違いです
また、日本の知識人や政治家が孫文やチャンドラ・ボースのような中国・インドの革命家、民族主義者を支援していたように、決して西欧文明一辺倒ではなかった事実を、上記の記事は無視しています。あたかも「脱亜入欧」という思想が当時の日本に定着していたかのような、ウソを前提にした記事なのでこんな書き方になるのでしょう
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