村上春樹 「ドライブ・マイ・カー」を読んで
村上春樹の短編集「女のいない男たち」から「ドライブ・マイ・カー」を読んだので、その感想なりを書こうと思いつつ、事件やその裁判の判決やらが相次いだため先送りしてきました
濱口竜介監督の映画「ドライブ・マイ・カー」は各地で映画賞を受賞しており、評判も上々のようです。映画はまだ観ていないのですが、フランスの映画メディアの批評を紹介しているウェブサイトがありましたので、最初に映画評をいくつか並べます
「『ドライブ・マイ・カー』は、濱口監督がデビュー以来挑んできた美的探求が最も成功した、最も感動的な作品だ。迷宮の中から筋道へと導く赤い糸(指針)のように、時には見えない言語表現も交えて登場人物の間で交される会話と言葉を通して、より真実に肉迫しようとしている」(日刊紙ルモンド)
「濱口監督は偉大なる小説の豊かさをゆったりと複層的な構成で見事に描ききった。予測不可能であるにも関わらず、澄んだ迷宮の道へ入り込んでいくかのように……。本作で起こる多くの分岐点に翻弄されながらも、主人公の車を介して観客をより遠く深い地点までいざなってくれる叙事詩でもある」(日刊紙リベラシオン)
「観客はまるで登場人物と併走するかのように、流れるように物語は進行する。登場人物の過去と向き合い、抱えた秘密、抑圧された感情や行為を解読しようとするだけではなく、未来に対して、より軽やかに自身の再生と克服を模索する、濱口竜介監督の素晴らしい作品だ!」(週刊カルチャー誌テレラマ)
「濱口竜介はその厳密さと筋が曖昧になることを恐れない明晰さを持ち合わせた素晴らしい監督だ。肉体と身体言語を交錯させながら、登場人物の“あるべき”本来の魂のあり方を徐々に明確にする。そして彼らの心の揺らぎと抽象的な思考に揺さぶりをかけて、明らかにしていく」(映画誌カイエ・デュ・シネマ)
映画の方は短編小説「ドライブ・マイ・カー」のみならず、短編集に収められた「シェラザード」や「木野」などのエピソードも織り交ぜて構成されています
と、映画の話はここまでにして、短編小説「ドライブ・マイ・カー」に話を移します
幽霊が出ない村上作品
妻を失った男が、生前に妻と寝ていた男たちについて語るのが話の筋立てです。いつもの村上作品であるなら、妻の幽霊、あるいはこの世ならざる者が登場し、主人公と対話を重ねながら話が進むところですが、この作品には登場しません
ほぼ、主人公である家福悠介の視点で語られます
家福は女優である妻で共演した俳優、高槻耕史が妻と不倫関係にあったと知っており、高槻を誘って飲みに行きます。酒好きな高槻が酔にまかせてペラペラとしゃべる様を眺めながら、なぜこんなつまらない男と妻は寝ていたのだろうかと思うのですが、答えは出ません
まあ、家福の視点で語られているのでこうなるわけですが、実際はどうだったのでしょうか?
村上春樹は家福の視点で物語を書いており、そこは上記のテレラマの批評にあるように「登場人物の過去と向き合い、抱えた秘密、抑圧された感情や行為を解読しようとするだけではなく、未来に対して、より軽やかに自身の再生と克服を模索する」展開です
ただ、ニーチェが書いた「深淵を覗こうとする者は心せよ。深淵もまたこちらを観ているのだ」との警句によるならば、高槻もまた家福悠介を観ていたのであり、あの女性がなぜこんな退屈な男と夫婦であり続けたのか、と疑問を抱いたに違いありません。長身でハンサムで、嫌味のない二枚目である高槻は自分に自信をもっており、家福のような退屈な男ではないと自負したでしょう
妻と別れ、彼女(家福音)と結婚することも考えていたに違いありません
このように高槻視点から眺めたなら、物語は別の様相を呈してきます(もちろん、そのようには書かれていないのですが)
高槻の視点から解釈すれば、彼女は退屈な夫との結婚生活に飽き飽きしており、刺激を求めるからこそ自分と寝ているのだ、となります。家福は妻を飽き飽きさせ、不倫に走らせておきながら自分がその原因だと理解できない愚鈍な男、なのです
村上春樹が高槻の視点を取り入れなかった理由は分かりません。が、「ノルウェイの森」にしても、ほぼ主人公の一方的な視点で語られているのであり、元よりそうした書き方が村上のスタイルです
ただ、短編集「神の子どもたちはみな踊る」の作品群のように主人公の視点のみから語るのではなく、別の視点を取り入れ、物語に重複的な構成をもたせようとする試みもあるわけで、単純には決めつけられません
読んだ感想としては、上記のように家福悠介は高槻を理解したつもりで理解し損ねているのであり、同様に妻についても理解したつもりで理解し損ねている、というものです。妻を理解し損ねている家福が、妻の不倫の動機を詮索したところでどこにも辿り着けません
家福の乗る車は間違った道を、そうと知らないまま走り続けている…と感じました
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