渋谷短大生バラバラ殺人(平成18年) 発達障害をどう裁くか

当ブログは2009年3月に始めました。時折、それ以前の事件も掘り返して言及しています
平成18年(2006年)12月、両親や親戚も歯科医、という一家で、私大歯学部受験に失敗して3浪中の次男(長男は歯学部在学)が妹を口論の挙げ句絞殺し、遺体をバラバラに切断した事件で、当時はテレビ、週刊誌などがこれでもかというほど取り上げていました
当時の扱いは猟奇殺人、あるいはエリート一家の悲劇、という具合で、さらには次男と妹が近親相姦関係にあったとか、ネクロフィリアだったとか、根拠不明のデマも飛び交いました
裁判では1審の東京地裁が精神鑑定結果を尊重し、被告の犯行は解離性障害が影響しており遺体損壊は別人格によると判断して無罪とし、殺人については懲役7年という異例の判決を下しました
検察側の控訴により、2審の東京高裁は地裁の判決を破棄し、解離性障害による影響を認めながらも責任能力はあったと判断して懲役12年の判決を下しています
今回は、緒方あゆみ明治学院大学法学部講師の論文を手がかりに、考えようと思います
なお、発達障害や解離性同一性障害を有する被告による刑事事件の裁判でも、その扱い方は刻々と変化しており、決して固定されてはいないと理解しておく必要があります
精神医学用語とその定義ですが、こまかな違いは問わず、大雑把にアスペルガー障害は自閉症スペクトラムの1種と扱い、アスペルガー障害を抱える人の約4割に本件のような解離性同一性障害など、複数の精神的な障害が見られるとの理解ですすめます

判例研究「解離性同一性障害と刑事責任能力」:東京高裁平成21年4月28日判決

東京地裁での一審判決では何が裁判官の判決の決め手になってのか、論文は順序立てて説明しています
精神鑑定を経て提出された鑑定書が被告人の犯行時の行動と心の働きを巧みに表現しているため、裁判官がこれに乗っかったと考えられます
論文からの引用は赤字で表記します

裁判所は、弁護人からの鑑定請求を採用し、公判廷において、「犯行時及び現在の被告人の精神状態,犯行時及び犯行前後における被告人の心理状態」を鑑定事項として鑑定を実施した。鑑定医は、本件各犯行時の被告人の精神疾患とその病態について、①被告人は、アスペルガー障害を基盤とする解離性障害にり患し、本件各犯行に至った、②被告人は,アスペルガー障害を基盤にして、激しい攻撃性を秘めながらそれを徹底して意識しないという特有の人格構造を形成しており、怒りの感情を徹底的に意識から排除しようとする人格傾向が強く、激しい怒りが突出して行動しても、それを感じたと認識する過程を持っていない、③被告人は、アスペルガー障害によって、このような攻撃性等の衝動を抑制する機能が弱い状態にあったが、アスペルガー障害を基盤とする解離性障害が加わり、外界の刺激が薄れることによって、この機能がさらに弱体化していた、とする鑑定結果(以下、「U 鑑定」とする)をまとめた。

さらにU鑑定では、殺害時の行動を被害者はよく記憶しており説明可能であるのに対し、遺体解体時の行動はほとんど記憶がなく、説明困難である点に着目し、遺体解体時には解離性障害によって人格の交代が起きており、ゆえにその時の記憶が乏しいのだと説明しています

そして、②死体損壊時の責任能力に関しては、「本件死体損壊時において、被告人は解離性同一性障害により本来の人格とは別の人格状態にあった可能性があるところ、被告人の公判供述によれば、被告人には、死体損壊時の記憶がほとんどなく、本来の人格とは別の人格状態の存在について認識していないことが認められる。そうすると、本来の人格はこの別の人格状態とかかわりを持っていなかったと認められ、このことからしても、鑑定において指摘されているように、被告人はその人格状態に支配されて自己の行為を制御する能力を欠き、心神喪失の状態にあった」 と認定して被告人の責任能力を否定し、殺人罪につき有罪、死体損壊罪につき無罪という結論を下した。

検察はこの、「殺害時は責任能力は認めるものの、遺体損壊時は人格交代が起きていた可能性があるので罪に問えない」という理屈に納得せず、控訴しています。弁護側も「殺害時にはすでに人格交代が起きていたと考えられるので無罪にすべき」と控訴します
東京高裁は以下のように判断し、1審判決を破棄して懲役12年とする判決を下しています

2審の東京高裁は、U 鑑定の信用性について、被告人が生来的にアスペルガー障害にり患し、中学生のころから強迫性障害が加わっているという点については合理的であるといえるが、犯行時に解離性障害ないし解離性同一性障害にあったとする点については、その前提を誤っており、首肯し得ないと言わざるを得ないとして否定し、被告人は殺人の行為時のみならず、死体損壊の行為時においても、完全責任能力を有していたと認められるとして、死体損壊の点について被告人を無罪とした原判決を破棄し、以下のように判示して、被告人に対して殺人罪及び死体損壊罪の成立を認めて懲役 12 年を言い渡した。

この控訴審判決について研究し、一定の見解を示すのが緒方論文の狙いです。そこでは、人格交代があったとして、別人格による犯行の責任を主たる人格に問えるのか、との問題意識が提起されています
ただし、この考えは論文発表当時は有効であったかもしれませんが、現在では否定された感があります。これについては最後に書きます
緒方論文は以下のように3つの考え方を示します
DIDとはいうわゆる「多重人格」のケースです

DID と刑事責任能力との関係について、学説は主に、① DID であれば,常に責任無能力であるとする見解、②主人格が別人格の行為を感知 ・ 統制できない場合には責任無能力であるとする見解、③犯行時に行為を支配していた人格が弁識能力および制御能力を有していない場合のみ責任無能力であるとする見解の3説が主張されている。
①説の立場によると、DID と診断されれば常に責任無能力となるので、主人格・別人格のどちらが行為をしたかを問うことなく被告人は無罪となる。しかし、責任能力判断にあたっては、被告人の犯行当時の病状、犯行前の生活状態、犯行の動機 ・ 態様等を踏まえ、生物学的要素を確定した上で、精神の障害が行為の弁識能力 ・ 制御能力にいかに影響を及ぼしたかという心理学的要素を判断する混合的方法説を採用すべきであるので、①説は妥当でない。
したがって、本来の人格ともいうべきホスト人格と犯行時の別人格との関連を問題とする②説か、犯行時の人格に対する責任を問題とする③説かの2つの説に絞られることになる。③説は、1人の身体の中に独立した複数の人格があり、犯行時の人格の心理状態によって刑事責任能力を判断するものである。

緒方論文では②を妥当としているのですが、裁判所の最近の判断は必ずしもそうではありません
当ブログで取り上げた西成准看護師殺害事件においては、「犯行を別人格が主導していたとしても、オーイシ被告本人の責任は否定できない」として、情状酌量による割引なしに求刑通り、無期懲役を言い渡しています。この判決は今後、「解離性同一性障害といえども減刑すべき事由には当たらない」との新たな基準になるとも考えられます
また、福岡女性転落殺人では、被告が犯行前に解離性同一性障害との診断を得ていたわけですが、被告による「別人格がやったかもしれないので無罪」との主張を裁判官はあっさり退け、考慮もしないという内容の判決でした(詐病の疑いもあったわけで)
解離性同一性障害といえども複数の人格が1人の人間に備わっているのではなく、「他の人格」という仮想の存在を作り出して現実逃避を図っているだけであり、「他の人格」も含めてその人の人格であると考えるのであれば、わざわざ別人格だから責任を問えない、などと面倒くさい考え方をする必要はないわけです
ただ、そうした考えが絶対的な判断基準として定着するかどうかは別であり、新たな事件によってまた違う見解が示される可能性もありますし、解離性同一性障害を巡る学説の動向によっても変化するのでしょう(アスペルガー障害と解離性同一性障害がどう関係するのか、もよく分かっていません)

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