松本清張「或る『小倉日記』伝」を読む
新潮文庫版の「松本清張傑作短篇集」(二)に収録されている「或る『小倉日記』伝」を読んだので、少し書きます
社会派推理小説の大家とされる松本清張のデビュー作とされ、芥川賞を受賞した作品です。短編なので、上記の文庫本で50ページに満たない長さであり、すぐに読めてしまいます。が、自分はこれを40年以上も「読もうと思いつつ」、放置してきました
「いつでも読めるから」とか、「そのうち読むつもり」というのがいかにダメであるかの証明みたいなものです
芥川賞は純文学系の新人賞ですから、当時は「或る『小倉日記』伝」を純文学として評価したのでしょう
物語は小倉在住の田上耕作という森鴎外ファンが、小倉にあった陸軍師団の軍医部長として着任した森鴎外の3年間の足跡を追うという内容です
物語は小倉在住の田上耕作という森鴎外ファンが、小倉にあった陸軍師団の軍医部長として着任した森鴎外の3年間の足跡を追うという内容です
が、多くの批評が指摘しているように、これは人探しの推理小説と解釈するのも可能であり、その後の松本清張による「ゼロの焦点」や「砂の器」といった社会派推理小説の萌芽とも受け取れます
小説を読んだだけでは足らず、この「或る『小倉日記』伝」を取り上げた論文をいくつか拾い上げ、読んだところです
今回は木村有美子大阪樟蔭女子大学学芸学部講師の論文「或る『小倉日記』伝」考を手引につかわせていただきます
論文からの引用は赤字で、自分のコメントは黒字で表記してあります
「或る『小倉日記』伝」考
(論文16ページ)
『松本清張全集』三五巻の「解説」で、桑原武夫氏は
田上耕作というみじめな肉体と明敏な頭脳をもった人物は、作者の住んでいた小倉では有名だったが、松本がさる記者にもらしたところによると、作者は会ったことがなく、また耕作の書いたものは残っているはずだが、その所在も知らず、もちろん読んだこともない。ただ作者は、耕作がたどったであろうと想像される道すじを自分自身で歩いて調べたのであって、耕作の筆としてここに出ている文書は、作者の創作なのだという。鴎外の著作をふまれての綿密な現地調査自体がたいへんな努力であったにちがいないが、むしろ見事なのは、作者松本と作中人物耕作の相即、調査しながら書き、創作をすすめるために調査するという関係の性交である。
と述べている。
松本清張が田上耕作の存在と彼の活動を知ったのは、新聞の片隅に載った死亡記事だったとされますが、真実かどうかは不明です。松本清張が幅広い人脈を持ち、田上耕作の周辺にいた人物と知己関係にあったと確認されている以上、直接会ってはいなくとも名前やその活動(鴎外の小倉における足跡を丹念に辿り、情報収集している人物との評判)くらい耳にしていたのではないか、と思います。が、本人が語らない以上、そこは追及しても結論はありません
松本清張は古代史から現代史まで幅広く興味を示し、現場を歩き、書籍をや記録を集め、これを読み込んで構想を練り、作品に仕立てたのですが、このデビュー作で早くも自身のスタイルを確立しているのが見て取れます
ただ、こうした手法がいつも成功したわけではなく、自身の読みに依存したがゆえに読み誤りを招き、専門史家からその作品を批判されたケースもあります
松本清張唯一の失敗作『北一輝論』二・二六事件を読み誤らせた先入観とは?
(論文19ページ)
山崎一穎氏は、〈小説中の田上耕作像は清張その人に近づけている・明よりも暗に焦点を絞って造形していく清張文学の原点が個々にある。〉と述べている。大塚美保氏も〈小説中の耕作像は、清張の一定の意思の下に造形された、かなり虚構性の強いものと見ることができる。〉と言い、
一定の意思とはどのようなものか。それは次の二つのキーワードで表せるように思われる。〈自己像の投影〉と〈不遇〉である。(略)生没年の操作・変更にも顕著だが、小説中の耕作は、作者清張と多くの条件を共有する主人公として設定されている。小説中の耕作が自分と鴎外との間に、(略)パセティックな共感を感じているのと同様に、清張から耕作に対しても、或る種のパセティックな一体感が投げかけられていたことがうかがえる。
一定の意思とはどのようなものか。それは次の二つのキーワードで表せるように思われる。〈自己像の投影〉と〈不遇〉である。(略)生没年の操作・変更にも顕著だが、小説中の耕作は、作者清張と多くの条件を共有する主人公として設定されている。小説中の耕作が自分と鴎外との間に、(略)パセティックな共感を感じているのと同様に、清張から耕作に対しても、或る種のパセティックな一体感が投げかけられていたことがうかがえる。
と指摘している。なるほど作中の耕作は〈清張その人〉〈自己像〉と近似している。
木村論文はいろいろと示唆に富んでおり、取り上げたい部分はあるのですが、そちらが本題ではないのでここまでにしておきます
鴎外の「小倉日記」を巡る、田上耕作、松本清張との因縁は実に不可思議なものがあります
鴎外の全集を編纂するため、小倉時代に綴られた日記(小倉日記)を探したものの見つからないままでした。それを聞き及んだ田上耕作は小倉時代の森鴎外の足跡・行状を知らんと欲し、調査を進めることになります
やがて「小倉日記」は発見されるのであるが、今度は書き溜められた田上耕作の研究草稿が戦時中のどさくさにまぎれて紛失してしまうのです。これを知った松本清張が今度は田上耕作の足跡を追い、「或る『小倉日記』伝」が書かれたわけです。文学の神様の采配か、と言いたくなる因縁です
小説の中で印象深いのが、伝便屋の鳴らす鈴の音です。街中を鈴を鳴らして歩き、依頼を受けた書面を配達するという郵便事業の代わりの便利屋です。果たして作中にあるような伝便屋の鈴の音を耳にしたのは、田上耕作であったのか、松本清張であったのか、どちらでしょう?
史実として田上耕作は太平洋戦争中、米軍の爆撃によって死亡しており、伝便屋の鳴らす鈴の音を幻聴として聞きながら息絶えたわけではありません。が、文学作品としては松本清張の創作による耕作の死が鮮明であり、深い余韻を読者に与えてくれます
文庫本で50ページにも満たない短編小説ながら、読後感としては長編小説を読み終えたがごとき満足感を与えてくれ、読書の醍醐味を久しぶりに味わったのでした
(関連記事)
村上春樹「ハナレイ・ベイ」 深い余韻と波
村上春樹とレイモンド・カーヴァー 救済の不在
村上春樹「一九七三年のピンボール」 不在という存在
村上春樹「一九七三年のピンボール」研究Ⅲ
村上春樹「一九七三年のピンボール」研究Ⅱ
村上春樹「一九七三年のピンボール」研究
「風の歌を聴け」 デレク・ハートフィールド考
「風の歌を聴け」 デレク・ハートフィールド讃
村上春樹「アイロンのある風景」と「焚き火」
村上春樹「アイロンのある風景」を眺めて
村上春樹が世界の読者に刺さる理由
涼宮ハルヒ セカイ系とゼロ年代
涼宮ハルヒの非日常、あるいは日常への回帰
「涼宮ハルヒ」の独我論を読んで
盗作騒動「美しい顔」 小説家北条裕子のその後
古市憲寿の芥川賞落選とは