名古屋アベック殺人(1988年) 無期懲役囚の現在

廃刊してしまった雑誌「新潮45」の2016年9月号に掲載されていた、名古屋アベック殺人事件の犯人の1人で無期懲役刑判決を受けて服役中の人物を取り上げた記事がデイリー新潮のサイトに掲載中です
通常、形が確定して服役した受刑者には予め届け出た親族か弁護士しか面会できないのですが、この中川政和(仮名)受刑者にはジャーナリストの面会が許可されています
記事の中身を読めば理解できるのですが、法務省としては「無期懲役受刑者でも仮釈放を目指して懸命に励んでいる」とアピールするため、ジャーナリストとの面会を許可している…のではないかと想像します

「名古屋アベック殺人」主犯少年のいま、無期懲役の身に置かれて
(前略)
「極刑をもって臨むべき」
89年6月、名古屋地裁は中川に求刑通り死刑判決を言い渡した。「まれに見る残虐、冷酷な犯罪で、遺族の被害感情を考えると、死刑もやむを得ない」というのが、その理由だった。少年への死刑判決は、犯行当時19歳だった4人連続射殺事件の永山則夫元死刑囚=97年8月に死刑執行=以来だった。
だが、7年半にわたる控訴審の末に、96年12月、名古屋高裁は一審の死刑を破棄し、中川に無期懲役の判決を言い渡した。判決文では、中川に対して「犯行の動機にくむべきものはまったく見当たらず、犯行の態様も残虐で、結果の重大性はいうまでもない。遺族の被害感情には今なお厳しいものがあるなど、極刑をもって臨むべきとの見解には相当の根拠がある」としながらも、死刑の選択を避けた。「控訴審の公判でも、人の生命の尊さ、犯行の重大性、一審の死刑判決の重みを再認識して、反省の度を深めていることなどの事情が認められる」(判決要旨より)など、中川に更生の可能性があると判断したのが、その理由だった。
検察側は上告を断念し、97年1月に無期懲役が確定したことから、中川は岡山刑務所に下獄した。中川のほか犯行に加わった5人は、無期懲役や懲役13年、5年以上10年以下の不定期刑が確定している。
刑務所内で、中川は「1類」の優遇措置を受けている。社会復帰に向けて努力させるため、服役態度などによって受刑者を1~5類に分け、区分ごとに面会や手紙の回数、所内での集会の参加回数などの幅を広げている。1類はそのトップランクで、岡山刑務所内では約30人と、全受刑者の1割に満たない「獄中エリート」だ。中川は刑務作業での事故や所内でのトラブルがなく、素行のよい「模範囚」ということになる。そのため、面会時間も1時間を許可された。
(以下、略)

一部のみ、引用しました。長文の記事なので、中身のついては上記のデイリー新潮のウェッブサイトで確認願います
ただ、余計な色をつけていない冷静で実直な記事だと感じます
「名古屋アベック殺人」の犯行内容については、まとめたサイトがいくつもあるのでそちらを参照してください。ただし、全部読んでしまうと食事が喉を通らなく成るような鬼畜な犯行であり、若い2人の男女をとことん痛め尽くし、弄び、じわじわと死に追いやる様が描かれていますので目を通すかどうかは、自己責任でお願いします
人間はここまで残虐な真似ができるのか、と呆れてしまいます
しかし、紛れもなく上記の無期懲役受刑者である中川政和(仮名)と仲間たちの犯行であり、誰が主犯格であろうともそんなことに関係なく、全員を無期懲役、あるいは死刑に処すべき行状でしょう
最近の判決を見ても、若者による強盗殺人事件では共犯者全員に無期懲役判決が下されるケースもあります。主犯だの、従犯だのと色分けし量刑に差をつける意味があるのか、と思う自分にとっては納得できる判決です(判決を受けた当人たちは不満タラタラでしょう。あいつの方が悪いのに、なぜ刑が軽いのか、などと気にする連中です)
さて、中川受刑者が仮釈放によって出所できるかどうかは法務省の組織である地方更生保護委員会が決めるのであり、口を挟む真似はしません
ただ、仮釈放に関しては被害者遺族の意向も判断材料になります。特に世間を震撼させた殺人事件で、被害者遺族が犯人を許せない、と思っているのを無視して仮釈放にすればメディアも問題視して騒ぎます。なので仮釈放決定には慎重にならざるを得ないという事情があります

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