下関無差別殺人での死刑判決に疑問 青沼陽一郎
何かと話題を提供してくれる週刊文春ですが、中には理解に苦しむ内容の記事も少なくありません
文春オンラインに掲載されている青沼陽一郎の『「私が見た21の死刑判決」より』を、今回取り上げます。これは文春新書から出ている同名書の抜粋のようです
死刑判決の下された事件を、ジャーナリストで作家である青沼陽一郎なりの視点で描いたものですが、よくあるジャーナリストの独りよがりな作文です。自分だけが鋭い時代感覚で事件と事件を取り巻く社会の異常性を捉え告発しているのだ、と言いたいだけの内容でしょう
長文の記事なので、文末の部分のみ引用します。全文を読みたい方は文春オンラインにアクセス願います
記事では1999年9月、JR下関駅にレンタカーで突っ込み、包丁で駅の利用客5人を殺害し、10人に重軽傷を負わせて死刑判決を受けた上部康明について触れたものです(上部死刑囚は2012年3月に死刑が執行されています)
「ただでは死ねない」睡眠薬120錠を飲んで駅に突っ込んだ下関通り魔事件にみる死刑相当事犯の“奇妙な共通点”
(前略)
最初に社会や組織、集団に適応できない個人としての存在がある。そこに苦しみを感じる。しかし、社会は決して自己に対して適応しようと変わってくれるものではなかった。それこそ、母親の胸のうちにあり、父親の経済的庇護の下にあった子どもの頃であれば、家族という最も小さな世界の側が包み込んで融通していてくれたからよかった。それが大人になると、父も母も離れていく。世界が変わらないのであれば、自分の側が変わるしかない。そこで診療を受け、あるいは修行によって、自らを変えていこうとする。時にはクスリの力にも頼る。内側を変えようとする。それでも、思ったような自分にはなれずに悩む。社会的に優位に立てると信じた学歴には裏切られ、あるいは学歴がないことをその原因のひとつと考える。異性への憧れも異国への逃避行にも裏切られた。変わろうとした努力する自分に罪はない。あるところまでいって、自己が変化することに頓挫したとき、究極の変革は自分を失うこと、すなわち自殺にあると知る。それが苦しみからの解放である。どうせ死んで無くなるならば、最後に世界の側に働きかけることで、今ある環境に手を加えてみようとする。世界に向かって自分の存在を確かめようとする。攻撃性は自己変革の失意がもたらした命の取引である。どうせ最後なら、世界の変革へと挑み、人を傷つける。受け入れてくれない社会を、自分とは違う他者を変えようとする。平等に同じ失意の痛みを味わわせる。他者であれば誰でもいい──。
2008年6月に発生した、秋葉原の通り魔事件だって、下関の事件と基本的には同じパターンだろう。
車で人通りの中を疾走して殺し、刃物を持って通行人を追い回す。そして、その場で取り押さえられて観念する。ぼくにいわせれば、同じことを繰り返しているに過ぎない。
「殺人者はみんな異常じゃないですか」
自分を変えるつもりが、麻原という虚像に全てを投げ出してしまったのがオウムということになる。服従することで理想の自分が手に入る。迷うこともない。責任は教祖が担ってくれる。悩みから解放された世界。その特異な空間が現実の世界を変えようと、ある日攻撃を仕掛けてきただけのことだと、ぼくは思っている。
ところが、攻撃を受けた側では、まったく身に覚えもなければ、恨みを受ける因果もない話だった。人の命を奪わないという最低限のルールと共通認識の中で安全に暮らしている人間からは、理解のできない行為にほかならない。
そこで、鑑定によってその時の殺人者の内側を探ろうとする。合理的な説明を求めようとする。本当に理非分別能力に欠けていたのなら、社会のルールすなわち法律によって刑事責任は問えないことになる。
物理的な薬物による作用が認められたのが、ハイジャック犯だった。
そうでないものには、死刑が適用される。
では、その判断は誰がするのか。
それが裁判官であり、これからは裁判員ということになる。
怖いことに、裁判員の中にはハイジャック犯と同じクスリを呑んでいる人も入ってくるかもしれないのだが──。
3通りの専門家による見解と、刑事責任能力の有無が分かれた鑑定結果から、5人を殺した下関の通り魔には、結局、死刑の判決が言い渡されている。
ひとりの被告人にいく通りもの診断、鑑定結果がでてくることが、精神鑑定の不確実さを証明しているようなものだ。
鑑定結果そのものもどこまで信用していいものか。どこまでが責任を追及できて、どこまでが責任を免れるのか。どこまでが異常で、どこまでが正常なのか。
(以下、略)
長文の記事です。これでも文春オンラインで2回に分けて掲載されている記事の1回分から、その一部を引用しただけなのですが
まあ、「ポエムかよ」との突っ込みは横に置いて、自分の思うところを手短に述べます
上記の記事で赤線表示をした部分が自分としては納得できないところであり、異論を書きます
上部康明死刑囚については、起訴前に簡易鑑定が1回行われ、その後山口地裁下関支部の判断で精神鑑定が行われ、福島章上智大学名誉教授と保崎秀夫慶応大学名誉教授がそれぞれ鑑定を実施しています。日本で精神鑑定といえば福島章の名前が出るくらい、数多くの鑑定を実施してきた人物です。が、福島教授の見立ても、福島教授なりの理論による一側面であり、一側面でしかないのです
人間の精神状況など複雑怪奇で凸凹なものであり、それをA理論で分析すれば「Aの1」という鑑定結果が得られます。B理論で分析すれば「Bの1」という鑑定結果が得られるでしょう。なので、1人の被告人に対し異なる鑑定結果が出るのは不思議でも何でもありません
凸凹で複雑怪奇な塊にどの角度で光を当てるかにより、見え方は異なるのですから
精神鑑定というのはそうしたものです。以前、当ブログで昔のニュース番組のコメンテーターが「精神鑑定は方法論が統一されておれず、鑑定する人によって結果のばらつきがある」と欠陥であるかのような指摘をしていました。しかし、その解釈は大間違いであり、複数の方法論によって鑑定をする(異なる角度から光を当てる)ことが重要であり有効なのです。精神鑑定を単一の理論だけで実施したのでは、一側面だけしか見ないのと同じです。精神医学でもその根幹となる理論はいくつもあり、どの理論を依り何処にするかで見方が変わります
この場合、福島鑑定も保崎鑑定も汲むべきところはあり、それを裁判官が判断して結論(死刑)を下しているのであり、現状の裁判制度として正常な手続きです。もし上部被告を死刑に処さないのであれば、被害者やその家族は報われません。ジャーナリストのセンチメンタルな回顧など役に立たないのであり…
青沼陽一郎は長く事件を取材し、現場を歩いてきた人物なのでしょうが、明らかに勉強不足です。もっと基本となる犯罪心理学や精神医学をきちんと学んでもらいたいものです
拘置所で被告人に20分ほど面会しただけで、その人物を理解した気になるのも大間違いです(多くのジャーナリストがこうした勘違いをし、いわゆる実録物と呼ばれるルポルタージュを書いています)
自分の経験を述べると、恐喝容疑で逮捕された男は、「自分はそんな事件、やっていませんよ」といかにも実直そうに主張していたのですが、深夜の就寝時間中に「テメー、俺を誰だと思ってやがる。殺すぞ」と寝言を繰り返していました。だから彼が恐喝犯だと決めつけられるものではありませんが、彼が夢(無意識)の中で恐喝を繰り返しているのは確かでしょう。面会場面だけが彼のすべてではありません
20分だけの面会で得られる情報に依存し、「自分こそが死刑囚の本当の姿を知っているのだ」などと思いこむのは大間違いです
追記:起訴前の簡易鑑定でも40万円から50万円、本格的な精神鑑定ともなれば80万円から100万円の費用がかかるため、1つの事件で何回も精神鑑定を実施するわけにはいきません。これはすべて国費で負担となり、国民の税金が使われるのですから
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