村上春樹「一九七三年のピンボール」 不在という存在

荒地出版社から刊行された加藤典洋編「イエローページ 村上春樹」掲載の論評からいくつか取り上げてみようと思います
これは村上春樹の小説を「井戸を潜ってどこまで行けるか、試してみよう」という意図で編纂された論評で、加藤典洋他32名の論者による共同作業で書かれたものです(メンバーはおそらく明治学院大教授である加藤典洋のゼミナール参加者とその他なのでしょう)
現代の若者には「イエローページ」という表現すら死語になっているのかもしれません。元来は、様々な情報を利用者視点で再編集した電話帳の意味で、ここでは村上春樹の小説をより深く読み込むための手引、として使われています
今回はその中から、「一九七三年のピンボール」についての論評を取り上げます

ハードボイルとしての純文学
村上春樹がレイモンド・チャンドラーの作風から影響を受けているのは広く知られたところです。チャンドラーといえば「ハードボイルド」と返ってくるように、探偵が謎の解明を求めズカズカと深く分け入って行く物語が思い浮かびます
村上春樹の小説も多くは主人公が何かを探しており、大抵の場合は探している何かを見つけ損なう展開がイメージできます
以下、イエローページ収録の論評からの引用は赤字で、自分の文は黒字で表記します

(43ページ)
『1973年のピンボール』が原物語として鼠の死の物語だとすれば、その解体後の小説として、これは幻のピンボール・マシーンをめぐるハードボイルド小説仕立ての「シーク・アンド・ファインド」の物語である。このハードボイルドの方法論の導入が、小説を志すにあたり、彼の重大な関心事だったことを、村上はいくつかの機会に強調している。
自分はこの「探し求めて、探し出す(seek and find)」というテーマをハードボイルド作家のレイモンド・チャンドラーから得た。チャンドラーのテーマはfindしたときにはseekすべきものが変質している」ことだが、自分はこのチャンドラーの方法論を「ハードボイルドとは違う形」で「いわゆる純文学の土壌に持ち込みたい」と思い、「どうすりゃ持ち込めるか」を「ずっと模索してきた」

チャンドラーの影響とか表現するレベルではなく、チャンドラーの小説の方法論を純文学に持ち込もうとの企てを、村上春樹自身が語っているという事実を、自分はいまさらながら知りました
seekしている対象が変質しているのかどうかは議論のあるところだと思います。自分としては先述したように見つけ出そうとして見つけ損なう(本来の狙いとは別のものと遭遇してしまう)、との印象を受けます
後述するようにこの作品では主人公が突如、ピンボールマシーンの鳴り響く音で覚醒し、スペースシップというモデルを探し求めるようになります。ただし、探し求めているのは単にピンボールマシンであるのか、あるいは「それ以外の何か」であるのか読者にはどうとでも解釈できるような書き方になっています

(47ページ)
存在の不在 不在の存在
この小説の鼠の章で、鼠が不自然な仕方で「街を出る」苦しい決心に追い込まれるのと同時進行的に、僕の章では、鼠とのいわれのある3フリッパーのスペースシップを僕が探す話が進展している。その章の最後、僕はとうとうそれの格納された場所にたどり着く。そこは、物語の前半に僕が双子の女の子と事務所の相棒のフォルクスワーゲンを借りて配電盤を葬りに行く郊外の貯水池に似て、車で何時間も走った後に到達する、やはり郊外にある元養鶏場の冷凍倉庫である。
ところで、これは物語の中ほどですでに明らかにされていたことでもあるが、seekの果にようやくfindし、言葉を交わす3フリッパーのスペースシップは、そのfindの時点で変質している。僕は、実のところ鼠である3フリッパーのスペースシップを探し、そして見出すのだが、そこで僕を待っていたのは、(探していた)鼠ではない、直子なのである。

探し求めていたものはピンボールマシンであるのか、鼠であるのか、直子であるのか、解釈は人それぞれでしょう
先の話の続きになりますが、精神分析では夢の分析も行います。自分の経験で恐縮ですが、自分は高層ビルのあるフロアにある会議室にいて、会議が始まるまでの時間にトイレに行こうと部屋を出るのですが、階段を上り下りしてもエレベーターを使っても元の会議室にはたどり着けず、別の部屋の扉を開けては閉めているうち会議が始まる時間になってしまうとの夢を繰り返し見ます
夢の中で「元の会議室」がそれ以外の場所に変質しているとの感じはなく、むしろ元の会議室に戻れない、見つけ損なうとの感じが強いのです
ただ、これは個人的な体験ですから、一般論に還元するのは無理であり、そう主張する気はありません(が、個人的な体験なだけにその感覚はリアルであり、より実感を伴っています)

(51ページ)
僕がこの3フリッパーのスペースシップと別れ、鼠が「街を出る」決心をして、先に引いた車の中での最後のシーンを迎えると、僕の生活から、それまで聞こえていた「ピンボールの唸り」が「ぴたりと消え」る。双子の女の子も立ち去る。小説は、僕が双子の女の子と別る「何もかもすきとおってしまいそうなほどの十一月の静かな日曜日」の情景で終わる。
ここには何もない。なぜ何もないことがわたし達を動かすのだろう。あるはずの喪失感がないこと。そのため、ここに清新な不在の存在感が生まれていることが、この失敗作すれすれの危なっかしい小説を、忘れがたい作品にしている。

「生き続けるとは失い続けること」とのフレーズを耳にしたのはどこであったか、思い出せません。同時に、生き続けるとは何モノかと遭遇し続ける経験を重ね、何モノかを得続けるという意味もあるのでしょう
しかし、「一九七三年のピンボール」は青春の終わりを鮮やかに描いた作品であり、青春の名残りに決着をつける物語といえるのではないでしょうか?
それが喪失であるのか、新たな出逢いの予感であるのか、感傷であるのか、後悔であるのか、いかようにも解釈できるのであり、読み手が何がしかの答えをそこに書き込めるようになっています
フランスの精神分析家ジャック・ラカンは「≪盗まれた手紙≫についてのセミネール」において、エドガー・アラン・ポーの小説「盗まれた手紙」に登場する手紙をシニフィアンであるとし、登場人物たちの間で奇妙に受け渡しが繰り返されている様をフロイトのいう「反復強迫」として説明しています
「一九七三年のピンボール」においてはピンボールマシンがシニフィアンであり、それが登場人物の間で交換され、引き継がれ、時には鼠という存在の代替となり、時には直子の役割を投影されます
逆に表現するならば、「僕」が追い求めたのは鼠であり直子であり、彼や彼女と過ごした時間であり、交わした会話であるとも解釈できるのです
追い求めた結果は何モノかを手に入れたのではなく、喪失を、不存在を確認したというわけであり、不在の存在を受け入れて物語は終わるのです

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