「鬼滅の刃」は反キリスト教的と批判する韓国

「鬼滅の刃」のように鬼が登場する作品に接しても、我々日本人はとくに文化的な摩擦やら宗教的葛藤というものを感じたりはしません
しかし、海の向こう韓国ではキリスト教神学の教授が「鬼滅の刃」を「反キリスト教的な内容であり、韓国人の精神を蝕んでいる」と批判しています。そもそも韓国のキリスト教はウリスト教と揶揄されるくらい、本来のキリスト教の教義から外れた異端な内容を唱える宗派が跋扈しており、カルトとして警戒されるレベルです
コロナウィルス蔓延の中、政府の警告を無視してミサを強行した韓国の新天地教会は、代表者が「自分はイエス・キリストの生まれ変わりである」と主張している団体でした。韓国にはこのようにキリストの生まれ変わり、を主張する宗派が10以上存在するのだとか
余談はここまでにして、「クリスチャントゥディ」紙の記事を引用します


映画<鬼滅の刃>人気と私たちの国民の日本文化選好理由
韓国キリスト教徒の立場で見る時、韓日外交紛争の渦中にも関わらず<鬼滅の刃>の様な倭色アニメが劇場街で相当な成績をおさめるのを見ると多少窮屈な思いを禁じえない。これは単に反日感情のためでなく、キリスト教の信仰と福音と文化に対して数百年間、排他的な態度を見せてきた日本文化に対する韓国人の暗黙的な呼応と選好を確認できるからだ。しかも韓国人は外交紛争直前まで日本大衆文化だけでなく日本旅行や日本での就職に熱心だった前歴がある。
日本との非生産的な外交紛争とそれによる民間次元の交流および協力が遮られることには相当不満はあるが、元々反キリスト教的指向を持つ今日の日本文化に韓国人の精神が蚕食されて行くことも、やはり憂慮される。
ボンヘッファー(ドイツの牧師)はドイツの極端国粋主義、自民族中心主義、純血主義であるナチズムをキリスト教的観点で非難した。彼は20世紀始め、ドイツ民族全般に見られたこの排他的で自己中心的な国家主義思考が人間の罪性が極端に現実化した姿だと批判した。人間の思考の外側から見られ聞こえる神様の啓示行為を握りつぶそうとする人間の閉鎖的な属性、ルターの表現を借りれば「自分の中の曲がった心」は自分の外側のもの、自分と違うもの、他者性に対する盲目的拒否感と支配欲があらわれるが、その極端な事例がすなわちナチズムというものだ。
このナチズムに劣らず国粋的で閉鎖的であり自民族中心的で全体主義的な思考が日本式軍国主義であり、このような思考は今日の日本の精神文化および大衆文化全般に相変わらずに位置している。日本で製作された多くの文化コンテンツは時に反戦精神やヒューマニズムを表わしているが、そのような場合さえ日本的なことに対する国粋的自負心を濃厚に示す。
そしてこのような態度は今日の韓国政界および文化系内部に広まった民族主義的態度と非常に似ている。このような考え方が社会全般に方だけすればするほど、人々の関心はキリスト教信仰から遠ざかる危険性がある。韓国民族もやはり本来はキリスト教の福音に排他的で信仰者を迫害することに熱心だった事実を思い出す時、このような危険性はさらに実感できる。
韓国人は20世紀に入って国家の衰退と滅亡、そして韓国戦争などで綴られた極限苦難の時期をたどりながら少しの間だけでも外部から伝えられたキリスト教信仰と福音に懸命に自分を開放する姿を見せた。しかし、かつてのどの時期より国家経済規模が大きくなって大衆文化部門で次第に世界的に認知されたと考えるようになった現在、韓国社会全般に以前の自民族中心主義、排他的思考に回帰する姿が明確に確認される。
反日感情にもかかわらず、日本文化に対する韓国人の暗黙的な選好度が高いのはこのような理由も一定部分作用するようだ。自国の国力と文化的自負心に心酔する態度について、日本は韓国の先輩の様なものだからだ。


「わざとか?」と勘ぐりたくなるくらい、ツッコミどころ満載の記事です。どんな神学を勉強したらこんな記事が書けるのやら、と思います
「鬼滅の刃」は日本国内の青少年向けに描かれた漫画であり、韓国のウリスト教徒(どこの馬の骨かもわからない韓国人をキリストの生まれ変わりと信奉する頭のおかしな人達)を読者として想定し描いた漫画ではありません
なので、宗教観はもちろん、作品全体の世界観が合わないのは仕方のないことです。問題があると思うのなら見なければよいわけで(娯楽作品ですから、視聴を強要されたりはしないはず)
かつて韓国メディアは、宗教や人種の問題を乗り越えるため無国籍アニメを作るべきだ、と主張する記事を掲載していました。そんな薄っぺらい世界観のアニメが、世界一鑑賞眼の肥えた日本の視聴者に受け入れられるわけないのであり、つまりは日本でヒットしません
なので、日本では日本人の視聴者の鑑賞にたえる作品を作るのです
さて、上記の記事はキリスト教がナチズムにも敢然と立ち向かったと主張しているのですが、皆が皆そうではありません。ローマ・カトリックはナチスの民族弾圧に消極的ながら協力していた事実があります

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日本人が日本の文化を好み、尊重する姿勢を何やら「けしからん」と書いているわけですが、日本人が日本の文化を愛し、尊重するのは当たり前であり、非難されるものではありません。戦前では外国文化に接する機会が限られ、外国文化を理解しないまま「日本は優れている」とする政府の宣伝に操られていたのは事実です
しかし、戦後は外国の文化にも接した上で、日本の文化の特色や独自性への理解が深まり、より日本文化への愛着が芽生えているのでしょう
戦前の日本人の愛国心と、現代日本人の愛国心とでは性格も質も背景も異なるのです
だから、決して排他的な考えに基づくものではありません。記事を書いている神学者はそこが理解できないようです
それとも、韓国人の精神とは劇場版アニメ1本で侵食されるほど、脆弱なものなのでしょうか?
記事では、「かつてのどの時期より国家経済規模が大きくなって大衆文化部門で次第に世界的に認知されたと考えるようになった現在、韓国社会全般に以前の自民族中心主義、排他的思考に回帰する姿が明確に確認される」と書いているわけですが、それは韓国社会の問題であって日本とは関係ありませんし、もちろん「鬼滅の刃」とも無関係です
韓国人の狭小な排他主義について批判したいのなら日本など引き合いに出さず、はっきりと韓国人ならびに韓国社会批判を展開すればよいのです
付け加えると、記事の紙面では「千と千尋の神隠し」の1コマを貼って、「スタジオ ジブリの映画<千と千尋の神隠し>。あどけない少女の成長の話を扱ったヒューマニズム作品だが、あちこちに日本の近代化の歴史と精神文化に対する自負心がたくさん反映されている」とわざわざ注釈をつけています
「千と千尋の神隠し」については別の記事でも取り上げたように、宮崎駿はバブル経済に踊った大人たちの醜悪さを自虐的に描いているのであり、日本の近代化の歴史を誇ったり、精神文化を自慢しているわけではありません。さらに湯屋の建物は台湾の建築をモデルにしたものです。本当にこの神学者はアニメを読めていない、と呆れるばかりです

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