村上春樹「納屋を焼く」と映画「バーニング」
村上春樹作品を取り上げた研究者の論文を引用し、好き勝手なことを書いているシリーズです
今回は例の、「納屋を焼く」をイ・チャンドン監督が映画化した「バーニング」に言及します。映画「バーニング」を取り上げるのは今回で2度目になります。映画そのものについては前回、思うところを述べたとおりであり、見解は変わりません。肯定的な評価はできなかったのが率直な感想です
山根由美恵山口大学准教授の論文、「『世界文学』としての『バーニング』ー村上春樹『納屋を焼く』を超えてー」から一部、引用させてもらいます
「世界文学」としての「バーニング」ー村上春樹「納屋を焼く」を超えてー
はじめに
村上文学がグルーバル規模で多くの読者を獲得しているのは周知の事実である。ただ、「村上春樹の小説は映像化が難しいと言われる。独特の世界観、文字だから成り立つ非現実的な会話、多用される隠喩」とあるように、その映像化は必ずしも成功してきたとは言いがたい。映像化は、非現実ば設定が多い村上の世界観を再現しつつ、映画の面白さを保てるかが一つのポイントと言える。二〇一八年公開のイ・チャンドン監督「バーニング」は、カンヌ映画祭国際批評家連盟賞、ロサンゼルス映画批評家協会ー外国語映画賞等を受賞した。(中略)「バーニング」は、村上の世界観を生かしながら、現代韓国の若者の状況を色濃く描き出し、国際的に高く評価された。つまり、一九八〇年代の一短編であった原作「納屋を焼く」の世界を二〇一〇年代の韓国に当てはめ、更に大きく飛躍させたのである。本稿は、「バーニング」が村上文学映像化の毛稀有な成功例であり、かつ時代・国・メディアを超えた「世界文学」になっていることを考察するものである。
かようなまで激賞するほど「バーニング」が成功した作品だとは思えない自分としては、戸惑うばかりです
金持ちの青年を殺害した主人公が車に火を放ち、真っ裸で走り出すラストシーンなど、韓国映画らしさが溢れている気がしますが、これは村上春樹の「納屋を焼く」とは無関係の映画である、と言いたくなるほどです
さて、「村上春樹の小説の映像化が難しい」というのは映画の話法の問題であり、村上作品をいかに映像表現として活かすのか、その方法論を監督たちは見いだせていないと自分は思います
従来の映画製作の方法論で育ってきた映画人には無理なのかもしれません。もっと別な語り口を見出す必要があるのではないでしょうか?
(論文3ページ)
「バーニング」が成功した理由は二つある。一、村上文学の世界観を壊さず深化させたこと。二、その上で新しい解釈、(オリジナルの物語)を描き出したこと、である。一について、「バーニング」は「原作とは主人公の設定も結末も大きく異なっているのに、原作の内容が損なわれている感じがまったくしない。」むしろ、ベンやヘミとの会話はほぼ原作通りであることを考えると、原作では「僕」(映画におけるジョンス)が語れなかった部分があぶり出されているような気がしてくる」と絶賛されている。
映画「バーニング」が「成功した」という前提が自分にがひっかかります。論文の中で引用されている絶賛の映画評は毎日新聞のもので、評者は匿名です。どこを見たらそうジョンスの語れなかった部分があぶり出されているのか、教えてもらいたいものです
「バーニング」が表現するところの、「韓国の現代社会に見られる持つものと、持たざるものの絶望的な格差」は「納屋を焼く」の主題ではありませんし、なぜ映画でそんな話にすり替えてしまったのか理解できません
(論文3ページ)
対して、イ・チャンドンは「原作では男性が納屋を本当に燃やしたかどうかはわかりませんよね。結末が明確ではないミニマムな話だからこそ、映画にすることができたのです。その余地があったからこそ、ミステリーを拡大させることができたと思います。難しかったのは、解決しなかったままのミステリーを物語にして拡大し、そのテンションを維持し、さらに強化しなければならなかったことです」と語っている。原作では曖昧だった結末を、ミステリーを拡大させる「余地」と捉え、その世界を拡大させ、自らの物語を描くことに精力を注いだのである。このイ・チャンドンの試みは「とてつもない映画ができてしまった」、「原作のエッセンスを残しつつ大胆に脚色し、驚くべき換骨奪胎をやってのけた」、「まったく新しい傑作が誕生した」と非常に好意的に受け取められた。
「換骨奪胎して駄作になった」の間違いではないか、と思うのですが
なぜミステリー仕立てにする必要があるのか、自分には監督の狙いは理解不能です
金持ち男が本当に納屋を焼いたのか、焼いたと口走っているだけなのか、原作ではどうでもよいのであり、そう言って何事かをアピールしている振りをする人物がいる、と読み取ればそれで十分という気がします
「納屋を焼く」にインスパイアされて作った映画、というならこれもありでしょうが、だからといって称賛するほどの傑作だとはいえません
後は、観ていただいて思うところ、感じるところをそれぞれの方に語ってもらうしかないでしょう
自分としてはハリウッド式の、原作を台無しにするほど改変しておきながら「ほら、こうした方が面白くなっただろう」とドヤ顔をされるのと大差ないのであり、不快感と不満だけが残ります
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