村上春樹「踊る小人」と南米文学の影響
広島大学の研究紀要に収められた山根由美恵山口大学教育学部准教授の論文「村上春樹『踊る小人』論ーボルヘスの影」を読んで、思うところを書き述べます。先日、ダルミ・カタリン女史の論文「村上春樹と魔術的リアリズム : 『踊る小人』に見る一九八〇年代」を読んで感じたところと重なる部分もありますので、そちらも併せて目を通していただければ幸いです
山根由美恵の「村上春樹『踊る小人』論ーボルヘスの影」
https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/3/31275/20141016181013848435/kokubungakukou_209_33.pdf
論文の前半は村上春樹作品と南米文学(ルイス・ボルヘス、ガルシア・マルケスなど)の影響を説明する内容です。これはこれで参考になります
中盤では「踊る小人」に先行する文学作品としての、ボルヘスの「夢」を題材とした作品に触れています
そして先日取り上げたダルミ・カタリン女史の論文で指摘するところの、「踊る小人」に登場する小人を「自我を乗っ取る悪霊的存在」と書いているのが、山根論文の10ページ目です
(論文10ページ)
中村氏が指摘するように、「踊る小人」は、先行作の「羊をめぐる冒険」からのテーマ、自我を乗っ取る悪霊的存在が物語の核である。小人のちからは、「小人の踊りは観客の心の中にある普段使われていなくて、そんなものがあることを本人さえ気づかなかったような感情を白日のもとにーまるで魚のはらわたを抜くみたいにーひっぱり出すことができたのだ」、「小人はその頃から踊り方ひとつで人々の感情を自由にあやつるやり方を身につけることになった」と描かれている。
(略:「羊をめぐる冒険」の展開との比較)
同じ自我を乗っ取る悪霊的な存在の物語であるが、欲望を抑えた場合と抑えなかった場合という展開が異なっている。「踊る小人」は自我を乗っ取る悪霊が消滅しなかった場合の結末が追求されており、破滅が用意される必然はここにある。
山根論文はあくまで、小人=悪霊的存在、という設定の上で語っているようにも読めますが、山根論文は引き続いて村上春樹の「アンダーグラウンド」のあとがきを引用しています。そこで村上春樹はオウム真理教の麻原彰晃を例に挙げ、「オウム真理教に帰依した人々の多くは、麻原が授与する「自律的パワープロセス」を獲得するために、自我という貴重な個人資産を麻原彰晃という『精神銀行』の貸し金庫に鍵ごと預けてしまっているように見える。忠実な信者たちは進んで自由を捨て、財産を捨て、家族を捨て、世俗的価値判断基準(常識)を捨てる。まともな市民なら『何を馬鹿なことを』とあきれるだろう。でも逆に、それは彼らにとってある意味ではきわめて心地の良いことなのだ。何故なら一度誰かに預けてさえしまえば、そのあとは自分でいちいち苦労して考えて、自我をコントロールする必要がないからだ」と書いています
つまり、山根論文も『踊る小人」を社会的現実に還元して考える姿勢を有しているのであり、小人を悪霊として片付けてしまっているわけではないと分かります
自我を乗っ取り、体を乗っ取る悪霊的存在を社会主義と読み変えるのもありでしょうし、新興宗教と読み換えて解釈することも可能です
(論文12ページ)
「踊る小人」はボルヘスの世界を超えるようなインパクトのある世界とは言い難い。しかし、このメタ化された世界の中でどう生きるかといったテーマは、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」で深化し、主人公は作り上げられた世界の中で主体的に生きることを決意するといった、ボルヘスの世界とは違った世界が描かれている。また、自我を譲り渡すことの危険性は「ねじまき鳥クロニクル」、「アンダーグラウンド」、「1Q84」で触れられ、システムの危険性に警鐘を鳴らしている。特に「1Q84」では邪悪な力を持つものとして「リトル・ピープル」という存在が物語を大きく動かしており、「踊る小人」のテーマは現在においても村上文学の重要な柱であることがわかる。
村上春樹は「踊る小人」でボルヘス的技法を踏まえつつも、ボルヘスとは異なる物語を描こうとしており、その営為がいまだ継続されているというのが、山根論文の主張であろうと解釈すます
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