村上春樹「アイロンのある風景」と「焚き火」

村上春樹の短編小説集「神の子どもたちはみな踊る」の中から、「アイロンのある風景」を取り上げました
登場人物である関西弁をしゃべるおっちゃん三宅が描いている絵は「アイロンのある風景」と題されており、それがアイロンを使う妻の不在を描いたもの、という私見を述べたところです
今回は「アイロンのある風景」でもとりわけ印象深い「焚き火」について言及します
この場合、「焚き火」に言及するとは、「アイロンのある風景」の中でなされる鹿島灘の浜での流木を集めた焚き火を取り上げるという意味であるとともに、作中で取り上げているジャック・ロンドンの小説「焚火」にも触れるということを意味します
いつものように題材として、田辺章東洋大学講師による論文から引用します
ただし、いつものように何らかの結論に辿り着こうという意図はないのであり、焚き火を囲んでああでもない、こうでもないと語るのが目的です

地震のあとで、焚火をおこす― 村上春樹「アイロンのある風景」が映し出すジャック・ロンドン「焚火」

(論文まえがき)
村上春樹の連作短編集『神の子どもたちはみな踊る』の六編は、すべて1995年2月 ―阪神・淡路大震災の翌月― を舞台としている。その第二話「アイロンのある風景」において、主人公たちが見つめる焚火の炎は、彼らにジャック・ロンドンの短編「焚火」を想起させる。主人公が「圧倒的なるもの」と闘うことを諦め、死を選ぶ「焚火」の結末は、村上の短編の結末と響き合う。
「焚火」と呼ばれる短編は二つある。少年向けに書かれた1902年版と、それが大きく改変された1908年版。村上が「どうしてこの話の最後はこんなにも静かで美しいのだろう?」と主人公に語らせた、「この話」が指すのは後者だろう。この物語が書き換えられたのは、1906年4月、作者ロンドンが地震の炎に焼かれるサンフランシスコを目撃した後なのだ。本論では、圧倒的なカタストロフィの後に書かれたテクストとして、「アイロンのある風景」と「焚火」を考察する。

順子は自分をからっぽなのだと言うのですが、何がからっぽなのか作中に説明はありません
彼女が説明ベタだから何も説明がないのか、あるいはあえて説明する必要はないと村上春樹が判断したのかは不明です
が、彼女は家出した後、海辺の街で働き、恋人と同棲しています。その部分だけを見れば充足しており、不足はないようにも映ります
ただ、順子がジャック・ロンドンの「焚火」を読んで本能的に死をを予感したように、彼女は死を胸にいだいて生きてきたのでしょう。見方を変えれば、死に場所を求めて海辺の街にたどり着いた、と表現できるのかもしれません

(論文4ページ)
ロンドンの自殺と「焚火」における死の主題に導かれるかのように、三宅さんと順子は、二人で死を選ぶか否かという選択を行うこととなる。この短編で語られる死、そして死についての会話の間ずっと燃えている炎に、三宅さんの家族が住む神戸の映像を重ねることも可能だろう。また、三宅さんの夢の中に幾度も現れ、彼を闇に閉じ込め、窒息させ、殺してしまう冷蔵庫、その恐るべき四角い箱に、地震で倒壊した家屋や、神経ガスが撒布された地下鉄の車輌のイメージを重ねることも可能だろう。ここで重要なのは、物語における死のモチーフが、現実に起こった、あるいは起こされたカタストロフィを想起させるものであり、その装置としてロンドンの「焚火」が物語中に埋め込まれていることだ。当初、火は「柔らかくてやさしい」、「人の心を温めるためにそこにある」(49)家族のような存在として語られていたにもかかわらず、ロンドンの生涯と彼の短編小説が言及されるにしたがい、それは死を招く業火のように燃え始める。

三宅さんが海辺の街にやってきた理由は明かされませんし、なぜ浜辺で流木を集め火を起こすのかも説明はありません
もちろん、暖を取るためでもありません。読者として想像すれば、「死者の魂を送る火」でしょう
以下、論文ではジャック・ロンドンによって書かれた2つの「焚火」(1902年版と1908年版)の比較を展開します
その2つの「焚火」のうち、どちらを順子が読んだのかは保留したとしても、順子が「基本的にはその男が死を求めている」と直観したという反応が強烈な印象を与えます。高校の教室で教師は順子の意見を笑い飛ばし、読み上げられた順子の感想文を聞いたクラスメイトも笑います
彼ら、彼女らには死を感じ取れなかったのでしょう

(論文5ページから6ページ)
1908年版「焚火」を参照しているはずの「アイロンのある風景」における火は、ロンドンが描いた極限の炎ではなく、「あらゆるものを黙々と受け入れ、呑みこみ、赦していく」優しさを持つものでありながら、ロンドンの「焚火」と同じく、それが消えることによって人の命が消えるかもしれないという結末を読者に提示している。少女が深い眠りにつく結末は、旅人が心地よい眠りにつく「焚火」の結末を参照したものだろう。順子は、「ほんとうは死を求めている」にもかかわらず、「圧倒的なるものを相手に闘わなくてはならない」旅人の姿を、自身に投影しているのだ。彼女がそれを相手に闘うべき、そして闘うのを止めたかのように見える「圧倒的なるもの」とは、遠く離れた場所で起きた地震の後で静かに震動する「からっぽ」で「ほんとに何もない」自らの存在である。

順子が海辺の街で「焚火」に遭遇したのと同じく、火を起こす三宅は「死を求めている男」なのでしょう
そして順子もまた、「死を求めている女」です
2人が出会ったからには、結果がどうなるかは書くまでもありません。ただ、2人の死が確実というわけではないのであり、そこは読者の想像に委ねられています

(論文7ページ)
村上が「アイロンのある風景」というテクストに、このロンドンの短編を編み込んだことには、巧妙な意図(あるいは、奇妙な偶然)が感じられる。これらはいずれも圧倒的なカタストロフィの後に書かれた物語なのだ。順子と三宅さんが見つめる焚火は、村上が言うところの「井戸」であり、ロンドンの短編「焚火」へ、そして、炎に焼かれる都市と人々のイメージへ読者を導く。さらに、「アイロンのある風景」を含む『神の子どもたちはみな踊る』は2002年に英訳され(題はAfter the Quakeとされた。地震の後、との理解はいうまでもなく、人の心の震え、おののきの後、という意味にも理解できよう)、前年9月の同時多発テロの後の合衆国において ―「圧倒的なるもの」に襲われた後の世界において― 新たな読者を獲得している。「『井戸』を掘って掘って掘っていくと、そこでまったくつながるはずのない壁を越えてつながる」ような、物語のつながりをそこに見ることができる。

ジャック・ロンドンの短編「焚火」を村上春樹は、和歌でいうところの本歌取の技法で巧みに「アイロンのある風景」に取り込んでみせた、と
いえるのでしょう
であるとしても、技巧が目立つこともなく、それこそ浜辺で燃える焚き火のごとく静謐な印象を与える作品に仕上がっています
しかし、この短編で村上春樹が死を賛美しているとは思えませんし、心中を推奨しているとも考えられません
自分としては焚き火が燃え尽きた朝に、順子と三宅が再生に向けて動き始めることを期待します

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