村上春樹が世界の読者に刺さる理由
心に響くという意味の表現が昨今では「刺さる」と表記されるようになりました。いつからなのでしょう?
ライトノベル「涼宮ハルヒ」シリーズへの言及は一区切りとして、久しぶりに村上春樹を巡る旅を再開させます。経済誌「東洋経済」掲載の記事で、村上作品の英訳を数多くこなしているハーバード大名誉教授ジェイ・ルービンがインタビューに応じたものです
2015年の記事なのですが、『なぜ村上春樹は世界中の人々に「ささる」のか』と題されています。もう5年も前から「刺さる」が使われていたわけです
余談はさておき、本題に入ります
単刀直入に、なぜ村上春樹の作品が日本以外の国でも多くの読者を獲得しているのか、という問いにルービン教授が答えています
なぜ村上春樹は世界中の人々に「ささる」のかー村上作品の英訳者・ルービン氏、大いに語る
(前略)
言葉が「読み手の心に直接飛び込んでくる」
――村上作品は、何が読者の心を刺激するのでしょうか。
僕もずっと考えてきたことなのですが、実は今も一つの謎です。いろいろな国の人と話しましたし、さまざまな説明が可能だと思いますが、正確な答えはわかりません。少なくとも言えるのは、彼の鮮やかでシンプルなイメージが直接的に読者に訴える。気取ったわざとらしいようなものがなく、読者の心にストレートに届くのです。
たとえば、『パン屋再襲撃』という短編がありますね。海底火山の比喩があります。主人公が突如襲われた「特殊な飢餓」を説明するために次のような記述があるのです。
① 僕は小さなボートに乗って静かな洋上に浮かんでいる。②下を見下ろすと、水の中に海底火山の頂上が見える。③海面とその頂上のあいだにはそれほどの距離はないように見えるが、しかし正確なところはわからない。④何故なら水が透明すぎて距離感がつかめないからだ」(『パン屋再襲撃』集英社文庫、15ページより)
なぜ海底火山をわざわざ入れたのでしょうか。解釈はいろいろあるでしょう。何かの象徴なのでしょうか。
実は、かつて僕はある授業で、村上さん本人がゲストのディスカッションのリード役をしたことがあります。僕は学生に、小説の中の海底火山は何の象徴と思うかと質問したのですが、村上さんは誰かが答えるより前にいきなり口を挟み、「火山は象徴ではない。火山はただの火山だ」と言ったのを覚えています。
村上さんの言葉は、彼らしい率直なものでした。「あなたはお腹がすくと火山が思い浮かびませんか? 僕は浮かぶんです」と。単純明快な主張です。
海底火山が象徴するのは――僕の解釈では――未解決のまま残されてきた過去の問題だと思います。無意識にとどまりながらも、いつ爆発して現在の静かな世界を破壊するかもしれない「何か」です。
しかし、村上さんからすれば、そんなふうに定義すると、本来の言葉のパワーが失われてしまう。火山はただの火山としてその他の説明をいっさいしないのです。結果として読者一人ひとりの心中で純度の高いイメージが出来上がるのです。国、宗教、政治的立場にかかわりなく、同じイメージとして読者の心に飛び込むのです。
このエピソードをどう解釈すればよいのでしょうか?
推測するに、学生Aが「火山とは◯◯のことである」と語り、学生Bが「いや、おそらく△△を暗示しているのだ」と主張したなら、参加した学生たちは火山を◯◯であるとか、△△であるなどの考えに引きずられてしまい、自身の感性を失う危険があると村上春樹は思い、敢えて「火山は火山である」と主張したのかもしれません。火山をどう受け止めるか、個々の読者が独自に感じ取ればよいのだ、と
このようにエッジの効いた比喩を読者が己の感性で解釈し、受け止められるところに村上作品の魅力があり、それは国や人種を超えたものであるのかもしれません
「日本人でないと理解できない表現」とは真逆であると言えるのでしょうか?
――海外の読者も、日本人と同じように感じているのでしょうか。
僕はたくさんの読者からメールや手紙を頂戴しています。もちろん大半は僕の英訳を読んだ読者で、日本人でない人たちです。必ず書かれているのが、やはり「私のためにだけ書いてくれた」という一文です。実は僕自身も同じように感じてきました。「なぜ村上さんの作品は、僕たちの心の深いところにあるものをそんなにはっきりと描くことができるのだろう。わかってくれるのだろうか」と。
やはり理由は分かりませんね。イメージのシンプルさ、鮮やかさ、そして意外性もある。先ほどの「海底火山」がそうですが、村上さんに直接的に聞いても、本人さえ海底火山がどこから出たのかはわかっていないのですから、他の人がわかるはずがない。
突飛で特殊な比喩(これを自分は上記のように「エッジの効いた比喩」と表現しました)が村上春樹の小説には頻繁に登場します。そうした表現の飛躍、奔放なイメージが魅力の1つであると自分は思うのですが、逆にこれを嫌う人もいます
「爆笑問題」の太田光は「サンドイッチを作ってビールで流し込む」とか、そんな描写ばかりが目立ち、登場人物が「こんな日本人いるかよ」と思ってしまう、と吠えていました。発言内容を正確かどうか調べていないので分からないのですが、だいたいそんな物言いです
太田光は感性が乏しいので、「妙に気取った表現が気に障る」という反応しか示せないのでしょう
あとは「雰囲気だけの中身のない小説」であるとか、「何を言おうとしているのかわからない」といった批判もあります
これらの批判については、折を見て取り上げるつもりですから今回は深く突っ込みません
建物のひとつひとつには際立った特徴はなく、何の装飾も表示もなく、すべての扉はぴたりと閉ざされて、出入りする人の姿もなかった。それは郵便を失った郵便局か、鉱夫を失った鉱山会社か、死体を失った葬儀場のようなものかもしれなかった。
あとは「雰囲気だけの中身のない小説」であるとか、「何を言おうとしているのかわからない」といった批判もあります
これらの批判については、折を見て取り上げるつもりですから今回は深く突っ込みません
ただ、「雰囲気だけの中身のない小説」ではなく、軽妙な、淡々とした語り口の中に深い洞察を含んでおり、それをエッジの効いた比喩で表現しているからこそ、心に刺さるのだと言っておきましょう
以下、いくつか村上表現を列挙します。出典は省略します
建物のひとつひとつには際立った特徴はなく、何の装飾も表示もなく、すべての扉はぴたりと閉ざされて、出入りする人の姿もなかった。それは郵便を失った郵便局か、鉱夫を失った鉱山会社か、死体を失った葬儀場のようなものかもしれなかった。
電車は混んでいて、おまけによく揺れた。おかげで夕方彼女の部屋に辿りついた時には、ケーキはローマの遺跡みたいな形に崩れていた。
子供のカンガルーはとても可愛い。みんな成長しすぎた気のいいネズミみたいに見える
まるでブラジルから十一年ぶりに帰ってきた困りもののおじさんの理不尽な頼みを、なぜか断り切れないみたいに
毎晩寝る前にキルケゴールを五ページずつ読むことを日課にしているような雰囲気。
見るからに頭が悪そうだ。喫茶店で原稿の打ち合わせをするときにフルーツパフェを注文する文芸誌の編集者みたいに見える
太田光のようにこうした表現に耐えられないのであれば、読まない方が賢い選択であり、電話帳でも読むようお勧めします
最後に、ルービン教授は村上春樹ほど日本以外の国で読まれている日本人作家はいないとの趣旨の発言をしていますが、その通りというわけではありません。ノーベル文学賞候補として村上春樹とともに名前が挙がった多和田葉子がいます。ドイツ在住の多和田はドイツで多くの作品が出版されており、いくつもの言語に翻訳されています。むしろ、日本における知名度、評価が低すぎるのかもしれません
自分も多和田葉子の小説は未読なので、いずれは読んでみようと思っています
(関連記事)
村上春樹「羊をめぐる冒険」とマジックリアリズムhttps://03pqxmmz.seesaa.net/article/202110article_42.html
村上春樹「踊る小人」と南米文学の影響
https://03pqxmmz.seesaa.net/article/202102article_21.html
村上春樹「踊る小人」と魔術的リアリズム
https://03pqxmmz.seesaa.net/article/202102article_17.html
村上春樹とレイモンド・カーヴァー 救済の不在
「風の歌を聴け」 デレク・ハートフィールド考
https://03pqxmmz.seesaa.net/article/202104article_40.html
「風の歌を聴け」 デレク・ハートフィールド讃
https://03pqxmmz.seesaa.net/article/202101article_2.html
https://03pqxmmz.seesaa.net/article/201702article_23.html
https://03pqxmmz.seesaa.net/article/202104article_40.html
「風の歌を聴け」 デレク・ハートフィールド讃
https://03pqxmmz.seesaa.net/article/202101article_2.html
村上春樹「アイロンのある風景」と「焚き火」
https://03pqxmmz.seesaa.net/article/202101article_23.html
村上春樹「アイロンのある風景」を眺めて
https://03pqxmmz.seesaa.net/article/202012article_35.html
村上春樹 井戸と異界の物語
https://03pqxmmz.seesaa.net/article/202101article_23.html
村上春樹「アイロンのある風景」を眺めて
https://03pqxmmz.seesaa.net/article/202012article_35.html
村上春樹 井戸と異界の物語
村上春樹「一九七三年のピンボール」 不在という存在
https://03pqxmmz.seesaa.net/article/202104article_36.html
村上春樹「一九七三年のピンボール」研究Ⅳ
https://03pqxmmz.seesaa.net/article/202109article_40.html
村上春樹「一九七三年のピンボール」研究Ⅲ
https://03pqxmmz.seesaa.net/article/202104article_36.html
村上春樹「一九七三年のピンボール」研究Ⅳ
https://03pqxmmz.seesaa.net/article/202109article_40.html
村上春樹「一九七三年のピンボール」研究Ⅲ
村上春樹「一九七三年のピンボール」研究Ⅱ
村上春樹「一九七三年のピンボール」研究
「1973年のピンボール」
「風の歌を聴け」 回想あるいは追憶、創作
「ノルウェイの森」 直子の人物像について
村上春樹「風の歌を聴け」 自我の語りと沈黙
「風の歌を聴け」 鼠は主人公の影
「ノルウェイの森」 直子と緑
「ノルウェイの森」 直子の自死について
「海辺のカフカ」を巡る冒険 性と暴力の神話として(2)
「海辺のカフカ」を巡る冒険 性と暴力の神話として
中国は「ノルウェイの森」をどう読んだのか2
中国は「ノルウェイの森」をどう読んだのか
「ノルウェイの森」をセカイ系だと批評する東浩紀
韓国は村上春樹をどのように読んだのか2
韓国は村上春樹をどのように読んだのか
中国は村上春樹をどう読んだのか3
中国は村上春樹をどう読んだのか2
中国は村上春樹をどう読んだのか
村上春樹はなぜ芥川賞が取れなかったのか?
ノーベル文学賞欲しい韓国 村上春樹よりも名作を書けと厳命
「村上春樹のノーベル賞予想に浮かれる日本」と書く海外メディア
「物語論で読む村上春樹と宮崎駿」を読んで1
村上春樹論
村上春樹「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」
記事「村上春樹ブームを読む」を読む
村上春樹「神の子どもたちはみな踊る」
村上春樹を読み誤る中国人文学者 その1
村上春樹を読み誤る中国人文学者 その2
爆笑問題太田による村上春樹批判の迷走https://03pqxmmz.seesaa.net/article/201702article_23.html
村上春樹に言及した記事は本文右のテーマ別記事から「村上春樹」をクリックすると表示されます