「涼宮ハルヒの消失」再考
「涼宮ハルヒ」シリーズを繰り返し取り上げてきましたが、最新刊である「涼宮ハルヒの直観」は残念ながら自分の好みから随分と隔たった内容でした(先日取り上げたように)。ここで区切りをつけようと思い立ちましたので、最後に「涼宮ハルヒの消失」に言及しておきましょう
このシリーズの中で一番の出来とも言える内容になっています。小説と劇場版アニメーションの両方を、特に区別せず語るつもりです
今回は「澄のブログ」さんの書かれた「【考察】涼宮ハルヒの消失」から一部を引用させていただきます
【考察】涼宮ハルヒの消失
キョンの変化を描くための物語
理由1:キョンのツンデレに一つの区切りを付けるため『涼宮ハルヒの消失』は、原作者の谷川流が「義務のような作品」「『涼宮ハルヒ』シリーズには必要な話」と評する通り、本シリーズにおいてなくてはならない話だった。
キョンはいわゆる「巻き込まれ型やれやれ系主人公」で、ハルヒのエキセントリックな言動に振り回されては愚痴をこぼすというスタンスを取っていた。
もちろん、総監督の石原立也から「『涼宮ハルヒ』の一番のツンデレは、ハルヒじゃなくてキョンなんです。」と評されるキョンにとって、それはあくまでポーズであり、実際にはSOS団での日々を楽しんでいるのだろうというのは察しが付く。
しかし、これをいつまでも続けていると、キョンがハルヒと共に過ごす理由が「楽しいから」なのか「お人好しだから」なのか「単に辞めどきを失ったから」なのか、少しぼんやりしてしまう。
そこで、キョン自身が、自分の行動を、自分の心情を、ハルヒに対する気持ちを、今一度見つめ直す機会が必要だった。
物語終盤でキョンが自問自答するシーンが5分近く描かれている通り、これは本作最大のテーマと言っても過言ではないだろう。
理由2:キョンが主人公になるため
キョンは、宇宙人、未来人、超能力者、涼宮ハルヒに囲まれ、唯一の一般人である自分をどこか傍観者のように捉えている節があった。
しかし、突然それらすべてを失ったキョンは、必死に、能動的に、積極的に行動を起こす。
そして、元に戻しただけとは言え、自らの手で世界を選択し、再改変した。
『これで完璧に当事者の一人になってしまった。見てるだけでいいかと思っていた時期は過去のものとなり、SOS団の面子と同じく、俺はこの世界を積極的に守る側に回ってしまったのだ。』
このセリフの通り、本件を以てようやくキョンはこの物語の、この世界の主人公となった。
確かに解釈としてはキョンが積極的に走り回り、涼宮ハルヒのいる日常を取り戻そうと力を尽くすストーリーです
傍観者的立場をかなぐり捨て、涼宮ハルヒを探し求める様は従来のキョンらしからぬ必死さが感じられます
この「ハルヒに逢いたい」との思いが視聴者の感情移入を誘い、傍観者キョンの立場をよしとしてきた読者・視聴者はハルヒの存在を求めてキョンと一緒に走り出す展開になるわけです
ただ、キョンがキョンらしからぬ必死さで駆け回ることによって、「涼宮ハルヒ」シリーズは初期の設定を失い、大きく変質します
上記のブログにもあるように、「これで完璧に当事者の一人になってしまった。見てるというだけでいいかと思っていた時期は過去のものとなり、SOS団の面子と同じく、俺はこの世界を積極的に守る側に回ってしまったのだ」との決意が、結果としてますますハルヒの存在を物語から疎外化するようになります
「本件を以てようやくキョンはこの物語の、この世界の主人公となった」との指摘は、逆にハルヒが主人公の位置から退いたという意味になるのです
「本件を以てようやくキョンはこの物語の、この世界の主人公となった」との指摘は、逆にハルヒが主人公の位置から退いたという意味になるのです
「涼宮ハルヒ」シリーズは進むにつれハルヒそっちのけで他のメンバーが駆け回るようになり、何が起きているのかハルヒだけが知らないストーリーというになります。その後は、佐々木の登場や偽SOS団との抗争など、ハルヒの知らない暗闘が繰り広げられ、ますますつまらない話に成り果てるのでした
さて、劇場版を観た後、頭に浮かんだ疑問と言うほどでもない思いつきは、「なぜ長門有希は涼宮ハルヒの存在を消しされなかったのか?」と
もちろん、長門有希が自身の能力を駆使して涼宮ハルヒのいない世界を作り出せれば、キョンと2人の楽しい学園生活が送れるのであり、それは長門の明確には自覚できていない思いの実現でしょう
ただ、それは統合思念体の意思に反する行為ですから、直ちに長門は咎められ処分されるのは確実です。そこで、統合思念体の意思に反しないギリギリの線として涼宮ハルヒを別の学校へ追いやることでキョンから遠ざけ、長門とキョンは北高に残るよう改変を実行したと考えられます。こうして長門はこれまでとは違う日常を手に入れようとした、という解釈です
ただ、ハルヒの存在を長門の能力で消し去れるのかは疑問もつきまといます。ハルヒは「私はここにいる」と望めば、そこに存在できる超自然的な能力の持ち主と設定されている以上、その願望を実現させられたのではないか、と考えます
長門によって改変された世界において、別の高校に通っているハルヒは当たり前ですがキョンの存在は知りません。しかし、七夕の夜に遭遇したジョン・スミスのことは覚えていました。ハルヒがジョン・スミスとの再会を強く望んだのであれば、長門の能力は関係なくキョンと遭遇できた可能性が考えられるのであり、それはまた別の物語になっていたのでしょう
最後に、上映時間162分という長い尺の作品を見事に完成させた京都アニメーションに、あらためて敬意と感謝を示します。困難はあるのでしょうが、再びその力を結集し、日本のアニメーション文化を支える役割を果たされるよう切に願ってやみません
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