黒澤明記念館はどうなってしまったのか?

今から10年前、「佐賀県伊万里市に映画監督黒澤明の記念館を作るという話が破綻した」との報道がありました
日本を代表する映画監督の1人である黒澤明ですが、記念館は実現しないまま今に至っています。ただ、記念館実現の障害となったのは黒澤明監督の息子で黒澤明文化振興財団の理事長だった黒澤久雄が寄付金を私的に流用してしまったためであり、親の顔に泥を塗ったも同然の所業でした
一度このような形で汚点がつけば、その後、黒澤明の記念館を作ろうという声は挙げ辛くなります
どのような形であれ、黒澤明文化振興財団との関わりが生じるのであり、となればまた息子が手出し口出しをしてくるのですから


映画監督の黒澤明(1910~98)の記念館建設を佐賀県伊万里市で計画している「黒澤明文化振興財団」は19日、記念館の建設費用として市民や企業から集めた寄付金約3億8千万円のほとんどを、仮の記念施設の改修費や財団の運営費に使い果たしたことを明らかにした。同市での記念館の建設は、きわめて困難な見通しとなった。
財団はこれまで「寄付金は保管している」と伊万里市に伝えていたが、虚偽の説明だったと認め、謝罪した。
財団の黒澤久雄理事長と田畑稔常務理事がこの日、市議会の全員協議会で説明した。説明によると、寄付金は、記念館建設までの仮の施設として99年に同市に設けた「黒澤明記念館サテライトスタジオ」の改修費や財団の運営費に充て、ほとんど残っていないという。黒澤監督の長男である黒澤理事長は「(市への虚偽説明は)管理責任として申し訳ない」と述べた。
全員協議会後の記者会見で、今後の建設計画を問われた黒澤理事長は、「建てるように努力を続ける。あきらめない」と話した。
伊万里市は98年、記念館を市内に誘致する権利を黒澤理事長が社長を務める「黒澤プロダクション」から約1億円で購入。計3億5千万円を投じて予定地の購入や造成を終えている。しかし、財団による記念館建設は、19億円の費用が確保できないため進まず、今年1月、財団が佐賀県へ提出した2007年度の決算報告書には08年3月末現在の現金などの流動資産が約140万円しか記載されていなかったことが発覚した。
(西日本新聞の記事から引用)


そして2011年3月、黒澤明記念館が実現するまでの仮設の場とされた伊万里市の「黒澤明記念館サテライトスタジオ」が閉館となり、計画は無残な失敗と終わりました
黒澤プロダクションに支払われた契約金1億500万円は返金されたものの、記念館開設のため集められた寄付金等の収支はうやむやのままで、ほとんどが消えてしまったわけです(黒澤プロダクションが使い込んだのでしょう)
当時の報道によれば、使い込んだ金は黒澤久雄が返金するとの約定になっていたはずです。返金できたのでしょうか?
結果として黒澤家が黒澤明の残した遺産(映画関係の資料だけではなく)を食いつぶしているだけのように映ります
黒澤監督もさぞ苦い顔をしているのでは?
ちなみに日本を代表するもう1人の映画監督小津安二郎の場合、長野県蓼科に小津の元別荘をそのまま利用した記念館「無藝荘」があるほか、三重県松坂市にも小津安二郎青春館がありました(今年、閉館)
記念館を作ればよいというものではありませんが、やはり取り組み方次第という気がします
監督ごとに、俳優ごとに記念館を作るのではなく、日本映画の資料を幅広く集めたミュージアムを東京以外のどこかに作ってはどうかと思います(東京一極集中を回避するために)
国立映画アーカイブは東京にすでにあるのですが、主に映画フィルムを中心に収集・保存する施設ですから、互いに役割を分担し合えばかぶらずに済むのではないでしょうか?

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