「風の谷のナウシカ」 深淵と虚無を超えて
また、「ナウシカ」か、と思われる方もいるでしょう。が、また「ナウシカ」です
今回は「ナウシカ」とニヒリズムの対決について取り上げるつもりで、ハワイ大学哲学科教授スティーブ・オーディンの論考を引用します。上智大学での講演の内容を原稿化したものです
論考の前段部分では宮崎駿の環境に関する考え方に触れているのですが、そちらは割愛します。宮崎駿と環境問題に関心のある方は、読んでみることをお薦めします
さて、漫画版「ナウシカ」と深淵との関係について、論考の中段では次のように書かれています
深淵を降る:「風の谷のナウシカ」(宮崎駿作品)について
スティーブ・オーディン
(前略)
世界の終末、深淵、そしてニヒリズムの克服
宮崎の「ナウシカ」は未来の終末論的な展望である。それはニーチェの実存主義における「深淵」に似た比喩的表現を使っている。ニーチェにとって、実存の中心的問題は「ニヒリズム」すなわち神の紙によるあらゆる絶対的な価値の喪失だる。それは暗澹たる深淵を開く地震のようなものであるニーチェの実存主義に影響されて、日本の哲学者・西谷啓治はその著作「宗教と無」のなかで、ニヒリズムを通じてニヒリズムを克服する方法として禅仏教を展開している。そこでは、生を否定するニヒリズムの立場から生を肯定する積極的無の立場へ移行している。西谷にとって、禅は消極的無のニヒリズム的深淵の底へと降ることによってニヒリズムを克服するが、それ自体あらゆる実体的に存在するものを無化する。その結果として空が充実であり、充実が空であるー色即是空、空即是色ー積極的無の羽への突破に帰着して、あらゆる生はあるがまま肯定されるのである。
「善悪の彼岸」のなかで、ニーチェは「お前が永いあいだ深淵をのぞきこんでいれば、深淵もまたお前をのぞきこむ」と宣言している。モノクロの絵のコマのなかに、暗黒なる空虚やニヒリズム的無の深淵に囲まれたナウシカが映し出されるとき、物語のナレーションはニーチェのことばを繰り返している。
「もろい人の心は深淵を前に砕けてしまう。闇を見る者を闇もまたひとしく見るからだ。この少女は深淵の岸辺に至った稀有の力の持ち主だ」
しかしながら、ちょうどニーチェの実存主義にとって喜ばしきディオニュソス的な存在の肯定を通じての二歩リズムの克服こそがなすべきことだったように、ナウシカもまた、あらゆる生の積極的価値を肯定することによってニヒリズムにあらがい抵抗するためだけに、暗闇の深淵の底へと降りていく。山中弘が明確にしているように、ちょうどニーチェが生を肯定する権力への意志の道徳的価値を通じて生を否定するニヒリズムの道徳的価値を克服しようと奮闘したように、宮崎もまたナウシカがいかにして「生きる力」によってニヒリズムと抗争しているのかを明らかにしているのである。ナウシカ自身もこう宣言している。「生命は生命の力で生きている」
全6巻の漫画版「風の谷のナウシカ」にあって、上記の論考で触れている部分というのは極めてわずかなページ数です。が、重要な部分です
漫画家の技量、センスにもよるのでしょうが、極めて簡潔に描かれており、読者によっては読み飛ばしてしまうかもしれない、と思うほど圧縮されています。漫画の読者を考えれば、禅問答のようなやりとりを数十ページにわたって展開する描き方は論外でしょう
もちろん、こうした表現を採択するまで長い思考と迷い、ためらいがあった上での決定であると推測されます
単純にニーチェの引用とそのアレンジで終わらせるのではなく、宮崎駿自身が「ナウシカ」の物語に即して検討し、できるだけ簡潔に、端的に表現しようと工夫した結果であると
ただし、オーディンの論考はナウシカを救世主、とする見方に傾きます。そこは当ブログで何度も指摘したように賛成できない見解です
大友の「AKIRA」が終末論的破壊のニヒリズムを称賛しているのに対して、宮崎の「ナウシカ」はその代わりに楽観的な蘇生と再生への希望とともに締めくくられている終末論的な物語である。そしてその物語は、救い主、救世主、菩薩などになぞらえられるナウシカの救済活動をとおして仏教的な極楽浄土へと生まれ変わる世界の予言的な展望にそって進行していく。
日本の宗教、思想について幅広い知識と深い洞察を抱くオーディンだけに、ナウシカを菩薩の姿と重ね合わせずにはいられないのかもしれません
そして物語の中で、「青き衣をまといし者」との言い伝えとナウシカを重ねる衆生の意向を、極めて当然の帰結であると受けとめているのが伝わってきます
確かに劇場版「ナウシカ」は青き衣の者が降臨して終わるのですが、漫画版は違います
自然に住まうありとあらゆる生きものたちと思念によって交信するというナウシカの不思議な力は神道の巫女、すなわち日本の数多くの漫画やアニメにでてくる「魔法少女」の原型として描かれる日本のアニミスティックな自然宗教の霊能力をもった女性シャーマンを連想させる。宮崎は、自分独特のナウシカ像を、「巫女」すなわち「物理的世界、自然的世界、精神的世界の媒介としての役割を果たす不思議な力をもったシャーマン的な司祭」と述べている。「自分で書いていて気づいたのですが、ナウシカの役割は、実際にリーダーになっていくとか、人々を導くとか、そういうものではない。代表して物事を見つめ続けるという、一種の巫女みたいな役割なんです」
ナウシカのありとあらゆる人間、植物、動物との共鳴は、慈悲の女神である観音のような日本仏教の慈悲深い菩薩を表現している。それゆえナウシカは、人間文明の黄昏どきにあらゆる人々とを極楽浄土へと導く救世主であり、金色の野をゆく青き衣を着た姫について語られた古い言い伝えの成就だといわれるのである。
しかし、ナウシカはシュワの墓所の破壊はできても、人々を救うことはできない(生活環境を劇的に変え、住みやすい地を提供することは敵わない)のであり、それがいつかは人々に失望や怨嗟を生む可能性があります
絶望的な状況で生きながらえた人々はいつか生活に疲れ、倦み、失意に囚われるようになるのですから。そこからは対立、分断、抗争といういつかきた道を再びたどる展開が待っています
ナウシカ自身は「神にも救世主にもならない」と言明したところで、人々はナウシカに過剰な期待を寄せざるを得ません
ナウシカが虚無を超えることができたとしても、他の人たちはそれができるのでしょうか?
正直、暗い未来しか待っていないと漫画版「ナウシカ」のエンディングから感じるわけです
それでも頭を上げ、前を向いて「生きねば」と口にするナウシカの姿にわたしたちは感動し、いくばくかの希望を見出すのですが
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