「風の歌を聴け」 回想あるいは追憶、創作
小説家のデビュー作には、その作家の文学的資質が詰まっている、と評価する向きもあります。もちろん個人差は大きいのであり、すべての作家がデビュー作だけで評価できるとは限りません
村上春樹の場合、デビュー作「風の歌を聴け」でいわゆる村上春樹らしいスタイルが完成していると言えるのですが、これまでにも述べたように世の作家や批評家には極めて不評であり、拒絶反応を示す人もいたほどです
しかし、読者はこれを受け入れたのであり、ゆえに村上春樹も彼のスタイルのまま今日に至っていっます
つまり日本文学における小説のスタイルを、文体を根底から変えてしまったわけで、これは革命と呼べるくらい画期的な変化でしょう
さて、従来の日本の小説にはない斬新な作品「風の歌を聴け」ですが、その後に続く作品群とも過去の回想、あるいは過去の探求という内容になっています
なぜ、村上春樹は過去に執着し、回想し、語るのか、「風の歌を聴け」を題材に考えてみます
手掛かりとして九州大学の、当時は大学院生であったと思われる柿崎隆宏氏の論文を引用させてもらいます
村上春樹『風の歌を聴け』論 : 過去へと向かう語りをめぐって
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/19424/4_kakizaki.pdf
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/19424/4_kakizaki.pdf
(論文5ページ)
執拗に繰り返される回想は何を意味するのだろうか。作者村上春樹は川本三郎との対談で次のように述べている。
たしかに僕は十代の成長過程をすっぽり六〇年代で過ごした人間だし、七〇年代よりは六〇年代に対しての方に強い思い入れはあったんですが、小説を書くということになると何か七〇年代の方にずっとひかれたんです。つまり我々にとって七〇年代という十年間は六〇年代のいわば「残務整理」だったし、その「残務整理」について何かを書くということは、ダイレクトに六〇年代を描くよりは自分にとってより正確な意味を持ちうるんじゃないかという気がしたんですね。誰かが七〇年代という十年間について責任を持って何かを書くべきだという思いですね。(「特別インタビュー『物語』のための冒険」、「文學界」一九八五年八月号)
安直ではあるが作者の発言をそのまま受け取るなら、村上春樹は一九七〇年代を一九六〇年代の「残務整理」だと捉え、意図的に一九六〇年代を避けるように(あるいは隠すように)小説を書いたということになる。
この特別インタビューの発言を額面通り解釈するわけにはいきません。村上春樹は七〇年代の日本の様相について、責任を負うために「風の歌を聴け」を書いたとは考えられないのであり、あくまでも六〇年代から七〇年代を生きた個人の生活史(必ずしも村上春樹その人の、とはいえない)としての物語を創作した、と理解した方が適切でしょう
その上で、「残務整理」とは六〇年代を生きた誰かのやり残したこと、あるいはやり損なったことを整理(回想してあるべきところへ納める、もしくはありえないところへ納める)という意味での回想と解釈します
さて、論文の方はこの先、小説中に繰り返し登場するケネディについて言及します
しかし、ケネディが何を示唆する隠喩であるのか、論文では明確な指摘はありません。一九六三年という特別な年に結びつけるための符丁、という程度の役割だと指摘するだけで、物足りません
ケネディという存在は、自分よりも上の世代の人にとっては希望とか、期待を寄せる存在であったのでしょう。が、自分にはそれが分かりません
余談ですが、ケネディ大統領の葬儀で母ジャクリーンの隣りにいたに小さな女の子が、2013年日本駐在の米国大使として着任したことに時代の移り変わりをしみじみと感じます。
話を戻して、論文は当時の大学紛争を取り上げ、そこに巻き込まれた学生と、筆者の言うところの「残務整理」について論じます
(論文12ページ)
自己の「物語」を他者のそれと関係させることで、より大きな物語の中に組み込まれた「鼠」は、その物語の喪失によって関係性を絶たれ、大学での居場所を失った。家族との県警も形骸化している「鼠」は、「戻る場所をなく」し、どこにも行けなくなっている。
黒古一夫は「鼠」が受けた「精神的打撃」を「作者と同じ全共闘世代が共通するメンタリティー」と評する。確かにその意味合いもあろうが、「鼠」が「椅子取りゲーム」と皮肉った自らの状況から、多くの若者たちを飲み込んだ物語への不信と、他者と自らの「物語」を共有することへの諦めを見るべきではないか。「鼠」が「うんざり」したのは、より強固な関係性のために他者の「物語」を要求する大きな物語と、それに盲目的に追従しながら、呆気なくその責任や関係性を放り出し、当然のように日常に帰っていく同世代の若者たちの姿だったのである。
当然ながら、村上春樹は学生運動に参加した若者の人生を描きたかったのではなく、政治闘争の行方を描きたかったのでもなく、そこに関わって生き損ねた人間の思いを整理し、あるべきところへ納める、あるいはあるべきはずのないところへ納める残務処理を、己の責任として果たそうとしたのかもしれません
(論文15ページ)
言葉への絶望から立ち直るための作業として、「僕」が過去の自分の人生を振り返る形式を取りながらも自らの内面に一切干渉しないのは、「終わったこと」としての時間的隔たりと、語ろうとする過去が「僕」という書き手の中で一つの物語として形成されていることの現れではないだろうか。先にも引用した『アンダーグラウンド』「目じるしのない悪夢」の中で村上春樹は次のように述べている。
極端な言い方をすれば、「我々は自分の体験を多かれ少なかれ物語化するのだ」ということかもしれない。多い少ないの差こそあれ、これは人間の意識のごく自然な機能である。(後略)
物語化された記憶の中での「僕」は二一歳の僕」であり、「二九歳の僕」ではない。(中略)
言葉によって形成された世界を自らの「物語」によって認識し、記憶の物語化が行われるならば、「少し気を利かしさえすれば世界は僕の意ののままにな」るという「僕」にとって、言葉に対する考えが異なれば、構成される物語そのものが異なることになる。このため「二九歳の僕」は「二一歳の僕」の内面に踏み込めないのである。
最初の問いに立ち戻ると、過去を回想する行為が即ち物語化に繋がり(そこには当然、過去を懐かしみ、美化したり、情報を取捨選択して事実を無視し、都合よく解釈し直すという無意識の営為も介入するわけですが)、村上春樹にとっての創作にあたるのだと理解できます
それゆえ、村上作品では「僕」の回想という形式から語り始める構成がたびたび用いられている、といえるのでしょう
柿崎論文は読んでいてなかなか面白い論考でした。関心のある方はぜひ一読されるようお薦めします
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