村上春樹「風の歌を聴け」 自我の語りと沈黙

村上春樹の初期作品をブログで取り上げるため、古くなった文庫本を引っぱり出してきてパラパラと読み返す作業が個人的には随分と楽しい時間に感じられます。同時に懐かしくもあり
読み返してまた新たな楽しみを味わえるというのは、何だかとても得をした気分になるもので、だからこそ誰かに伝えたくなるのかもしれません
今回は太田鈴子昭和女子大学特任教授による論文「村上春樹『風の歌を聴け』論ー内面を語るまいとする自我ー」から引用します
冒頭、太田教授は遠藤周作の評を引用していますので、まずはそこから取り上げます


「村上春樹『風の歌を聴け』論ー内面を語るまいとする自我ー」
(遠藤周作の評)
村上氏の作品は憎いほど計算した小説である。しかし、この小説は反小説の小説と言うべきであろう。そして氏が小説のなかからすべての意味をとり去る現在流行の手法がうまければうまいほど私には「本当にそんなに簡単に意味をとっていいのか」という気持ちにならざるをえなかった。
と言っている。「小説のなかからすべての意味をとり去る現在流行の手法がうまければうまいほど」としたのは、『風の歌を聴け』とほぼ同時代の小説に、まったく言うべきものを持たないものが登場し、この作品もまた何も言おうとしていないと感じていたからであろう。飽きずに見てしまう、確かにおもしろいと感じる、男女の新しい関係に興味を引かれる、だが考えさせられることやペーソスは全くないテレビドラマや舞台劇は、『風の歌を聴け』以降、しだいに増えているように筆者は思う。


筆者が指摘しているのはトレンディドラマのような、男女の関係を描くにしてもシチュエーション主体の話作りに偏り、物語に深みも奥行きもない作品を念頭に語っていると推測されます
対して、筆者は次に群像新人文学賞の選考を務めた佐多稲子の言を取り上げます。佐多は『風の歌を聴け』を読んでいて楽しい小説と表現し、青春の夏の日を定着させた作品であり智的な抒情歌と評価している、と紹介します
以下、『風の歌を聴け』は遠藤周作の指摘するような「語るべきなにものない小説」ではなく、語ろうとして語れない、語りそこねる小説であると見るのが筆者の論文のタイトルの由来なのでしょう
『風の歌を聴け』の冒頭から始まる、語ること、書き記すことの困難さを告白する内容は、それ自体一種のフィクションなのですが、もちろん村上春樹の作為であり、戦術と解釈できます


あたかもラジオのDJが、オンエアーの時はすべてのリスナーに声が届くよう気を使い、ことばに気を付けているように、「僕」もまた自我を見せないように努めているのではないだろうか。DJが、放送中でも音楽がかかっている間を自分の欲求を吐露するOFFの時間としているように、小説のどこかに「僕」の内面を見せる瞬間が潜んでいるのではないか。そう仮定すると、1章での、結局自分の語りたいことが語れなかったとする言い訳は、自我を語らないことのカモフラージュだとも読める。それは「僕」がすべてを認識しているのに語らないということではないし、自分を正直に語ろうとしないということでもない。それは、今の自分の内面を人に語るまいとする自我の現れなのである。


当ブログでたびたび取り上げている宮崎駿の漫画版「風の谷のナウシカ」の中に、庭園を管理するヒュドラと問答を重ねるナウシカがヒュドラに対し「沈黙もまた答えです」と申し向ける場面があります。これは極めて精神分析的な洞察であり、大好きな場面です
精神分析の立場からすれば雄弁に語る内容、自己主張にほとんど意味はないのであり、むしろ言い澱み、言い間違え、沈黙する場面にこそ重要な主張が潜んでいると考えます
その見方からすれば、『風の歌を聴け』で「正直に語るのは難しい」と前置きしつつ語られる内容自体に重要な意味はないのであり、言い澱む部分こそ重要なテーマ、エピソードが隠れていると解釈できます
例えばそれは「自殺した女の子について」です。作品の中で彼女について字数は多く費やされているものの、ほとんどが外形的なエピソードであり、そこは重要ではありません。しかし、彼女の死の原因についてはひどく簡略に触れるのみです


「僕」は、自殺した三人目の彼女について繰り返し多くを語っているのだが、その死を語ることばには、彼女の死によって彼女を認識できたというような自信が感じられない。
「死んだ人間について語ることはひどくむずかしいことだが、若くして死んだ女について語ることはもっとむずかしい。死んでしまったことによって彼女たちは永遠に若いからだ。」
その死について自分の認識を正直に語ることができない言う。祖母に対する無常観とはずいぶん違っている。彼女の死が特別なものとして語られている。


作品中、「彼女たちは永遠に若いからだ」などと書かれているものの、本質的には無関係な発言であり、はぐらかしている風に聞こえてしまいます。続く部分では「彼女は決して美人ではなかった云々」とも書かれているのですが、これもある種のはぐらかしでしょう
本当は彼女の死についてもっと書くべきことがあったはずであり、それを書こうとして書けなかったという告白、と受け止めます
なお、『風の歌を聴け』で書くことができなかった「彼女の死」が、『ノルウェイの森』として結実するのは言うまでもありません
さて、語ろうとして語れない話の代替として、語る必要もない話が饒舌に盛り込まれています。その1つがアメリカの作家デレク・ハートフィールドに関するエピソードです(これもどこまで重要視するか、さまざまな説があるところです)
確か「ユリイカ」の村上春樹特集号だったと思うのですが、ロシアの文芸評論家がアメリカの作家デレク・ハートフィールドから村上春樹はどれだけ影響を受けたか、との論評を書いたとのエピソードが紹介されていたように記憶しています(間違っていたらごめんなさい)
もちろんデレク・ハートフィールドなる作家は実在しないのであり、村上春樹の創作した人物です。おそらく上記のエピソードを聞いた村上春樹はニヤリとしたに違いありません
さて、デレク・ハートフィールドのエピソードに仮託して何を言いたかったのか、自分は明快な解釈ができません
太田論文でもデレク・ハートフィールドのエピソードに関し、何度か言及はしているものの特別な解釈は示されていません。これは今後の課題にします

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