「ノルウェイの森」 直子の自死について

「ノルウェイの森」を読んだのは職場から離れ、半年ほど東京に滞在していたときでした。欅の並木が色づき、秋の気配が濃くなる中、「ノルウェイの森」をひたすら読んでいた、と記憶しています
そんな回顧に浸り、過去を懐かしんで…というつもりでもないのですが、「ノルウェイの森」について、まだまだ話したいことが多くありますので取り上げます
今回は山根由美恵山口大学教育学部准教授の「村上春樹『ノルウェイの森』論ー緑への手記ー」を叩き台に話を進めます
山根准教授は村上春樹を専門とする研究者で、随分と多くの論文を書いています。いずれは他の論文も当ブログで取り上げるつもりです
主題は記事のタイトルにも示したように、直子はいつから病んでいたのか、です

「村上春樹『ノルウェイの森』論ー緑への手記ー」
(前略)
二 連鎖する死の構図ー直子の愛と罪ー
先ず、第一の原罪、すなわち「キズキ」を死に至らしめた(と感じている)「直子」が自殺していく「過程」を、「僕」との関係に絡めながら検討する。
先行研究では「ノルウェイの森」の「恋愛小説」性に関して様々な論考があるが、「僕」と「直子」との関係に恋愛要素は薄いと考えられているようである。黒古一夫氏は「『僕』と『直子』の関係に〈愛〉はあるか。ここにあるのは〈優しさ〉だけではないのか」と述べ、加藤典洋氏は「直子」を「僕の分身」と捉え、「僕」と「緑」の物語に分身「直子」が重ねられた「内的世界からの回想を描く物語」と位置づけている。
更に竹田青嗣氏、吉田春生氏は、「ノルウェイの森」は「恋愛小説」ではなく、「自閉」した「直子」と「僕」とのすれ違いに重点が置かれた、村上春樹作品にこれまで描かれてきた自意識の物語であると位置づける。また、三枝和子氏も近代小説と比較しながら、「ノルウェイの森」は「恋愛小説」ではなく、「夫婦の心境小説」と位置づけている。
「直子」は、恋愛対象ではなく、精神を病んだ人間としての側面が強調されてきた。しかし、その苦しみの原因は「直子」と「僕」と「キズキ」という三人の関係性にあることは間違いない。
(以下、高校時代「キズキ」は直子との性交を求めたものの、「直子」の体は「キズキ」を拒んだこと。「キズキ」の自殺を「直子」は自分が彼を拒んだせいだ、と思いつめていること、の説明)
しかし、「直子」はその罪意識を越えて、「僕」のことをかけがえのない男性であると感じていた。「直子」は精神面(心)も「僕」を愛していたと考えられるのである。
加藤弘一氏は次のように述べている。

人生の旅半ばの年齢で回顧するという趣向によって盲点化されているが、ワタナベの加害性は覆いようもない。彼は緑とのデートを逐一、直子に書き送っている。彼を信じようと努力し、彼への信頼を手がかりとして世界との基本的な関係を再建しようとしている彼女にとって、これがどんなに致命的なことが。ワタナベの二回目の訪問の後、快方に向かったかに見えた症状が俄に憎悪するのは偶然ではない。この時期の訪問がひどくそっけない書き方しかなされていないことも、単に繰り返しを避けたというような問題ではあるまい。あのそっけない書き方は、ワタナベの心がすでに緑にむかっており、直子は視野の外に追いやられていたということを裏側から示している。心の病によってただでさえ被害的になっている直子がこの変化に気がつかないはずはない。事実、緑との関係が深まるに比例して、直子はどんどん追いつめられ、決定的な事態に進んでしまうのである。


この加藤弘一の見解(緑との関係が直子を追い詰め、自殺に至らしめる)に筆者も同意しているわけですが、自分には違和感ありありです
まずもって直子が精神に異常をきたし始めたのは「キズキ」の自殺の影響ではなく、それ以前から彼女の心は壊れ始めていたと自分は受け止めています。もちろん、ワタナベが緑と恋愛関係を深めたので直子が自殺した、などという短絡的な見方にも賛成できません
直子の病気が何であるか、作品中では言及されていないのですが、強いて憶測すれば統合失調症を村上春樹は想定したのでしょう
ですから、直子が失恋して自殺した、などと決めつけるのはあまりに読みが浅いのでは?
おそらく加藤弘一も筆者も、統合失調症の患者と直接接した経験はなく、彼ら彼女らの言動を見聞きした経験もないと思われます
以前、統合失調症の発病は青年期であり、「青年病」と言われた時代がありました。つまり中学生や高校生に統合失調症はありえず、大学生になってから発病するとの考えです
しかし、現在では中学生でも統合失調症の発病はあると、認識が変化しています
「キズキ」もワタナベと同じく、直子の示す不可解な言動(それは統合失調症の先駆的な症状)に振り回されたのではないか、と推測します
ではあっても、恋人がヤンデレだったから「キズキ」が自殺するとは思えないのであり、「キズキ」には別の、自殺を選ぶだけの事情があったと想像します
村上春樹がどのように構想し、想定して「ノルウェイの森」を書いたのか、本人のみぞ知るところですが、自分には「キズキ」が自殺したのは単に直子と性交ができなかったから、などという馬鹿げた理由であるとは思えません
多分、「キズキ」もまた病んでいたのではないでしょうか?
ただ、ワタナベは「キズキ」の自殺する理由も分からず、直子の変調にも気がつかなかった、と
それでもワタナベは直子の自殺について、ワタナベ自身の責任であると感じているのは確かです
ワタナベは自殺してしまった「キズキ」に「直子はオレが守るから」と約束し、直子を守るためだと自分を偽り彼女とつきあいます。もちろん、ワタナベは高校生の頃から直子に惚れていたのであり、ただ「キズキ」の手前その感情を押し殺していたのでしょう
ワタナベはどうにかして直子と恋人同士の関係を築くべく奮闘しますが、直子を守れず、自殺されてしまいます
うがった見方をするなら、直子は自殺することでワタナベに深い傷跡を残し、忘れられないようにしたとも解釈できるわけです。しかし、病んでいた直子にそのような考え方はできるはずもないのであり、直子の自殺は幻聴や幻覚に苛まれた結果ではないか、と考えます
直子は具体的に何に苦しみ、何を悩み、何に苛まれていたのか語らないまま、自殺しているのであり(断片的には語っていますが)、ワタナベは直子の自殺の原因が理解できないものの、自分のせいだという自責の念に苦しむわけです
以上、簡単ですが自分の読み方を書きました

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