赤坂憲男「ナウシカ考」を読む その1
9月になってようやく岩波書店から刊行されている赤坂憲雄著「ナウシカ考 風の谷の黙示録」を読み終えましたので、取り上げます
8月中にと思っていたものの、夏休みの宿題はギリギリまでやらない派の自分には荷が重く、9月にずれ込んでしまいました
「ナウシカ考」は自分とは読みが共通している部分もあれば、大きく異なっているところもあり、どのように語るのかよいのか考えました
Amazonの本書のページに「ラスプーチン」を名乗る方が長文のレビューを載せていおり(これまた独特の癖の強い文章です)、気になる箇所がありましたので、今回はそれをとっかかりにします
Amazonのレビューに著作権があるかどうか不明ですが、一部を引用します
この本書でいちばん衝撃を受けたのは、クシャナが「私は王にはならぬ、すでに新しい王を持っている」と即位しないと宣言した重要なシーンについての赤坂のコメントだ。赤坂は“ここに見える「新しい王」がだれを指しているのか、わたしはついに突きとめ切れずにいる”(第四章 黙示録 4 千年王国 P318)と告白しているのだ。
かつての赤坂であれば、クシャナの思う「新しい王」はナウシカに違いないとそれこそ先頭に立って力説していただろう。即位を辞退するシーンの前にもナウシカにマントを渡した時点で、クシャナにとってナウシカという「心の王」が誕生したことを多くの評者が既に指摘している。いったい赤坂の王権論とやらはどうなったのか?
王権論や天皇制を主題とし、マンガ版/アニメ版双方を取り上げた前著『王と天皇』で、「あえかにして美しき小さなハタモノの影」という文脈で、ナウシカを「王」の現像に当てはめていたのは、いったいどこの誰でしたっけという話だ。
ちなみに『王と天皇』が刊行された当時、マンガ版は完結していない。
本書が刊行された、明確なフレーズのひとつを読み上げてみる。
「ナウシカは族長になる。くりかえすが、王になるわけではない。」(第二章 風の谷 2蟲愛ずる姫P63)
無論アニメ版とマンガ版の方針の違いは誰もが目を見張るものではあるが、『王と天皇』から本書への変貌、“あえかにして美しきハタモノである日本的な<王>”ナウシカから“族長ナウシカ”に変貌し、しかも、「新しい王」とは「誰を指しているのか、わたしはついに突きとめ切れずにいる」という赤坂の変貌自体は本書が『王と天皇』の王権論を覆しているとしても飛躍しすぎている(筆者の読解力がないこともあるが)。
(以下、略)
クシャナが「私は王にはならぬ。すでに新しい王を持っている」と宣言する有名な場面です
ただ、ここでクシャナの指し示す「新しい王」とは誰なのか、を問題視するのは自分にとって随分と意外な気がします
文脈の中でクシャナの言う「新しい王」とは、クシャナがナウシカの行動の先に垣間見た「新たな王道」という意味だろうと自分は受け止めていたからです
それは理想としての「王道」ではなく、模範とすべき「王道」でもなく、いわば「王道の新たな可能性」(国家統治の新たな形態)とでも表現すべきものです。結果、クシャナは生涯「代王」にとどまり、トルメキアは王を持たぬ国になった…というわけです
レビューでは赤坂憲男の著作「王と天皇」とナウシカを巡り、「ラスプーチン」氏の批判が展開されるのですが、それには言及するつもりはありません
では、レビューで指摘されている次の論点へ移りましょう
本書に注文をつけたい点はもうひとつある。
ファンの間では未だに論争が耐えないナウシカの決断についての論考だ。
墓所とナウシカの対立は方法論で、墓所の方法論は唯物論的であり、原因療法を基本とした西洋医学の論理である。対してナウシカの方法論は、対症療法―自然治癒力の促進を基本とした東洋医学的なものであり、この点はわかるし(筆者自身は個人的には自然治癒力主義には先天的に
有利なものによる楽天主義にも思えるが)、墓所を破壊すること自体は賛否はともかく理解はできる。
が、墓所の主はともかく杉田俊介が自著『宮崎駿論-神々と子どもたちの物語』で言うように「1ミリの罪もない」新人類の卵を破壊する必要性がある理由が見出せない。前者は一応は理にかなっているように思うが、後者は理にかなっているとは思えないのだ。
筆者の読解力が伴わないのか正直な所、「行きがけの駄賃」とも取れるのだ。
それとも蟲使いが自ら蟲を殺したように、このまま放置する方が残酷だから殺したとでも言うのだろうか? 確かに赤坂だけにナウシカの決断に具体性はあるのかという答えが見出させることを迫るのはいささか酷かもしれない。
が、赤坂自身が対談等でマンガ版『ナウシカ』を「反出生主義への対抗として読むこともできる」と発言し、本書でも二元論を否定し、「どんな生命体もいのちは同じです」というナウシカの生命観を肯定した以上、それなら新人類の卵を握りつぶした理由についてご見解をお聞かせ願いたいという質問にも答えるべきだ。
これも自分にとって特に論争の種になるような場面であるとは思わなかったため、ナウシカが「新人類の卵」を破壊させた行為自体、きわめて自然なものと受け止めていました。「新人類の卵」とは墓所の主らの直系子孫であり、ナウシカ達の旧世代とは異なる系統の人類です。墓所を破壊するだけでなく、墓所の主の直系子孫をも滅ぼすことで生命を都合よく操ろうとする思想を叩き潰せると、ナウシカが直観した上での行動だったと自分は解釈します
もちろん、これから生まれるであろう生命を叩き潰したのですから、ナウシカにとっては後味の悪いものであり、後悔を引きずる結果になる行動であったのは間違いないでしょう
さて、長くなりますので一旦、ここで区切りとします
赤坂憲男の「ナウシカ考」(岩波書店)は、関心のある方には一読を勧めます。関心のない方は読む必要はないと申し上げておきます(当たり前すぎて書くのも恐縮します)
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