「風の谷のナウシカ」は愚行と矜持を描いた叙事詩か
インターネットメディアに高井浩章という経済系ライターによる「宮崎駿『風の谷のナウシカ』。愚行と矜持を描き切った叙事詩」と題する記事がありましたので言及します
これは評論ではなく、漫画版「ナウシカ」の作品レビューあるいは「この漫画を是非とも読め」という推薦文のカテゴリーです
著者高井浩章曰く、「あえて文句無しの傑作をしつこく推薦し、読者が未読のままうっかり死んでしまうリスクを軽減する」のを使命と位置付けたコラムなのだとか
以下、一部を引用します
宮崎駿『風の谷のナウシカ』。愚行と矜持を描き切った叙事詩
(前略)
人間の愚かさを描く
『風の谷のナウシカ』は、3つの大きな問いを読者に投げかける。
1つは、文明の発展は人類自身と地球にとって害悪になりうるという問題意識だ。
最終盤、腐海という攻撃的な生態系は、実は人類自身によってつくり出されたという真実が明らかになる。土鬼の地の深奥にあるシュワの「墓所」で、ナウシカは腐海を使って環境汚染の浄化を加速させようとした先人らと対峙する。
序盤から中盤にかけて、腐海は人間の愚行を癒すために自然が生み出したものと示唆されるので、このラストはニヒリスティックな「どんでん返し」として機能する。
本作は本来、ここに力点を置いて読まれるべき作品なのだろう。
だが、今回改めて精読した私には、別の問いかけ、危機を前にしても協力して事に当たれない人間の業の深さをえぐる視点が強い印象を残した。腐海による生活圏への侵食は、人類という種の存続そのものへの脅威だ。
そんな危機の中にあって、トルメキアではクシャナと兄たちに父である王まで加わって陰謀と抗争に明け暮れる。土鬼側でも神聖皇帝の地位を巡って兄弟が100年単位の闘争を続ける。
焦りと驕りは、トルメキアを無益な開戦に押しやり、応戦する神聖皇帝は腐海や王蟲を生物兵器として利用する禁忌を犯す。かつて文明を滅ぼした巨神兵まで担ぎ出される。
こうした愚行に意識が向かったのは、無論、気候変動や新型コロナウイルスの脅威に対する昨今の状況が影響している。コロナ禍を前に政治は混乱し、気候変動に取り組む国際協調の足並みは乱れるばかりだ。自らの愚行で墓穴を掘る人間の愚かさを描き切った宮崎駿の成熟した筆の運びは、憂鬱だが、見事というほかない。
人類の大きな分岐点
3つ目の大きな問いは、作品のラストをどう解釈するか、というものだ。
本作は、人間への賛歌とも、正反対の諦念とも解釈できる多義的な幕切れを迎える。ナウシカは自身が否定したシュワの「墓所」と、腐海の主である王蟲が「体液」を共有する不可分のものと知る。
ここからは、人間性への希望を見出すこともできる。人類は、「墓所」を作った人々の予定調和を超えて、腐海と共生して自ら未来を切り拓いていくという解釈だ。
それとは逆に、王蟲は所詮、「墓所」と同根であり、浄化された地球に耐えられない身体をもつナウシカたちの子孫は、破滅の道を選び取ったという悲観的な読み方もできる。森の人・セルムの「すべてをこの星にたくして共に」という最後の言葉通り、運命論を拒否する代償として、人類には黄昏(たそがれ)の時代のみが残される。
どちらの読み方をとろうと、はっきりしているのは、最後のシーンでナウシカらがとった行動が人類の大きな分岐点となったことだろう。
我々の生きる現代も将来、「あそこが分かれ道だった」と振り返られる転機なのではないだろうか。自然との共生と調和が賢明な選択だと知りつつ、リーダーたちが指導力を欠き、愚行を重ねて危機を深めている現在も、『風の谷のナウシカ』と相似形に映る。
せめてナウシカやクシャナのように、難事を前に希望と矜持を失わないでいられればと願うばかりだが、それこそ、今の我々からもっとも縁遠いものにも思える。
(以下、略)
「3つの大きな問いを読者に投げかけている」と書かれていますが、実際には宮崎駿自身への問いです。おそらく宮崎駿はこの漫画版「ナウシカ」を執筆中に読者の存在は頭になかったし、読者の反応といったものも気にしていなかったのだろうと推測します
細かくて言いがかりのようになってしまいますが、上記のような3つの問いが執筆当初から予定されていたわけもなく、そこまで綿密に設定を練っていたわけでもありません。話の展開上、大きな問い(あるいは選択)にナウシカやその他の人々が直面したのであり、そこで宮崎駿がどのような選択をしたか、という話です
確かに最終巻のシュワの墓所での対決から結末までは展開を急ぎすぎている感もあり、読者がついていくのに苦労するところです。言葉を変えればダイナミックな展開であり、見せ場と表現もできます
おそらく宮崎駿はラストシーンを描くまで呻吟を重ね、ああでもない、こうでもないと迷ったのであり、現在の姿にしようと決めた後は一気呵成に描ききったのかもしれません
その分、細部はすっ飛ばして無理やりエンドマークを打った感が残ります。それは「語り残したことは多いが…」という宮崎駿の言葉に現れていると自分は受け止めます。ただし、最終話ですべての伏線を回収する必要はなく(そんなことをしたら冗長になってしまいます)、投げっぱなしで無理やりエンドマークを打つ選択もありえます。それが後味の良く読者が受け入れられるものか、後味が悪く読者に不満を抱かせるかは作品次第でしょう
最後に、ナウシカやクシャナにリーダーシップを求めるのは大きな間違いだと書いておきます。ナウシカのリーダーシップについては別途、書きましたのでそちらをご覧ください
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ナウシカとクシャナが「難事を前に希望と矜持を失わなかった」との指摘には賛同します。であるからこそ、この陰謀と災厄に満ちた物語が品位を保ち、人類の希望(例えそれが絶望の淵を歩く結果でも)の物語たり得たと思います
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