「涼宮ハルヒの憂鬱」批評を巡って

「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズの小説やアニメーションについて、何かまとまったものを書いておきたいとは思ったものの、放置して数年が経過しています。殺人事件やいじめ問題の話題は脇に置いて、今回は「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズを取り上げます
原作小説に絞って語るべきか、京都アニメーションの優れた作画と演出によるアニメーションを語るべきかは悩むところです
小説の方は順に読んだものの、途中からグダグダの展開になってしまい、面白みが失せてしまいました。以前にも書いたのですが、主人公涼宮ハルヒをそっちのけにして、キョンがどたばたと走り回る展開が続き、さすがに興ざめになってしまいました
文庫本の付録としてついてきた中学生時代のキョンと佐々木という少女の、塾へ行こうとして夕立に遭いずぶ濡れという掌編小説がなかなかの出来栄えだっただけに、シリーズ本編がグダグダになってしまったのは残念です
「批評界」と題されたブログに批評が載っていましたので、今回はそれを部分的に引用させてもらいます
この批評がブログの管理人の筆によるものなのか、「批評界」に投稿された第三者の筆によるものなのか、何の説明もないので分かりません


谷川 流 「涼宮ハルヒの憂鬱」
批評。
「妄想」
妄想とはその人が頭に描いた想像に、自分で感想をつけることである。他者から見れば虚しい行為かもしれないが、当の本人は想像の世界がもしも現実になった時の予行練習を頭の中で行っている。内容が幸でも不幸でも関係なく、それら予行演習は余り役には立たない(現実にはならない)が脳は常に予想を欲していて在り得もしない状況まで考えてしまうものだ。つまり暇で、それでいて世界を掴みきれていない未熟な頭に起こる。昨今の日本はこの状態を「中二病」(中学二年生頃に起こる変な世界観)という言葉で認識した。
中二病にはある種お決まりの傾向が見られるようだが、これは文化によって違う。学園が性的ハーレムで自分が受動的に仕方なく欲望を満たされてしまう作品傾向は「今の日本特有の変態」である。もちろんこの変態とは性的ハーレムで欲望が満たされる部分ではなく「受動的に仕方なく」の部分だ。本小説が発表された時代の日本の精神性はそういった現実を期待している。
「主旨は平凡」
そんな「斜に構えた妄想」を大人振ってやる主人公の「キョン」は高校生になったばかりでまだまだ子供だ。しかし彼の前に現れた同級生の美少女「涼宮(すずみや)ハルヒ」は自身の子供っぽさを隠そうともしない天真爛漫であった。彼女に振り回される事で子供と大人の境界線に立たされる主人公はこの不可解な社会が恋愛から始まっているのだと勉強していく。という男子の成長物語。簡単に言えば私小説の大人気テーマ「初めての恋愛」である。
この社会が恋愛によって構築されていく不可解さは少年には解き明かす糸口が中々掴めないものだろうが、それに立ち向かうもどかしさや楽しさをサイエンスフィクション(SF)の空想世界になぞらえることで、今や全てを知り尽くしてしまった大人にも新鮮に追体験してもらえるように表現されている。これも簡単に言ってしまえば、恋愛って何だろうね、まるで別世界がやってくるほど不思議な体験だね、それってSFのようだよね、ということだ。
ちなみにこのSFを恋愛表現として取り入れる軟派な手法は本作者が創始ではない。高校生の大人振った恋愛劇など数え切れない程あるし、描かれるSFの設定一つにまで作者のオリジナリティは見つからない。登場人物の態度に反映された時代性くらいは味わいとして新鮮に感じられるかもしれないが、それらも中高生を引っ掛けるための通俗営業より突出する程の独自性は無く、おかしくも珍しくも無い平凡な小説だ。
「小説の出来は、悪い」
読書家が時代の潮流を推し量ってやろうと思い立ってこの流行本を手に取る気持ちは分かる。今回の私がそれ。それであれば止めはしないが、わざわざ読むべき程の独特の意味が本作には無い。時間を無駄にしたくない人はこの本の存在を忘れた方が良い。どうせ世間もそうなる。なぜなら……。
下手な章立てに無意味な重複展開、本作の肝となる恋愛の部分は結果しか描かれておらず、表題の彼女は名前こそ連呼されるがほとんど出番が無い。主要人物が五人でなければならない理由も、その五人をこの初刊で全て登場させなければならない理由も無いだろうに無駄に展開している。設計の段階で既に傾いでいて文章に美しさの欠片も無い。作者は文章が平坦でつまらないことを自覚しているのか、水戸黄門のお銀の風呂のように物語と全く無関係な、色情など挟んで場繋ぎを試みるが表現の稚拙からエロティシズムが発現されない。
「胸を強調するポーズを取って羞恥の色に頬を染め、泣き出す一歩前の潤んだ目でぎこちない笑みを浮かべてカメラ目線を送る朝比奈さんは、それはもう例えようもないほど魅力的だった。やべ。惚れてしまいそうだ。」
この程度では高校生どころか中学生さえ興奮するものかあやしい。作者自身は漫画か何かが好きなのか異世界での戦闘描写は在り来たりにも跳ねたりするが、度々起こる異世界の設定には合理的な説明が無いため肝心のSFが破綻。そのため文脈も繋がらない。
(以下、略)


長々と引用させてもらいました
上記の批評は「(小説は)読む価値のない駄作」との立場です。他のSF小説やライトノベルからのパクリの寄せ集めにすぎないのであり、読書経験の少ない若者が飛びつき、過大な評価を与えてしまったのだろう、と
ただ、それだけの理由で小説やアニメーションの「涼宮ハルヒ」シリーズが売れた、と説明するのは無理があります(角川の宣伝商法が秀逸だったとの理由を付け加えても)
深夜時間帯に放送されているアニメーションが話題になり、多くの視聴者を獲得した事実も考えなければならないでしょう。それまでは深夜時間帯のアニメーションは一部の、マニアックな人たちのための物でしたから
モノマネ、パクリだけで大成功するならどこの出版社も、作家も苦労はしません(もちろん、「涼宮ハルヒ」以降に学園モノと超能力を組み合わせたライトノベルが大量に出回り、消費され、飽きられたのも事実ですが)
谷川流は新人賞に応募した作品を読み切りの形で書いたのであり、そこに長門有希や朝比奈みくるといった主要なキャラが登場しているのは当然の成り行きです。続編執筆まで想定していなかったので、小出しに主要キャラを登場させるという発想がなかったのでしょう
なので角川書店の要請に応じてシリーズが長期化するに従い、中身が薄くなり、つまらないものになってしまったのも当然の結果、と言えます
しかし、シリーズの前半に関してはインパクトがあり、読者を惹きつけるだけの中身があったと考えます。それでなければ売れません。読書経験の浅い若い読者を惹きつけるだけの中身があったと解釈した方が良いのでは?
さて、この「涼宮ハルヒ」シリーズがウケた理由ですが、自分は恋愛描写が優れていたからだ、と指摘しておきます
まったくベタな展開の学園モノですが、キョンの不器用でぶっきらぼうな恋愛感情と、それ以上に不器用でひねくれている涼宮ハルヒの恋愛感情が噛み合うどころか、正面からぶつかって不協和音を奏でる様が何とも言い難い味を出しています
この不器用で無様な恋愛劇を読者は受け入れ、共感したからこそシリーズが歓迎されたのではないか、と
いわゆるツンデレヒロインの見本のような涼宮ハルヒは、なかなかによくできた設定、造形であり、当時の男性にとって魅力的な女の子と映ったはずです
読者が求めたのは涼宮ハルヒとキョンの噛み合うところのないいびつな恋愛ドラマであり、異世界の設定やら宇宙人のシステムやらはどうでもよかったのでしょう。SFとして論外だ、などと批評しようものなら読者はジトッとした目線を投げかけてくるに違いありません
なので、上記の批評は核心をとらえ損なった単なるクレーム程度の文章でしかないと感じます

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