「ナウシカ研究序説」を読む

なおもしつこく漫画版「風の谷のナウシカ」について言及します
今回はインターネット上で公開されている「ナウシカ研究序説」を引用します
公開されて10年以上は経っているのでしょうか?
それだけにこの「ナウシカ研究序説」は他の論考にも引用されたり、批判されたりしてきました
引用するのは7章構成の最後の部分です

ナウシカ研究序説(7) おわりに
(前略)
序説を終わるに当たって、筆者の感想を述べておこうと思う。
ナウシカは正しかったのか。ナウシカの最終行動は人類にとって良いことだったのか、についてである。
ナウシカは、主の助けを得れば、現在の汚染された人間でさえも、新生しつつある世界に適応して生きられることを知っていた。ヒドラの「庭園」で自らその「処置」を受けていて、その有効性を知っているからである。ところが、主の理想が人間の喜びや苦悩に価値を置かないものであったがゆえに、主を破壊し人間の未来を人間の意志に任せることにしたのであった。つまり、世界を無目的な混乱に戻してしまったのである。
主は計画の多少の誤差は折込済みであったらしいが、ナウシカの発生まではその中になかった。つまりはナウシカの存在そのものが生命の主体性の象徴なのである。主の計画はそもそもの初めから、破綻が運命づけられていたと言う事ができる。そういった意味では、ナウシカの達成したことはあたりまえのことだったと言える。  
一般に、物語、小説、映画に至るまで、理想を目指すものと現状を維持しようとするものの間で戦いが行われる場合、現状維持側が勝利するというのが普通の結末である。その意味でこのナウシカの物語もそれを超えるものではない。現在の人間の混沌状態を肯定する方が勝つのである。それが人間の自由だとして賛美される。
しかし筆者はあえて別のことを考えるのである。今のままの人間であることを選ぶ必要があるのだろうかと。

ナウシカも「私達は/滅びるよう/定められた/呪われた種族/なのでしょうか」(⑤-65)と言い、「私達が亡びずに/もう少しかしこく/なっていたら」(⑥-94)という。新しい人間が出てこないなら、また同じことのくり返しがあるだけである。主の破壊の後「すべては/終わったのです/いまは/すべてを/始めるときです」(⑦-221)というが、彼女の目指す新たな世界は出現することはないだろう。なぜなら人間は変わってはいないからだ。この意味で、主の言う人類の「希望の光」を断ってしまったナウシカは「悪魔」である。人間は愚かなままであり、苦悩が続くのである。庭園を耕して、音楽と詩に囲まれて、安らかな喜びの中で生きていくことは人類の究極の望みではないのか。それを否定することは正しいのか。

ナウシカは自分の行為の意味を自覚している。そこに彼女の「闇」がある。

主は言う。「お前は/危険な闇だ」それとは反対に「生命は/光だ」と。するとナウシカは言葉尻を捕らえて、すかさず言い返す。「ちがう/いのちは/闇の中の/またたく光だ」「すべては/闇から生れ/闇に帰る」「お前達も/闇に帰るが/良い」と(⑦-201~202)。

「闇」とはなんだろう。虚無のことか。亡びのことか。混沌のことか。主の言う闇と、ナウシカの言う闇は少し意味合いが違うように思える。
(以下、略)

まず最初に言いたいのは、ナウシカの行動が正しいものであったのか、間違いなのかを問う必要があるのか、です
多くの犠牲を払い、シュワの墓所に辿り着いたナウシカですが、結果として墓所を破壊する選択をします。その結果、未来を担うであろう人間の卵や科学技術は失われてしまいます
これを愚行であると切り捨てる考え方もあるのでしょう。墓所の主が主張するように、未来にすべてを委ね、つなぎ役としての務めに専念する判断の方が賢明であったのかもしれません
しかし、ナウシカの判断は逆であり、墓所そのものを破壊し、科学技術を葬り、ナウシカと残された部族は長く苦しい途を選んだのです
なので、その選択が正しいとか、間違いだとか議論する必要はないと自分は考えます。もちろん、仮説の上に仮説を組み上げ、ああでもない、こうでもないと議論を楽しむ手段もあるわけですが
物語の上では取り返しのつかない事態ですから、ナウシカの行動を断罪したところで何も得られるものはありません
エディプス王の神話にあるように、エディプスはそうと知らないまま父を殺し、母と交わります。エディプスの行動を不道徳だと批判する手はあるものの、それで何かが解決したりはしません
中段で述べられている「理想を目指すものと現状を維持しようとするものの間で戦いが行われる場合、現状維持側が勝利するというのが普通の結末である」との下りは何が言いたいのか、自分には分かりません。ナウシカの物語は「現状維持側の勝利」ではなく、将来巡ってくる「青き清浄の地」を拒絶して現状の「破滅の瀬戸際」を歩もうと決意するのですから、上記の仮説から大きく逸脱したものではないでしょうか?
理想を目指すでもなく、現状を維持するのも困難だけれど、敢えてこの道を往くとの決意です
さて、引用部分の後段は闇と光の二元論めいたやりとりになっています
そこで主が展開するのは単純というか、粗雑な二元論です。光と闇を対比させ、ナウシカを言いくるめようとするのですが、ナウシカは誘いにはのらず、その単純な二元論の枠から外へ出ようとします。論理的にはどうかと思うナウシカの主張も、この時点ではすでに彼女の確信に近いものになっていますので、主の主張になびいたりはしないのです
この規定の枠(善か、悪か、あるいは光だの闇だのという単純な二元論的思考)を打ち破ろうとするのがナウシカの物語であり、単なる「癒やしの物語」などではない、と言いたくなります
であるからこそ、漫画版「ナウシカ」のラストに記された「生きねば…」とのセリフが重みを持つわけで
ニーチェは善悪の彼岸を超えたところに哲学が成り立つと言いました。同様に、善悪の彼岸を超えたところに我々の生があると宮崎駿は言いたかったのかもしれません

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