劣化ウラン弾今井紀明の今 高校生支援の活動
2004年、イラクへ渡って現地の武装勢力の人質になり、痛烈な批判にさらされた今井紀明の現在について書きます。当時、高校生だった今井紀明は、「米軍が使用している劣化ウラン弾の被害について調べたい」との理由で戦乱の続くイラクへ渡りました
その後の人質事件については割愛します
人質から解放され帰国した今井紀明を筑紫哲也が「News23」にゲストとして迎え、日本政府批判を語らせたため、バッシングはさらに激しいものとなった感がありました
その後、立命館大を卒業し、大阪の商社勤務を経て今井紀明はNPO法人D×P(Dream times Possibility)の代表となり、定時制高校や専門学校に通う生徒の支援活動をやっています。大阪の専門学校では中退者の割合を20%から一桁に減らした、とも伝えられています
このNPO法人はバックに仕手筋で有名な村上世彰がついており、寄付を受けて活動している状態です(だからといって、D×Pの活動を否定する気はありません)
拘束事件から15年。今井紀明さんがイラクを再訪した理由
当時まだ10代だった今井さんは人質事件の後、「自己責任だ」などといったバッシングに苦しんだ。対人恐怖症にもなった。そんな過酷な経験を踏まえ、今では「生きづらさ」を抱える10代の若者を支援するNPOを運営している。
BuzzFeed Newsは今井さんにイラクを訪れた理由を聞いた。
「事件があって、イラクでは何もできなかった。だから現地に足を踏み入れたいという気持ちはあった。自分の体の一部、過去の一部を置いてきたという感覚」
今井さんは、15年ぶりにイラクを訪れた理由を、こう話す。
あの時、今井さんは高遠菜穂子さんらと3人で、ヨルダンからタクシーで国境を越え、イラクの首都バグダットに向かった。
しかし、バグダッドに到着する前に武装勢力に拘束されたため、イラク入りの目的だった劣化ウラン弾の現地調査などを行うことができないままだった。
劣化ウラン弾とは、米軍が1991年の湾岸戦争などで使った特殊な弾で、それによる健康被害の可能性が指摘されていた。
「人質の状態だと幽閉生活のようだった。結局、何もせずに帰ってきて現地も見ていない」
「みんな忘れ物を取りに行くと思うんだけど、自分の一部というか、自分の大切なものを拾って来るという感じのイメージ」
(中略)
現在、DxPでは900人をサポートしており、通信・定時制高校と提携して授業を行なったり、食事の無償提供、インターンシップ機会の提供、進路相談などをしている。
活動は全て個人や企業による寄付によって支えられており、寄付者は単発も含めるとこれまでに1000人以上に上るという。
孤立し、相談できる人がいない若者に向けてLINEでの相談も始めた。Twitterなどからその情報を見つけた若者から、毎日のようにLINEでの相談が送られてくるという。
「不登校でこれからどうしていこうか」という相談など 長文メッセージで来る子もいれば、ぽつりぽつりと絞り出したSOSを送って来る子もいる。LINEでの相談は場所を選ばないために、地方からの相談もあるという。
DxPの活動も年々大きくなっており、これまでにサポートした若者の数は4500人にも上る。
今井紀明はメディアにどんどん出て、SEALDs奥田愛基のような政治活動に従事するのではと思っていましたが、違いました
イラクへ飛び込んでいった高校生時代を肯定する気にはなれませんが、現在の高校生や専門学校生支援という活動に専念できているのなら、それも人生でしょう。少年少女の間にセーフティネットを広げようという理念に基づく活動の方が、「劣化ウラン弾が問題だ」と騒ぐより、建設的です
村上ファンドは村上財団を組織しており、そこがD×Pの活動を支援しています。村上財団の代表は村上世彰の娘、村上絢です。彼女は「ブラック校則をなくそう」など、さまざまな活動に関わっています
ただ、D×Pの活動がすべて村上財団の寄付に依存しているわけではない、と申し添えておきます。今井紀明が講演活動をし、講師料がD×Pの活動資金になっていると、本人が説明してるので
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