セカイ系アニメ 戦闘少女とダメ男

「新世紀エヴァンゲリオン」の碇シンジをダメ男と定義すると、世の「エヴァ」ファンを敵に回すのかもしれません
しかし、綾波レイや惣流・アスカ・ラングレーといった戦闘少女と、葛城ミサトのような「できる女」を前にすれば、碇シンジは根暗でダメな少年と位置付けられるのであり、「それでも頑張っている14歳」となるでしょう
さて、今回は京都大学大学院人間・環境研究科の高橋幸准教授の「ジェンダーから見るセカイ系:戦闘少女の登場と少年の受動性」と題する論考を取り上げます
ただし、ジェンダーについて論じるのではなく、セカイ系のアニメーション作品を自分なりに考えるのが目的なので、あらかじめご了承願います
以下、高橋准教授の論考の冒頭を読めば、碇シンジを名指ししている感がありありと浮かびます。論考からの引用は赤字、自分のコメントは黒字で表示しています


ジェンダーから見るセカイ系:戦闘少女の登場と少年の受動性
1.セカイ系作品群をいまジェンダーの観点から論じることの必要性
1990年代後半から2000年代に生み出されたセカイ系は、基本的に男性が作る男性のための作品だが、そこでは戦闘能力としても精神的にも弱い男性主人公が繰り返し描かれた。圧倒的な強さを誇るヒロインが設定され、〈戦う男/守られる女〉という従来の性別役割は反転している。セカイ系作品の主人公の少年・青年は少女一人すら助けることができないという弱さを刻印され、自己評価が低く、社会的承認に飢え、臆病で消極的で受動的、主体として何かを引き受けることを先送りし続ける「ダメ」な男性として造形されている。
このような主人公男性像をもつセカイ系に対しては、これまで様々な批判が投げかけられてきた。小説家の久美沙織(2005)は、ライトノベルとその周辺ジャンルのエンターテインメントの「男子主人公たちとその書き手があまりにナイーブで傷つきやすいのにいささかげんなりする」と述べる。批評家の宇野常寛(2008)は、セカイ系主人公が社会的な軋轢や葛藤を回避して「母性的空間」に引きこもり続けることを、「成熟拒否」であるとして痛烈に批判した。たしかに、セカイ系作品に登場する戦闘美少女は多くの場合、母親のような包容力を備えた存在であり、またセカイが破滅していくさまをどうすることもできない主人公の無力さを甘美にうたいあげる傾向をもっていることは事実だ。男性視聴者の自己同一視している無力な少年が母親的少女に守られる快楽によって、セカイ系作品の流行が支えられていたという側面はある。

こうした論考の場合、話の前提を自己の主張に都合よく組み上げ、時には歪めてでも自説の補強に利用しようとする企てがあったりするのですが、高橋准教授の提示する序論に特段、違和感はありません
母性の象徴ともいえる「エヴァ」に包まれ、守られている碇シンジの状況そのままでしょう

しかし、弱い男性のあり方が繰り返し描かれたという点で、セカイ系作品は重要であり再考に値する。ヒロインの方が強く戦闘能力が高く、少年は弱いという設定は、自分と互角かそれ以上の実力を持つ女性の存在を無視しえなくなった現代の少年たちの不安や鬱屈を反映しているように思われるからだ。少女たちは美しく生き生きと自分たちだけで戦い、少女同士で救い合えるようになっていく(『美少女戦士セーラームーン』アニメ放映1992年-)。「大切な人を守る」という、これまで自明なものとして少年たちに与えられていた役割が戦闘少女に奪われはじめる。少年たちは、自らの存在意義を獲得する機会を失い、新たな男性アイデンティティ確立方法を模索せねばならなくなった。さらに、少年たちにとって厄介だったのは、戦闘少女たちが自分のライバルになると同時に、性的欲望や恋愛関係の相手になりえる存在であるという点だろう。自立を要求する少女たちは、多くの場合少年の思い通りにはならず少年たちにとってはある種不可測な行動(アスカのシンジに対する行動を想起せよ)をとるわけで、少年は少女たちとの関係のなかで無力感、徒労感、鬱屈を深めていく。セカイ系は、〈戦う/守られる〉性別役割が反転を含めて複雑化するなか、少年たちが不安と鬱屈を抱えながら、新たな自分の存在意義獲得と男性アイデンティティ確立のために試行錯誤する物語である。

「まあ、そうなんだよな」とボヤく男性の声が聞こえてきそうです。ただ、そこで奮起し、成長を目指そうとするのが碇シンジであり、空回りして挫折し、落ち込むのがパターンなのですが
そして思春期の少女というのは男子にとって謎であり、時として理解しがたい存在でもあります
碇シンジは綾波レイを理解できませんし、アスカを理解できず振り回されるのです
ただ、それは戦闘少女の側から見ても同じであり、アスカには碇シンジが理解できません
だからとしても、上記の引用部分の文章で、少女と少年をそっくり入れ替えても成り立つのかと問えば、そうではないのです
つまり少年と少女、男性と女性を等価として入れ替えたならどうしても不具合が生じる、と自分は思います。それが性差でしょう
そこを人為的(あるいは作為的)に歪めた形式がBL物であり、男の娘物だと考えます

圧倒的な強さを持つ少女と、無力な少年との間に結ばれた恋愛関係とはどのようなものだったのか。覇権的男性性の序列の中での弱さ(経済的弱者)というよりも、親密な関係性における「弱さ」を刻印された男性性はどのような形を具体的にとることになり、そしてそれはどのような変遷をへて、どのような地点にたどり着いたのか。これらを整理して記録し、再考することが本書の目的である。この考察は、セカイ系以後の作品内に登場する男性性、例えばBLに表象される男性性、「男の娘」の男性性、ボーイッシュなカッコいい女の子たちの男性性などを分析していくための基礎になるものと期待できる。

としても、無力な少年である碇シンジも最初のテレビシリーズと最近の劇場版とでは変化しており、お約束のキャラにとどまっているわけではありません。新たな劇場版での変更点としては渚カヲルの登場が早まり、碇シンジと同性愛的ともいえる接点を広げるのですが、これは庵野秀明が「必要」と判断したからであり、物語を深めるための変更でしょう
思春期の男女が同性に魅力を感じ、心を惹かれるのは珍しい現象ではないのですが、だからといって庵野監督が「エヴァ」をBL化させるつもりはないはずで、何かしらの狙いがあってと解釈されます
その先に何があるのかはともかく、思春期の男女の心の揺らぎを丁寧に、繊細に描くのもセカイ系アニメの特徴であり、視聴者を惹きつける理由だと考えます。ロボットアニメでありながらそれをやってのける凄さ、が「エヴァ」や「ガンダム」にはあります
高橋准教授の論考はまだまだ続くのですが、それを読んでいる自分としても何かの結論を提示できるわけもなく、考えさせられることばかりです。今回はここまでにして、後日、続きを書くことにします

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