「新世紀エヴァンゲリオン」を世界はどう観たのか?
セカイ系にアニメに対する海外の反応について書こうと思い、あれこれ材料を集めています。当然、避けて通れない作品として「新世紀エヴァンゲリオン」があります
2019年にNetflixが「新世紀エヴァンゲリオン」(以下、エヴァと省略)のテレビシリーズと劇場版の配信を海外で行い、サーバが一時ダウンする現象も起きたと報じられています
海外のアニメファンにもその名を知られている作品でありながら、かなり以前にVHSのビデオソフトが販売されていた他、画質の悪い海賊版がインターネットで出回る程度で、海外ではクリアな画質で視聴するのは困難だった、という事情があります(日本ではDVDで入手可能でも、版権の問題などが絡んで、海外では入手困難というケースがしばしばあります)
つまり、Netflixでの配信を待ち望んでいたアニメファンが大勢いたわけです
「WIRED」US版による作品レヴューの記事かありますので、取り上げます
「新世紀エヴァンゲリオン」の世界観は、この2019年とも深く通じるものがある
「新世紀エヴァンゲリオン」の世界観は、2019年という「いま」と深く通じるものがある。
人類は世界の終末を待っているわけではないし、それに抗って戦おうとしているわけでもない。なぜなら、世界はすでに終わっているからだ。わたしたちは壊れた世界の片隅で生きている。できるのは、せいぜい事態をこれ以上悪化させないようにすることくらいしかない。
(中略:作品の概要紹介)
日本アニメの文化的な「壁」を打ち破った作品
日本のアニメは90年代初頭から、米国において一定の地位を確立してきた。ただ、米国のテレビ界隈でのアニメの扱いを見ている限りでは、そんなことには気づかなかっただろう。
90年代の子どもたちは大人になり、いまやアニメはさまざまな世代から支持を得るようになっている(ただし『AKIRA』や『もののけ姫』といった著名な作品は、最初から子どもだけでなく幅広い年齢層に訴えかける魅力をもっていた)。それでも、この表現形態はこれまで、文化的には“キワモノ”に近い扱われ方をしており、評価の対象になることは少なかった。宮崎駿の映画や、それに匹敵する水準にあると判断された幸運な作品以外は、オンライン掲示板やコアなファン向けの出版物などでしか取り上げられてこなかったのだ。
しかし、驚くべきことに「新世紀エヴァンゲリオン」は違った。この作品は、アニメというジャンルを取り囲む文化的なディスクール(言説)の壁を打ち破るだけの可能性を秘めているのだ。
『ワシントン・ポスト』やニュースサイト「Vox.com」といった有名メディアにもエヴァンゲリオンを扱った記事が掲載され、ポッドキャストまで登場した。映画の愛好家の間で評判の高い購読制ヴィデオオンデマンド(SVOD)サーヴィス「MOBI」のサイトでも、「エヴァンゲリオン」が紹介されている。
シンジたちの内面の物語であるということ
エヴァンゲリオンが批評家にとってはマタタビのように魅力的だという点も、これだけの注目を浴びるのに一役買っているのだろう。アニメ作品の題材として典型的な戦争の恐怖、巨大ロボット、若きヒーローといった舞台装置を揃える一方で、この作品はある時点から、完全にシンジたちの内面の物語になる。アニメ史に残る作品になった理由はこのことが大きいはずだ。
監督の庵野秀明がシリーズの制作中に鬱状態に陥ったのは有名な話だが、確かに「新世紀エヴァンゲリオン」は究極的には精神が崩壊していくような内容だ。描かれるのは、フロイトやユングのコンセプトを散りばめた人間の内面の恐怖で、ユダヤ教の神秘思想のカバラやグノーシス主義に登場するモチーフなどが頻出する。こうした側面を詳細に分析し、作品の深みを解説していくのは、批評家たちにとってはたまらなく楽しい作業だろう。
だが、こうして批評家グループの内部だけでなく一般にも波及した「エヴァンゲリオン」ブームが、より広い文化的な動きにつながっていくことを願っている。
(以下、略)
随分と大雑把なレビュー?ですが、限られた文字数の枠で語るには限度があり、仕方がないのでしょう
できれば碇シンジたちの内面の物語=セカイ系という部分に焦点を当ててほしかったのですが
スーパーマンのようなヒーローが敵をやっつける爽快感が売り、のアメリカの映画やアニメとは別の表現方法であり、そこに日本のアニメ独自の演出や表現方法があるわけで
以前、当ブログで「日本アニメはディズニーを目指せ」と主張する野口恒(ジャーナリスト)の記事を取り上げました
「日本アニメはディズニーを目指せ」という無茶な提言
野口はディズニーのアニメのように、人種や宗教、習俗に配慮し、できるだけ多くの国で通用するキャラクターやストーリーを用意すべきだと提言しているのですが、まったく馬鹿げた発想です。確かに海外市場に進出し、売るためにはディズニーのビジネスモデルが適しているのでしょう
しかし、ディズニーには「シンデレラ」や「アラジン」は作れても、「エヴァ」は作れないのです
人種への配慮?宗教? そんなものをぶっ飛ばして、日本ならではの尖がった表現を突き詰めるからこその「エヴァ」であり、日本のアニメでしょう。毒にも薬にもならない凡庸なディズニーのファミリーアニメを作れば商売になるのでしょうが、そんなものは中国や韓国に任せておけばよいのです
経営コンサルタントとかジャーナリストという人たちはアニメを理解できず、つまらない提言をするものです
日本のアニメが日本らしさを捨て、ディズニーを真似てどうするのか、と
海外の反応の紹介はそれぞれ、専門に紹介しているサイトがあるので、そちらを参照願います
まとまって評論を見つけたなら、また「エヴァ」について言及するつもりです
エヴァンゲリオンに衝撃を受ける海外のオタクたち
海外「サーバダウンしたぁ!」日本の伝説的アニメが西洋に初上陸して海外が大騒ぎ
(関連記事)
「エヴァンゲリオン」を巡る言説 賛否の行方
「エヴァンゲリオン」 若者の承認欲求
https://03pqxmmz.seesaa.net/article/202103article_51.html
「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の爽快感と疎外感
https://03pqxmmz.seesaa.net/article/202103article_51.html
「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の爽快感と疎外感
「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」という「終わりの物語」
https://03pqxmmz.seesaa.net/article/202103article_47.html
「エヴァンゲリオン」 14歳の自意識
https://03pqxmmz.seesaa.net/article/202011article_15.html
「日本アニメはディズニーを目指せ」という無茶な提言
https://03pqxmmz.seesaa.net/article/202103article_47.html
「エヴァンゲリオン」 14歳の自意識
https://03pqxmmz.seesaa.net/article/202011article_15.html
「日本アニメはディズニーを目指せ」という無茶な提言
ディズニー・アニメ「シュガー・ラッシュ」は友情、努力、勝利!
ディズニーと宮崎アニメ ヒロインから見た文化論
斎藤環著「戦闘美少女の精神分析」を語る
「エヴァンゲリオン」庵野監督を語る週刊プレイボーイのスカスカ記事
北米でエヴァンゲリオン劇場版公開 海外の反応
エヴァを見るため氷点下でも並ぶロシア人
「エヴァンゲリオン」新作公開に思う
押井守監督の「エヴァンゲリオン」批判を考える
「14歳のエヴァは終っていない」 酒鬼薔薇聖斗のエヴァンゲリオン
エヴァンゲリオン 14歳のカルテ
セカイ系アニメ 戦闘少女とダメ男(2)
コロナ禍とセカイ系アニメ
中国メディアの陳腐な論評「日本アニメ、人気の秘密は民族文化」
日本のアニメは暴力的で卑猥と批判する中国
中国人 日本アニメは「下品なギャグと暴力」
日本と米国のアニメの違い「テーマと暴力シーン」
セカイ系アニメを語る中国の論評
中国アニメと日本アニメ 絶対に越えられない壁
映画「えんとつ町のプペル」 高評価と批判
日本アニメは文明の衝突? 「カウボーイビバップ」コケる