「令和」で安倍政権批判に狂奔するメディア

さて、元号を巡る大騒ぎ(新聞の号外の奪い合いなどなど)も収まったようですが、インターネットメディアなどでは新元号を巡って安倍政権批判が繰り広げられており、まだまだ余波が続きそうです
昨日は社民党党首の批判(中身は朝日新聞の社説の受け売り)を取り上げました。あまりに空虚な批判を口走っていると、政治家として現実検討能力を欠いていると映るだけであり、資質を疑われます。もっとも、社会主義革命などという虚妄を信奉し、理想として掲げている時点であれですが
話を戻してインターネットメディアの「LITERA」が元号を関する安倍政権批判記事を連発しているので、取り上げます。長文であり、かつ中身も重複している部分があるので引用はしません


「新元号」でマスコミが報道しない元号のイデオロギー的本質! 元号強制は日本会議前身団体の圧力の結果だった

「令和」は安倍首相の元号私物化の結果だ! 皇室の伝統をひっくり返しフェイク的“国書由来”の元号を強行

安倍首相「令和は国書典拠」自慢の間抜け! 大元は中国古典で作者の張衡は安倍政権そっくりの忖度政治を批判


よくもまあこれだけ力を入れて駄文を連ねるものだと感心します
「令和」の出展である古事記の「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」が、より前の時代に中国で読まれた漢詩の「帰田賦」に由来するとの指摘は各メディアが取り上げているところで、目新しくもありません
上記の記事を見れば、漢籍由来の元号が伝統なのに国書由来の元号を勝手に決めた安倍はけしからん、と書いてあったりします。次には国書由来ではなく漢籍が出典の根拠だと指摘して、安倍は嘘をついたと批判もしており、何が何やら。漢籍が出典なら伝統に従ったという結果になるのであり、批判は当たりません
さらに、元号を使っている人間などおらず、西暦が当たり前なのに元号を国民に強制するな、との主張も書かれています
政治的な思惑はともかく、万葉集からの取った、とのことわりがあってそれを重大な欠陥(中国の古典が引用元と露呈した…)であるかのごとくあげつらうのはいかがなものかと思ってしまいます
別のメディアで奈良大学の上野誠教授は、「万葉集ではない方が良かったという人もいるが、だったら書経とか易経とか詩経を皆が読んでいるのか、という話になる。万葉集は源氏物語と並んで、先生と一緒であれば読むことのできる並ぶ国民文学。そこから取るということで元号が身近になる。また、この序文自体が漢文である中国の『文選』という書物の『帰田賦』から取っている、という点からの批判もある。しかし古典というものは、過去にあるものをちょっとずつ変えながら作っていくもので、いきなりピカソやダリのようなものが出てくるというのは近代的な考えだ。『帰田賦』だって、その元がある。"重ね絵"のように作っていくものだし、それが日本の文化の素晴らしいところだと考える」と述べています
元号の選定も最終的には内閣の判断であり政治的な判断になるのですから、「政治家がしゃしゃり出るな」との指摘は大間違いです
難癖をつけたがる人は風が吹いても、雨が降っても安倍が悪いと批判するのでしょう

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