迷走する教育勅語論争
Windowsの更新をしたらいつも使用しているパソコンが不調になってしまい、予備のノートパソコンを引っ張り出して書いています
画面も文字表示も小さいので、書きにくいことこの上なく、誤字脱字・誤変換もあるかと思いますが、ご容赦願います
さて、教育勅語を巡る騒動の続きです
芝山文部科学大臣が「教育勅語は普遍性がある。アレンジして現代の教育に活かせる」と発言し、物議をかもしました。柴山大臣自身はその後、政府として教育勅語を教育現場に復活させるつもりはない旨を語っていますが、大臣就任会見で個人的な思想・信条を語れば批判されるのは当然です
個人的な思想・信条を語るのは自由ですが、それを批判する自由も存在するのですから
さて、この教育勅語論争は、当然、次の国会で取り上げられるのでしょう
しかし、与野党で論争が噛み合わない展開になるのは予想がつきます
この辺りに触れる記事をZAKZAKから引用します
書いているのは宇佐美典也という元官僚のコンサルタントです
柴山昌彦文科相が就任会見で、教育勅語に関する認識を問われた際、「現代風に解釈され、アレンジした形で、道徳などに使えるという意味で普遍性を持っている部分がある」と答え、この発言が物議を醸している。
立憲民主党の辻元清美国対委員長は「言語道断だ」「昔なら、その一言で即クビだ。首相は同じ考えなのか」と述べ、国民民主党の玉木雄一郎代表も「教育をつかさどる大臣の発言としては軽率だ」と非難している。
(中略)
では、今何が問題になっているかというと、「一文書である教育勅語の価値を、柴山氏が個人としてどのように認識しているのか」だ。こうした観点で、柴山氏と野党幹部らの発言を見ると、物事が整理して見える。
まず、柴山氏の発言だが、公式性が否定された一道徳文書に対し、文科相という立場で所感を述べること自体が、たとえ記者から質問されても、不適切と言わざるを得ないだろう。
その意味で、玉木氏の問題意識は極めて正しい。
一方で、辻元氏の批判もおかしい。
わが国には思想信条の自由がある。教育勅語も、その内容に柴山氏が個人として共感しても、それ自体「即クビ」につながる、という理屈は成立しない。
社民党の吉川元(はじめ)幹事長に至っては、柴山氏の発言に関して「まさに憲法違反だ」と指摘したようだが、どちらかといえば、教育勅語を一種のタブー・禁書として扱うことを求める吉川氏の発言内容の方が憲法違反に近いだろう。
(中略)
教育勅語の内容の一部は、確かに普遍性を持っていることは間違いない。だが、家族像が多様化し、崩壊家庭に苦しむ児童も増えるなか、伝統的な家族像を教育の場で押し付けること自体が、そのような家庭に属していない子供の心を傷つける可能性が極めて高いことを忘れてはいけない。
言うまでもなく、教育は何よりも子供のためのものなのだから、イデオロギー論争に陥らず、子供の目線に立って与野党の政治家は議論をすべきなのではなかろうか。
(ZAKZAKの記事から引用)
「イデオロギー論争に陥らず、子供の目線に立って議論をするべき」と指摘しているのですが、無理でしょう
イデオロギーむき出しの辻元清美に、イデオロギー抜きの議論などありえません
加えて、「子供の目線に立って議論しろ」というのも、妙な提言です
教育は子供のためと言いつつ、子供の側の立場から、子供の利益や幸福を考えた上での議論などあったのかと、疑問に思います
そもそも教育とは教師や親が(大人が)一方的に子供を教え、導き、陶冶するものというのが大前提になっています(教育学の教科書にもそう書かれています)
なので、最初から子供の側から教育はいかにあるべきか、という発想はないのです
国会で繰り広げられるであろう教育勅語論争を、子供たちは白けた目で眺めるに違いありません。受験やいじめ、その他、さまざまな悩みを抱える子供たちにとって、教育勅語をどうアレンジしようと救いにはならないのです
むしろ、国民の代表者である国会議員が、教育勅語を巡ってああでもない、こうでもないと言い争う姿を見て、子供たちが絶望感に囚われるのではないかと危惧します
「大人たちは結局、自分たちのことを分かってくれないし、心にかけてもくれない」と
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