女子高生コンクリ殺人の犯人 再犯で逮捕

1989年、日本を震撼させたのが少年4人による女子高生コンクリ殺人事件です。拉致した女子高生を監禁し、繰り返しレイプした上で手足を焼くリンチを加え、衰弱死した彼女をドラム缶に入れてコンクリート詰めにして遺棄するという、鬼畜の所業と言うほかない残虐な犯行でした
その犯人である4人のうちの1人が、埼玉県内で殺人未遂事件を起こし、逮捕されたと女性セブンが記事にしています
加えて、他の3人の消息にも触れているのですが、十代で殺人を犯すような人間が如何に根底から歪んでいるかが伝わってきます


綾瀬コンクリ殺人の犯行グループのその後 4人中3人が再犯
8月19日、埼玉県川口市で、32才男性の首を刃渡り8cmの折り畳み式ナイフで刺したとして、45才の男が殺人未遂容疑で逮捕された。この男は川口市の無職、湊伸治。彼は約30年前に日本中を震撼させた「東京・綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件」の犯行グループの1人である。
犯行グループの主犯格の少年A(当時18才)は、中学の後輩のB(当時17才)とC(当時15才)、D(当時16才)と共に、たまり場だった東京都足立区綾瀬の住居2階に少女を連れ込んだ。この家はCが両親と同居する自宅だった。そして、このCが湊容疑者である。
少年たちは少女を監禁。凄惨な暴行の末、殺害し、遺体をドラム缶に詰めてセメントを流し入れて東京都江東区の埋立地に遺棄した。
1989年3月、別の婦女暴行容疑で逮捕されたAの自白によって遺体が発見され、事件は明るみに出た。裁判の結果、Aが懲役20年、Bが懲役5年以上10年以下、Cが懲役5年以上9年以下、Dが懲役5年以上7年以下で量刑が確定した。
その後の彼らの人生は、更生への期待を裏切るものだったと言わざるをえない。
主犯格のAは2009年に刑務所を出所した後、養子縁組をして名前を変えた。それから3年半後の2013年1月、振り込め詐欺の容疑で逮捕された。
(中略)
裁判中に深い悔悟の態度を見せたBは1999年に満期で出所した。受刑中にパソコンのスキルを学び、出所後はIT関連の仕事をしていたが、前科が知られ人間関係に行き詰まり、退職後は暴力団の構成員になった。
出所からわずか5年後の2004年、Bはあの事件を彷彿とさせる騒動を起こす。
「“おれの女をとっただろう”と知人に因縁をつけて車のトランクに押し込み、母親の経営するスナックで5時間にわたって監禁して暴行を加えたんです。Bは事件を起こす直前、コンクリ詰め殺人について、“面白かったけど相手が簡単にしゃべらなくなり、抵抗しなくなったのでつまんなくなった。抵抗しているうちは楽しかった”と話し、知人を暴行する際は“おれは人を殺したこともある。殺すぞ”と脅したそうです。これでは、裁判中の反省はポーズと見られても仕方ありません」(全国紙社会部記者)
Bは逮捕監禁致傷で懲役4年の実刑判決を受け、2009年に2度目の出所をした。
(以下、略)


長文の記事なので一部のみ、引用しました。全文を読みたい方は上記のウェッブサイトへアクセス願います
当時、主犯格Aの懲役20年に対しても「軽すぎる」と批判がありました。他の3人についても汲むべき情状もないのに、なぜそんなに短期の刑なのか、と思ったものです
強姦殺人でも、犯行当時少年であれば懲役10年以上の長期の刑は避けるという、量刑の相場があったからなのでしょうか
現在の刑事裁判の流れなら、4人とも無期懲役だろうと考えます(千葉の少女生き埋め殺人事件のように)
ちなみに上記の記事の中でABCD扱いになっている4人は、Aは宮野裕史、Bは神作譲、Cは記事の中でも触れられているとおり湊伸治、Dは渡邊泰史です
それぞれ名前を変えて生活していると思われますが
Bこと神作譲の母親は事件当時、生活保護を受けており、被害者遺族に対し50万円の賠償金を支払ったのみで、知らぬ存ぜぬを貫いたのだとか
さて、湊容疑者は前科もありますので不起訴にはならず、起訴されて公判が開かれるものと推測します

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