いまさら金嬉老事件を持ち上げる東京新聞
1968年2月、在日韓国人の金嬉老元受刑者が静岡県清水市で暴力団員2人を射殺後、ライフルと約100本のダイナマイトで武装し、寸又峡温泉の旅館に13人の人質を取って立てこもる事件が起きました。金嬉老事件と呼ばれるものです
金嬉老はその後、裁判で無期懲役が確定し、服役していましたが、残りの刑期を韓国で服役するとの条件で韓国に身柄が引き渡されています(2010年死去)
韓国に戻った金嬉老は日本人による差別と闘った英雄と扱われました
東京新聞がその金嬉老事件の跡を辿って、在日差別を学ぼうという静岡大学らの日韓学生を追う記事を掲載していますので、取り上げます
事件から50年を経て、ライフル魔による人質事件を賛美するような扱いはどうにも不可解であり、違和感ありありです
学生ら九人は、差別やマイノリティーについて研究する静岡大の山本崇記准教授(38)がまとめる学生団体「日朝学生青年交流会」の活動で訪問した。
金元受刑者が立てこもったふじみや旅館(廃業)を見学した後、事件当時、警察や報道機関の宿舎になった翠紅苑で、経営者の望月孝之さん(72)と、孝之さんの父親で前経営者の恒一さん(百歳)に話を聞いた。
ふじみや旅館から百メートルほど坂を下った翠紅苑には防弾チョッキを着た警察官らが昼夜を問わず出入りし、従業員も何人が宿泊しているか分からないほどの混乱ぶりで、二人は対応に追われた。旅館のベランダからは立てこもる金元受刑者の話し声が聞こえたという。
金元受刑者は報道陣に「刑事から『朝鮮人じゃないか』とけなすようなことを言われ、心が煮えくり返った」などと事件の動機を語り、県警の刑事や本部長を指名し、テレビを通じて謝罪させた。学生の一人は、民族差別を訴えた元受刑者の姿が「当時の寸又峡の日本人にはどのように見えたか」と孝之さんに質問した。
孝之さんは、遅くとも昭和初期から寸又峡には、発電所の建設などに従事した多くの朝鮮出身者が住んでいた事情を説明。「彼に同情的な気持ちと、犯罪者として捉える気持ちが半分半分だった」と明かした。恒一さんは筆談を交えながら「(寸又峡が全国に宣伝されたという意味で)プラスになったことの方が多かった」と答えた。
朝鮮半島にルーツを持つ静岡県立大四年、米沢美侑(みゆう)さん(23)は「在日コリアンへの差別は今も続いている」と指摘。金元受刑者の訴えは「たとえ多くの人に響かなかったとしても、救われた人はいたと思う。今の自分も励まされる部分がある」と話した。
これに対し、同大四年の望月直人さん(22)は「差別に立ち向かったことより、人を殺したり、脅したりした事実の方が先にくる。必要な訴えだったと思うが、他のやり方もあったのでは」と語った。
在日コリアンの静岡文化芸術大一年許松大(ホソンデ)さん(23)は「在日にとって事件を過去の出来事として無視できる人はいない」と強調。ヘイトスピーチがはびこる現代は当時よりも排他的で「差別の強度がより高い」と感じている。「今、同じ事件が起きれば、もっと極端な意見が出て、溝がさらに深まる。半世紀たっても世の中は変わっていない部分があると思う」
(東京新聞の記事から一部引用)
東京新聞の記事の趣旨からすれば、金嬉老は在日朝鮮人差別の被害者であり、犠牲者なのでしょう
しかし、彼が2人を殺害した人物であり、多くの人に人質に取って危害を加えようとし、警察に向けて発砲を繰り返した事実を無視するべきではありません
韓国に帰国した金嬉老が、身の回りの世話をするボランティアの女性を強姦しようとし警察沙汰にもなっています(最初は英雄扱いしていた韓国の人たちも、金嬉老が下賤な人物であると判明したため離れていきました)
なので、金嬉老事件を英雄譚にするような扱いは断じて控える必要があり、凶悪事件として扱うのが相当です
残念なのは金嬉老が無期懲役刑になったことであり、死刑にできなかった点です
現在の社会の風潮からすれば、これだけの凶悪事件を起こした以上、死刑に処すしかないと裁判員は考えるでしょう
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