神戸連続児童殺傷事件から20年 「心の闇」を読む
早いもので、世間を震撼させた神戸市での連続児童殺傷事件から20年を経過したのであり、これを機にさまざまなメディアが事件に関する報道を行っています
被害者家族の手記では、「20年経った今でも事件について理解できない」という切実な気持ちが吐露されています
ですが、今回は被害者家族の側ではなく犯人側に目を向けようと思います
毎日新聞は当時、捜査を担当した兵庫県警捜査1課長の回顧談を取り上げていますので、まずはこれを引用します
神戸小学生連続殺傷:元捜査1課長「声明文、子どもかも」事件から20年
1997年5月の神戸小学生連続殺傷事件で男児が殺害されて24日で20年。当時の捜査を指揮した元兵庫県警捜査1課長の山下征士さん(78)が取材に応じた。14歳の少年が逮捕され社会に衝撃を与えた事件は、男児が少年と顔を合わせる機会が多かったことが容疑者の絞り込みにつながった。
山下さんは「『被害者を知る』ことが捜査に極めて重要だと改めて学んだ」と実感を込める。
「被害者を知る」重要さ
一連の事件では小学生5人が殺傷された。97年2月に女児2人が殴打される事件があり、同3月の通り魔事件で山下彩花さん(当時10歳)が殺害され、女児が重傷。同5月には土師(はせ)淳さん(同11歳)が殺されて県警は捜査本部を設置した。
淳さんの遺体遺棄現場には犯行声明文が残されており、山下さんは「見た瞬間に『子どもかもしれない』と感じた」。文面は本などからの引用が目立った。
県警は鑑識活動や聞き込みなど基本的な捜査を行う一方、国内外の論文などを精査。児童を分析したドイツの研究論文に「面識がある人にしか付いていかない」とあるのが目に留まった。聞き込み捜査では、地元で問題行動が目立つ少年の存在が浮かび、焦点が定まっていった。
過去の犯罪事例からも学んだ。現場周辺は阪神大震災後、住民が流入しており、山下さんは「ストレスを抱えているな」と感じていた。警察庁に対し「現場が団地群やニュータウンで被害者が子ども」などの条件で類似事件を照会した。着目した数件はいずれも容疑者が少年だった。
加害少年の逮捕は、男児の遺体発見から32日後の同年6月28日だった。「当時は『時間がかかりすぎだ』と批判も浴びたが、つぶしの捜査などに必要な時間だった」と振り返る。
逮捕を前に細心の注意を払ったことが二つある。一つは容疑者に関する徹底した情報管理、もう一つは少年を家から警察署に呼び出す方法。少年の家庭が混乱しないよう、家族の個々の事情に配慮するなど綿密に段取りを組み、逮捕当日の朝に任意同行した。
山下さんは「本当に被害者が可哀そうだった。冥福を祈りたい」と話す。そして「犯罪には何らかの病理が背景にある。捜査では医療などの専門機関との連携強化が重要だ」と訴えた。
(毎日新聞の記事から引用)
元捜査1課長が語った内容は記事で書かれた分の数倍はあるのかもしれません
が、記者の取捨選択により、上記の談話の形に収められたのでしょう
この事件を巡っては犯人である少年Aについて、「命の大切さを知らない」と指摘が各方面から寄せられ、その結果(当時は少年による凶悪犯罪がいくつもあり、命の尊厳をないがしろにする振る舞いに批判が集まりました)として「命の大切さをこどもに教育すべきだ」との世論が形成されました
小中学校で「命の大切さ」を教えるためのさまざまな授業が試みられたのも、そうした世論に後押しされたがゆえでしょう
他方で、犯人である少年が内に抱えていた「心の闇」についての理解は進まなかった、と自分は感じています
そもそも小学生を殺害し、首を切断してさらしものにする犯人の心情を理解せよ、というのは無理があり、そんな異常者の所業をいくら精神分析の側から解き明かしたところで、耳を傾ける気になれないわけで…
ただ、犯罪を捜査し、事件を解明する側にある人(そして起訴し、裁く人たち)には耳を傾ける勇気を持っていただきたい、と思います
2000年5月に愛知県豊川市で初老の夫婦が殺傷された事件で、当時高校生の少年が逮捕されましたが、動機として「人を殺す経験をしたかった」と語ったため轟々たる批判が巻き起こりました
ただし、精神分析の側からすればすんなりと理解できる話であり、神戸の事件と同じく「人を殺す経験」=通過儀礼を経ないことにはどうにもならない切迫感に苛まれていたものと解釈できます(もちろん、その倫理に反する行動を肯定するわけではあるませんが)
豊川市の夫婦殺傷事件については、過去に当ブログで取り上げましたので、関心のある方は下記の過去記事をご覧ください
「異常な心理」と表現される機会の多い犯罪者の「心の闇」ですが、彼らな彼女なりのわけがある、と考えます
もちろん、自覚しないまま衝動に支配され、犯行へと駆り立てられる事件もあり、自身で犯行の動機など説明できない(言語化できない)もの珍しくありません
しかし、犯人が動機について説明しないから何もわからない、と決めつけるのは大間違いです
犯罪捜査のプロ相手に講釈を垂れる気はないものの、犯罪という行為はある意味表現行為であり、それは言語化された「語り」とは違いがあるものの意思の表明という部分では同じものです
ですから、表現された行為を読み取り、言葉に置き換えるのは犯罪者の側ではなく、捜査に携わる側であり、起訴する側であり、裁く側であると言えます
当ブログが事件の意味を読むことに執着するのも、こうした思いが根底にあるからです
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