サザン桑田批判は言論テロなのか?
サザンオールスターズの桑田佳祐が昨年末、横浜アリーナで開かれた年越しライブ「ひつじだよ!全員集合!」で行なったパフォーマンスが批判され、謝罪を行う事態になりました
ズボンのポケットから紫綬褒章を取り出し、「まず5000円からいきましょう。欲しい人~?」などとオークションでも始めるかのように煽った、として顰蹙を買ったものです
しかし世の中には、桑田佳祐の品のない行動に不快感を表明しこれを批判する世間一般の声を「言論テロだ」と断定し、日本の社会が危険な方向へ向かっていると警鐘を鳴らす向きもあります。その1つを紹介します
(前略)
昨年の大晦日には、NHK紅白歌合戦にコンサート会場からの中継で出演したサザンオールスターズが安倍政権批判と受け取れる曲を歌い、直後には桑田佳祐が昨年受賞した紫綬褒章を軽んじるかのようなパフォーマンスをしたことに対し、ネット上などでバカげたバッシングが燃え広がった。
「クソ反日」「国賊歌手」「どうみても朝鮮人」「天皇陛下から賜った紫綬褒章を貶めた」……。
挙げ句の果てには、サザンの所属事務所前で抗議活動までが繰り広げられ、サザン側は謝罪文発表にまで追い込まれる事態に発展した。
だが、アーティストが政治的メッセージを発したいと考えるのは当然だし、褒章といった国家の権威や権力者を風刺し、笑い飛ばす行為も芸術表現のひとつだ。なのに桑田が繰り広げたオフザケ程度のパフォーマンスすら許さず、謝罪にまで追い込まれてしまう日本は、とても「言論・報道の自由」が守られている社会とはいえない。
(後略)
「シャルリ襲撃」を非難する安部首相とメディアが無視する日本の言論テロ
この記事の不可解な部分は、桑田佳祐の「表現の自由」を尊重するばかりで、これに対する批判の声を「言論テロ」だと貶めているところにあります
桑田佳祐の「表現の自由」が尊重されるのならば、桑田佳祐への批判もまた「表現の自由」として尊重されるべきでしょう
しかし筆者(野尻民夫)にはそのような考えはなく、世間一般の声をテロだと決めつけて、「日本は『言論・報道の自由』が守られている社会とはいえない」と警鐘を鳴らしています
根底にあるのはメディアやジャーナリストは特別な存在であり、世の中の事象を批判する特権を有しているが、世間一般の人にはそのような特権は存在しないとの考えでしょう。むしろ、世間一般の人によるメディア批判は許されない、との考えだと言えます
我々国民はジャーナリストの書く記事を批判してはならないのでしょうか?
桑田佳祐に「表現の自由」があるように、我々もまた桑田佳祐の品のない行動をたしなめたり批判する「表現の自由」があるわけで、これを認めずに「言論テロ」であると貶めるようなジャーナリストは頭がおかしいと言わざるを得ません
野尻民夫は「国民がバカだから日本の『言論・報道の自由』は59位」だと決めつけたいようですが、日本の順位が低いのは特定秘密保護法のせいではなく、記者クラブという閉鎖的な組織にメディアが依存しているためです
どこの国にも国政に関わる重要情報を保護する法律・制度が多かれ少なかれ存在しており、日本だけが例外としてそうした制度を設けてこなかったのが異常なのです。特定秘密保護法制定前の日本の「言論・報道の自由」ランキングが特別に高かったわけではありません
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